荷車の睡眠
(…車輪が跳ねる音)
その音が不定期に鳴る。ガタゴトと激しく揺られている車体の中には2つの人影がある。どうやら片方は寝ているらしくその影は動かない。そんな時だ、その車輪が一際大きい石を踏んで跳ねたのは。
「うわ!」
その拍子に1人の青年が飛び起きた。鈍色の髪を持ち、右目は茶色。そして左目には霧の様な白い靄がある。その青年、レイが車体が跳ねたことで上体を起こして驚いた顔をする。特に衝撃を受けた背中。その背中があった位置を見る。そこには特に突起物は無かった。ただその代わりに、
細い指が床に置かれているのが目に入る。その指の先を登って見ていくと、
「おはようレイくん。…もう夕方だけどね。」
そこにはフードを被ったイリミナが微笑んで座っていた。左手をヒラヒラと振りながら挨拶をするイリミナ。
「おはようございます…」
遅れて挨拶をする。そのレイを上から下までイリミナは眺めると安堵の表情になった。
「うん。無事そうでよかった。左目は少しだけ白くなってるけど…」
イリミナに指摘をされて自分の左目の異変に漸く気がつく。
(…?上手く見えないな?)
違和感のある左目の前で手を左右に振るが白いボヤが邪魔で見えにくい。ボヤとボヤの間から辛うじて手の平の一部が見えるが、それも直ぐに阻害される。不思議なことに目の中の霧は動いているらしい。そのことに少し嫌悪感を抱くが、それ以上に大事なことを思い出す。
「イリミナさん。カルミルはどうなったんですか?」
寝てしまう寸前の記憶では自分は首都カルミルにいたことを思い出したのだ。周りを見渡して現状は馬車の中にいるであろうと推測できる。だからこそ、今に至るまでの間と、最後の記憶にあったカルミルのことが気になった。
その問いを受けたイリミナは少し考える素振り。
「う〜ん、取り敢えずは大丈夫だと思う。もちろん、街は殆ど壊されちゃったから復興には時間はかかるけど…そのあたりはウォルナットさんが色々と取り計らってくれるらしいから何とかなるかな。………みんな、無事だったわけではないけどね…」
最後につれて顔に暗い影を落とす。その答えになんと応じるか考え、ふと気がついた。
「ウォルナットさん…?」
その名前に聞き覚えはない。この世界に来たばかりのレイには人の名前を忘れる程の多くの人との交流はない。その事を考えているとイリミナが説明をしてくれた。
「ウォルナットさんは私たちを助けてくれた人…かな?」
「なんで疑問系なんですか…」
その答えを怪訝な顔で考えていると、後ろから声がする。
その声は今まで聞いた記憶のない男の声で、中年くらいの印象を持たせる渋めの声であった。
「取り込み中すまんな。少し話をしたいのだが、いいか?」
振り返ると日除けの幕の中央から光が漏れている。その幕を捲っている手の奥に、緑色のような目で此方を覗く人物がいた。もう一度イリミナを見ると、手の平を振りながら微笑んでいる。
「今の人がウォルナットさん。それじゃ、また後でお話ししようね。」
「…そうですね。それじゃまた後で。」
イリミナの言葉を受けてレイは立ち上がると幕に手をかけて外に出る。
日の光に目を細めて、額に当たる風が心地よく前髪を揺らす。目が日の光に慣れたところで気配のする方へと顔を向ける。
「取り敢えずは無事そうでなによりだ。今後のことと、君のその目について少し話がしたい。そこに座ってくれ。」
そこ、と目で示された場所は男の隣、御者台の上であった。指示通りに座る。
座った際に馬車を引いているのが馬ではなく熊のような動物だったことにツッコミを入れたい気分になったが何とか堪えた。チラと横を見る。
そこには白髪の中に黒が散見される中年の男の姿。そして、その膝には、
(何で、ルディアが乗ってる…?)
何故だかルディアが心地良さそうに寝ていた。ルディアをじっと見つめるレイ。その様子に、ウォルナットはレイの視線を辿ると、
「あぁ、この子か。話しているうちに寝てしまったのだ。今日は日がいいからな。眠くなるのも仕方がないだろう。…それにしても不思議な子だな、ゴーレムともホムンクルスとも違うが…非常に頭が良い。私の助手に欲しいくらいだ。」
ウォルナットが気の緩んだ顔でルディアを見る。
どうやら妹は対人スキルがかなり高いらしい。サリミヤ達との旅路でも打ち解けるのが早かったのが思い起こされる。
(自分は慣れるのに3日かかったのに…)
そんな益体もないことを考えていると、
「少し、前置きが長くなったな。本題に入ろうと思うが良いか?」
ウォルナットが話の本筋を戻す提案をしてきた。勿論、レイも聞きたいことがあるので頷いて同意する。
(と、その前に。)
「ウォルナットさん、そのボール持つの変わります。」
「む、そうか…。私は別にこのままでも構わんのだが。」
「変わります」
「…分かった。」
兄としてはよく知らない相手にルディアを預けておくことはできない。
ルディアを回収して再度ウォルナットの顔を見ると、朧げだが寂しげな顔をしているように見えた。
(こいつは、対人スキルが高いのか…それとも年上キラー?…対人スキルかな?)
胡座をかいた足の上にいるルディアを見下ろしてそんな考えを持つ。
妹の才能に嫉妬してしまいそうなのでウォルナットと会話をすることにする。
「ウォルナットさん、話しましょう。自分は話すことで対人スキルを上げることにします。」
「…何か他の感情が見え隠れしている気がするが…まぁいい。」
ウォルナットは苦笑いをしている。
そこでウォルナットは一度咳払いをすると、
「先ずは君達の置かれている状況についてだ。君が覚えている最後の記憶は?」
「泥の奴を包丁で刺したのまでは覚えています。」
「泥?……ふむ、エルマのことか?確かに泥に見えなくはないな。」
泥、と聞いて少し考えた様子のウォルナットの口からは「エルマ」という初めて聞く単語が出てきた。それを不思議そうに考えるレイにウォルナットが話しかける。
「カルミルに出現したアレのことを私達はエルマと読んでいる。君が刺した相手はそれの中でも下位に位置する奴だ。」
(泥の奴はエルマって呼ばれているのか……アレで下位…)
レイの印象ではかなりの強さだと感じていた。そのため、ウォルナットの言葉に何とも言えない寒気を感じる。その、顔には出ずともレイの様子から何かを察したのか、
「案ずるな。あれよりも上位のエルマはそう居ない。そして、君の実力が無いという証明にもなりはしない。寧ろよくやってくれたと思う。並の人間ならば手も足も出ずに負けていただろう。彼等を代表して感謝する。」
思わぬところで感謝をされ、先程までの不安が照れで吹き飛んだ。
そして、ウォルナットにフォローされたところで、ふと1つの疑問が出てくる。
泥、つまりはエルマとの戦闘中にルディアはエルマの呼び名に関して話していた。その種類は多かったと記憶している。その数ある呼び名のなかで「エルマ」と呼び、そしてウォルナットは「私達は」と言った。そこには何らかの意味があるような気がしたのだ。
「エルマという呼び方は一般的なんですか?」
その質問を受けたウォルナットは「いいや」と続け、
「その呼び方は一般的とは言えない。一部の者だけがそう読んでいる。」
そこで一度言葉を区切る。そして、質問を投げかけられた。
「君はガイラルの焔環を知っているか?」
「…知りません。」
少し考えたがいまいち分からなかった。本で読んだ様な気もしなくはないが。
そんな様子のレイを横目に男は話し始める。
「…そうか、では改めて名乗ろう。私は【ガイラルの焔環】ウォルナット・コメリアという。
先程話したアレをエルマと呼ぶのは基本的に私達、焔環の仲間だな。」
その説明には分からない事項と気になることが多いかった。
先ずは1つ1つ質問をすることで疑問を解消していくことにする。
「ガイラルの焔環はどういった集まりなんですか?」
その質問を受けたウォルナットはその浅緑色の双眸でレイを見る。その目は吟味する様な目で居心地が悪かった。
「話すことにしよう。元々、君達の今後についての話しにも必要ではあったからな。」
そこでウォルナットは1度咳払いを挟み、話し始める。
「簡単な話し私たちは、自分の為に守りたいものを守る、という目的で活動している集団だと思ってくれて良い。だが、他の集団。そうだな、冒険者の組合と比べることにしよう。私達と彼等には大きな違いがある。それは力の差だ。個人でも組織でも、私達と彼等ではそこが大きく違う。私はこの組織では3番目の古株ではあるが、ガイラルの焔環ができた時期も経緯も何も知らん。冒険者組合の成り立ちなんぞは、それこそ支店に足を踏み入れれば何処かの壁に掛けられている額縁を読めば大体はわかるがね。謎がある組織という印象は否めん。
そして、これが1番の違いだな。
─ガイラルの焔環にいる者達は、何かしらの力に認められた者達だということだ。
私達はその力を使って世界の秩序を保つのが役目として認識している。」
認められた者達、その言葉自体にはワクワクしかないが先程の説明と今後についての話し、それらがどう繋がるのかが分からなかった。
ウォルナットの話は続く。
「そして、この力は心の底から何かを求めた者にのみ授かることのできる力だ。私達はそれを【焔環】と読んでいる。それの本質は手助けだ。求めた者に求めた力を、その者にあった形で助長する。それが焔環だ。そして、
─君の中に、その1つが溶け込んでいる。少し変わった焔環ではあるがね。」
その言葉にレイは思わずウォルナットの目を見る。その双眸は真っ直ぐで、冗談を言うような目ではなかった。そして、同時に悟る。
「何となく分かりました。焔環は力で、それが僕の中にある。ウォルナットさん達は秩序を守りたい。そうなると僕が白か黒か知る必要があるんですね?」
力を持った、わけのわからない存在であるレイを秩序を守りたい彼等が見逃す筈がない。
「察しがいいな。つまるところはそうだ。特に君は身体の中にエルマが入り込んでいたからな。君の中に入ったエルマの気配は消えている。これ以上、奴に身体を盗られる心配はしなくていい。そこは安心してもらいたい。だが、影響が全く無いと断言するのは奴を舐めすぎているからな。」
ウォルナットは淡々と言葉を紡ぐ。奴、と言う割にはそこまでの敵意が無い様に見えるのが不思議に感じた。
「その…エルマはそんなに危険な存在何ですか?いや、危ないのは分かってるんですけど…いまいち、ピンとこなくて…よく分かりません。」
問われたウォルナットはこれも淡々と返答する。
「そうだな、危険極まりない存在であることは間違いない。そして、未知数の力を持っていることもわかっている。だからこそ、君の存在は無視できん。」
成る程、とレイは納得する。未知数な者に取り憑かれた、これまた未知数な存在。それが力を得たとなれば無視はできないだろう、と。
レイは自分の身体の調子を確かめる様に腕を回すが、特に違和感はなかった。
「…その様子だと気づいていない様だな。」
ウォルナットがレイの様子を見てそう発言した。そのことに眉を寄せる。そのレイの目の前でウォルナットは目で荷台の方を示すと、
「彼女は鉱月樹の森人だな。あの美しい特徴は他には中々お目にかかれない。そんな目立つ彼女だが、その特徴を今は隠していない。聞けば今までは魔法で隠していたと聞く。それでは今、何故彼女はフードだけで隠していると思う?」
どう、と聞かれるがレイには思い当たる節がない。言われてみれば確かにイリミナはフードを被っただけで髪の色も目の特徴もそのままであった。
悩むレイにウォルナットが答えを出す。
「簡単なことだ。君の中にある焔環の力が働いているからだ。」
「力…ですか?」
「そうだ。今はマシになったが、カルミルを出立する寸前までは大変だったな。周囲の魔力を手当たり次第に吸い込もうとしていた。流石の私もあれはキツかった。今も大変ではあるがね。
今の君は魔力を吸い込みはしないものの、その代わりにに魔力を強く引き寄せている。
髪の色を変える幻影魔法は緻密な魔力の制御が要求される。この周囲の環境化ではそれを発動させるのは至難の技だろう。」
そう説明されてもレイ自身には全く分からない。だが、それがもし本当だとしたら、
(イリミナさんに悪いな…)
申し訳ない気持ちが溢れてしまう。ただでさえ迷惑をかけっぱなしなのだ、これ以上かける迷惑は無いと思っていた矢先がこれだ。
そして、ふと思う。
「そうなると…今、僕の周りにいる人は魔法が使えないんですか?」
魔法が使えない。それがもし起こりえた場合、イリミナの負担が目に当てられないことになる。危険度は上がり、それに対応する力も激減するのだ。そのことにレイは不安を感じる。
「そうだな、基本的には使えないと思っていいだろう。だが、私も彼女も並の実力ではない。完全に使えなくなることはないだろう。そこまで心配はしなくていい。」
そのウォルナットの答えに、少しだけ胸のつかえが取れたように感じた。その安心した様子のレイを見て、
「やはり、君は悪人には見えないな。…だからこそ一緒に来てもらおう。」
ウォルナットも何処か安心した顔をしたように見えた。
「一緒に?それが今後についての話ですか?」
「そうだ。私は少しの間、君のお目付役として過ごす必要がある。君のその魔力を引き寄せる力は私でさえ完全に抑えることができん。他の者に任せるわけにはいくまい。そして、君自身にもその力の使い方を学んでもらう必要がある。その為には私の友人の力が必要でね、その友人のもとに君を連れていこうと思う。それが今後についての話だ。
そして、次に話すのは君のその左目についてだな。」
左目、そう言われて左手で瞼に触れる。痛みはないが、やはり見えにくい。
「君のその目は魔眼の1種だな。魔眼は生まれつき持っている者がいるが数は少ない。その目にはその魔眼特有の魔力が溜まるとされている。そして、君の持っている魔眼はまだ成長段階にある。恐らく、視界に霞が入っていると思うがそれが溜まった魔力だ。」
「成長ですか?」
「そう、魔眼は成長をする。最後にどの眼になるかは分からん。中には生まれつきその眼を持ったが、一生をその成長段階の眼で生きた者もいるがね。成長して大人に必ずなるとは限らんということだ。そうはなりたくないだろう?
「それは…そうですね。」
一生をこのモヤと一緒に過ごすのは御免だ。
「では尚更私と共に来た方が良い。」
ここまで話したウォルナットに対するレイの印象は誠実、その2文字だ。
悪い人間だとは思えない。どう転んでもウォルナットに同行する選択以外に道はない様な気もするが、それを強要された様には感じていない。少なくとも自分の暴走している力を抑えてくれているのだ。もし、ウォルナットが居なかったら周りにどんな被害がでてしまうのか。それは想像もつかない。素直に感謝しかない。
「分かりました。その友人さんに会いたいと思います。ところで、その友人さんはどこにいるんですか?」
目的地が気になったので聞いてみる。
「目的地は、カルミルから見て北の方角にすすんだ先。そこにある大森林。名前をアスタークと言う。その深い森をさらに進んだ先に幻獣の森があってな、そこにいる者達に会いに行く。今はその途中にある獣人達の町に向かっている。」
「獣人ですか?!」
ウォルナットの言った文章には興味を唆られる単語が何個かあった。その単語を見て心躍らないわけがない。そんなレイは思わず声を出す。そのレイの声に少し驚いたのかウォルナットは眼を少し開いている。
「君は獣人と会ったことがないのかね?」
「はい、ないです。獣人ってあれですよね?耳がこう生えている人ですよね?」
こう、と頭の上に手を持ってきて耳を模すように動かす。
「君の認識で間違いない。中には獣の耳を持たない者もいるが、概ねの獣人たちはそのような耳を持っているな。ついでに言うと、私の友人も獣人だ。」
先程の話から薄々はそんな気がしていたが、やはりウォルナットの友人は獣人だったらしい。
そこで、ふと違和感がレイを襲う。
(なんか、引っかかるな‥)
「ウォルナットさんは人間ですよね?」
「…ああ、私自身はそう思っている。周りにどう思われているかは知らんがね。」
その蛋白な返答にレイは苦笑いをするしかない。少し前の話から、ウォルナットがただの一般人ではないことが窺える。そんな彼のことだ、何かしらの言われようはされた経験があるのだろう。
そして、やはり何か引っかかる。
……………
「あ、!」
レイは軽く声を上げてウォルナットを見る。
「…なんだ?私の顔に何かあるのか?それとも何か、私の顔が怖いとでも思ったのか?確かに、子供にはよく魚の方が愛嬌があると言われているが…。」
「いや、そういうことじゃ無いですよ…。」
(そんなこと言われてたのか。)
どうやら先程の会話から苦い思い出が蘇ってきたらしい。ウォルナットのテンションが下がっているのが手にとるように分かる。これ以上、この場の空気を落としたくないので話を戻すことにする。
「いえ、ただ気になることがあっただけです。その…ウォルナットさんの下の名前、何処かで聞いたことがあるな、と思いまして。」
そう、少し前から感じていた違和感はそれだ。その質問を受けたウォルナットは、「なんだ、そんなことか」という雰囲気で答えを言う。
「恐らく、コルメルク商会のことだな。」
「そう、それです。確か…」
レーグルの街を出る際にコルメルク商会について調べたことがあった。
確か、その時に調べた内容からすると、
「会長の名前は確かコメリアさん、だった気がするんですけど…。」
その煮え切らない物言いでウォルナットを見ると、ウォルナットはレイをじっと見て、
「私がそこの会長だ。…しかし、君も不思議な子だな。コルメルク商会の会長は…私が言うのもなんだが有名だぞ?それを疑問の口調で聞いてくるとは珍しい。」
怪訝な顔でレイを見るウォルナット。その顔からそっと顔を背ける。異世界からきた不思議人間とは打ち明けにくい。その様子に、ウォルナットは「まぁいい」と話を終わらせる。そして次に出てきた話題はまた別の内容であった。
「さて、ある程度は君のことは分かった。腑に落ちない点はあるが、まぁ悪人ではなさそうで安心した。もし、害ある存在であったら私が消さねばならん。そうならずに済んで良かったよ。」
(…おっかね〜。)
ニヤリとウォルナットが笑うので目を逸らす。最初からレイの五感がウォルナットの底知れぬ圧に警鐘は鳴らしていた。その為、彼が自分に対して敵意が無いことに本当に安堵する。
その圧はディルグレアに近いものであった。
そう考えるレイにウォルナットは話を続ける。
「君の力についてと今後については話したが、今度は直近のやるべき事をやってもらう。」
「直近のですか?」
「そうだ。君の中には力があると話しただろう?その力をある程度は制御して欲しい。流石の私も長時間、君の力を抑えるのは一苦労でね。」
力、それはつまり焔環のことだろう。自分では実感が湧かないが、どうやら今は暴走状態に近いらしい。
しかし、制御するにはどうしたら良いのかは皆目検討がつかない。
「やはり、魔力が見えていないのだな。少し、揺れるが我慢して欲しい。」
どうすれば良いのか分からないレイの額にウォルナットが人差し指の先をつける。
すると、
「うわ!」
目の前の平行が保てなくなり、思わずよろめく。目を瞑って耐えようとするが、身体が波に流されて上も下も分からないような、そんな状態に吐き気がしてくる。
その波をどうにかこうにか耐えて、再度眼を開けると…、驚いた。
レイの眼には文字通り、別世界が広がっていた。
そこには星のような様々な煌めきが宙を漂っている。その光景は美しいと言う他になかった。
そして、ウォルナットの言っていたことも漸く理解する。
レイの眼に見える範囲の星が、逆向きの力に同時に当てられたかの様に激しく揺れている。その星群の一部が何かの力の拮抗から外れたのかレイの方へと飛んでくる。それは真っ直ぐ飛んではこなかった。うねって曲がっての繰り返し、それを繰り返してレイの下へと飛んでくる。その星はレイの身体に当たると、星屑を散らして消えた。
「どうやら感じたようだな。それが魔力だ。焔環の力を持つ者にはそれが他の者より強く感じることができる。君の身体に魔力を流した。魔法使いを目指す子供に親が行う儀式のようなものだな。」
ウォルナットがそう説明をする。その説明にレイはこう答えた。
「はい。─視えます。これが魔力なんですね。」
その答えに、ウォルナットは驚いた顔でレイを見る。
「待て、今君は─視える、と言ったか?」
その驚いた表情にレイも驚く。
「はい、…言いましたけど。何かマズいんでしょうか?」
恐る恐るウォルナットの方に顔を向けて、そう聞く。
そんなレイの目の前でウォルナットはレイの顔を見て、より一層に驚いた顔をする。そのことに疑問に思っているとウォルナットが口を開いた。
「…驚いたな。まさかこの短期間で魔眼が成長するとはな…。身体に不調はないか?魔眼は成長しきるまで何らかの障害が起きる可能性がある。君の魔眼は成長こそしたが、まだ不完全だ。」
そう言われてレイは自分の左目に手を持っていき気がつく。
(…あれ?さっきよりも視界が良くなってる?)
些細な変化ではあるが確かに視界は良くなっていた。痛みはない。寧ろ、
「いえ、何も問題はないですね。寧ろ、左目に魔眼ってなんだかワクワクしますね。」
「…そうか、神経系に何らかの異常がでているのかもしれんな。魔眼がいきなり発現したのならばもう少し焦る筈だ。だが、すまん。私には神経を直す術はない。他の者に任せるしかないな。」
「いや、大丈夫ですから、そんなに真剣な顔で見ないでください。」
割と本気で心配をされてしまった。レイの言葉を聞いたウォルナットは信じきっていない様子ではあったが一応は「分かった」と答えてくれる。
「何かあれば私に言ってくれ。魔眼は余り詳しくはないが、私に出来ることならば協力しよう。」
そこでウォルナットは1度言葉を区切ると、
「さて、また話が長くなったな。話を戻すことにしよう。今の君が見ている状況、つまりはその力の暴走をある程度は抑えてほしい。その為にはその力に慣れるのが1番だ。これから君には私の手伝いをしてもらいたいと思う。そこで少しはその力を制御できるようになってもらいたい。」
レイに異論は無いので頷く。
頷くと急に眠気が襲ってきた。久々の感覚を珍しいと感じるが何とか堪える。今まで話した内容はどれもレイにとって重要な話であった。だから、真剣に聞くうちに疲れてしまったのだろうか?
(いや、人と話したぐらいでここまで疲れるかな…違う気がする。あ、あと他にもききたいことがあるん…だった…)
その考えに自ら否定をするレイ。
そして、船を漕ぎ始めた時に今まで聴こえてこなかった声が聞こえてきた。
「ふぁ〜あ、よく寝ました!あ!マスターおはようございます!死んでなくて良かったです!表情筋は残念ですけどね!」
「ひとこと、多いとおもう。」
元気な声が頭に響いてくる。その声に安堵しつつも意識が朦朧としてくる。
「ふむ、眼の影響だな。少し寝た方がいい。」
「あ!ウォルナットさん。おはようございます!」
「あぁ、おはよう。」
ウォルナットがレイに提案をし、その声でルディアがウォルナットの存在に気づき挨拶をする。
眠くなる一方のレイの隣で、2人が会話をしている。朦朧とする意識の中、ウォルナットの方を見る。
その顔には分かりにくいが、確かに笑顔があった。ルディアと楽しそうに話しているその姿はどこか、孫と祖父のように見える。この様子ならば大丈夫だろうと判断し、這うように荷台へと移動する。中にはイリミナがいた。だが、そのイリミナもどうやら寝ているらしい。静かな寝息を立てて、壁に寄りかかっている。
そのイリミナの隣に少し隙間を開けてレイは座った。壁に体重を預けると一気に眠気が迫ってきた。チラと横を見れば、フードの隙間から美しい髪と愛らしい耳が見えている。
(イリミナさんの耳、先が少し…尖って…るん……な……)
気づけばレイは寝ていた。
石に車輪が乗り上げて車体が揺れる。
その車体の中には寄り添って寝る2人の人影があった。




