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「邂逅」、

壁が壊れる音が聞こえる。人の甲高い声が聞こえる。都市が壊れる音が聞こえる。ありとあらゆる日常の光景を後にし、今、目の前では何かの音が聞こえては消えていく。そして、鈍色の燻んだ黒髪の青年は、その分かりにくい、色違いの双眸に周りの光景を移しながら、また、人の生きていた跡を踏む。靴裏は日の光に照らされて鮮やかに照り返す。彼の両手には命が。左手には目を閉じることを忘れたのかと思わせるほど、目を開き、涙という涙をただ流すだけの少年。右手には額から血を流した細身の女性。

女性は少年の母親である。

重責を抱えて青年は走り抜ける。2人の人間を抱えているとは思えない程の速度で、ひた走る。

周りは地獄。立場は窮地。この絶望とも言える状況で、青年の眼の奥には、、


彼は唇の端を引き締めて走る。そして横目で左手の先を見ると、


「おい!少年!しっかりしろ!自分は旅人だ、この街の構造が分からない。今、城までの道が分かるのは君だけだ!しっかりしろ!」


「……」


少年は俯き、答えない。それも仕方のないことではある。少年は目の前で母親が、逃げ惑う群衆に巻き込まれ、倒され、踏み付けになり、飛来した泥が近くの家を破壊したことで出た破片を頭に受けたのを見ている。その後、倒壊し始めた家の下敷きになる寸前にレイが助けたのだ。

だが、その状況を知っていても尚、レイは少年の姿勢を許さない。


「少年!しっかりしろ!君の心境は分かるが、諦めるのは今じゃないだろ!今、君の母親を助けられるのは君だけだ!  !、っ!」


少年に語りかけている途中で、背後から3つの泥が飛来する。それを既の所で身を捻りながら2つ躱し、遅れてきた泥を近くの路地に飛び退きながら避ける。

少年とその母親の頭を抱えながら路地に飛び込んだのだ。ローブは汚れ、所々に赤色も散見できる。だが、そんなことにはお構いなしにレイは走り出した。


「考えろ!諦める前に、絶望する前に、その頭を使え!追い込まれた時ほど、自分の役割と、自分の立場から、自分にできることを探せ!じゃないと、本当に取り返しがつかなくなるぞ!

それをしてから諦めろ!  今、君は、何ができる!!」


謎の泥が出現し、2人を抱えて走り始めて直ぐの頃、門にいた検問員と似た格好をした男を目にした。男は最低限の鎧を急所を覆うように身につけ、剣を携えていた。そして、男は指先を都市の中心へと向け「城に、早く!!」と叫んでいた。周りの住民も一斉に逃げ出したのは、やはり、城の方角であった。そして、その男の足下の影が小刻みに揺れていたのをレイは忘れない。

単に、レイの足であれば城になど直ぐだったろう。だが、それは叶わなかった。人を抱えていたこともあるが、何より、


(なんで、この泥は自分の方に飛んでくる?)


泥は明らかにレイに引き寄せられている。ただ、不幸中の幸いか、既の所で躱せば泥は何処かしらにぶつかり、音を出しながら弾けた泥はレイを追わなくなる。だが、泥を避けながら進んだことで真っ直ぐに城に続く道から外れてしまった。だからこそ少年の助力が必要になる。

そこまで考えると、左手から力が伝わってきた。


「み、右に…曲がって!」


見ると、少年がレイのローブをしっかり握っていた。その力強さに安堵と、驚きを感じる。

レイは少年の合図に従って曲がる。その後も泥を躱しつつ、徐々に城へと近づいた。ここまで、レイを導いたことで少年にも少しばかりの勇気と信頼と希望が芽生えたらしい。先程までの顔つきとは少し違って見えた。


「…兄ちゃん、こっから先は大通りに出ないと城に行けないよ…?、…どうする?」


「大通りか…」


少年は不安を感じている。それもその筈だ。最初に泥に襲われたのは大通りで、そして、何より、大通りは視界が良すぎる。大通りは検問の門から城の門まで一直線になっており道幅もある。そんな所に出れば、格好の的だろう。だが、それでも、城に行くためには通るしかない。

レイは手に力を入れる。少し眼を軽く、刹那の間、閉じる。そして、


「少年、名前は?」


走り出す寸前に少年の名前を聞く。聞かれた少年はその丸い瞳をより丸くしたが、直ぐに返事をした。


「ロイ…ロイ・シーザー」


その答えを聞き、レイは脚のバネを弾けさせる。両手を気遣いながらも、その踏み込みは充分な速度を出した。走り、避けて、走る。


城門は開かれており、その門が避難者を呼んでいるのが遠目にも分かった。走り抜ける。


(もう少─


レイの脚であれば数秒。そんな所で、視界に写った、写ってしまった。大通りの脇にある裕福そうな家の、一階の壊れた窓から、藁にも縋るような赤い瞳の少女を。


(ダメだ…、わかってる、……自分には多すぎる。…駄目だ、わかってる…のに、)


限界の中での思考が世界から切り離されたかのように加速する。そして、


「ああ!もう!!」


レイはその家に飛び込んだ。流石にレイとは言え、3人を抱えれば遅くなるのは目に見えている。それでも、3人までであれば何とかなる、と判断した。自分の力への驕りではなく、願望でもなく、冷静に判断した結果ではあった。


「ロイ、悪いが、身体の方にしっかりと掴まって。振り落とされないように。」


「わ、わかった!」


ロイをお腹辺りに。そして、少女に空いたばかりの左手を差し出して、

ただただ、自分の至らなさを痛感した。


少女は整った顔立ちで、その綺麗な瞳の下は赤く腫れていた。そして、彼女の震える左手は彼女の胸の辺りに拳として、そして、もう片方は、


暗がりの中に居た。椅子に座っている老婆の服の裾を掴んでいた。


そして、それだけでなく、その老婆の後ろの壁には足が、あらぬ方向に折れ、血を流して意識を失っている女性。

もしや、と思いレイは家中を見渡し、気づいた。



倒壊した、隣の家の壁の下敷きになっている男性、その男の顔はただ安らかに笑い、その3人が視界に入る位置で、身体の半分がなくなっていた。


思考が一瞬、止まりかけた。


だが、直ぐに首を振り、思考の力を絞り出す。老婆を背負う、そうすれば、と。

レイ自身も賢い選択とは思っていない。だが、それでも、実践しようと、動こうと、声に出そうとしたところで、


「─よろしくお願いします。」


か細い、優しい声で、掠れてもいた声だった。声の方を見れば、老婆がその皺の奥の瞳で、力強い瞳を、レイに向けていた。そして、皺を刻んだ手で少女の頭を優しく撫でる。


(………)


その覚悟に、レイは応えた。応えるしかなかった。何が起きるのか分からない、といった表情の少女を抱える。そして、その段階で、少女にも先程の老婆の言葉の意味が感覚的に理解したのだろう。


「ぁ…、まっ…て…ま、まって!置いていかないで…お願い!ねぇ…お願いします!」


レイは、その声を、願望を、絶望を、聞きつつ、先程よりもより強く、地面を踏み込んだ。

3つの命を抱えて走る。それは余りにも…余りにも重かった。


城門が迫り、駆け抜ける。


何かをすり抜けた感覚を覚えたが、今のレイにはそれを気に留めるだけの余裕が無かった。

城門を抜けると人がチラホラといるのが確認できた。  血を流し、だれも動いていなかった。


その者達が向かおうしていたであろう所へ駆ける。城の中に入ると、そこには言い表しようのない地獄が広がっていた。床には無数の住民が横たわり、壁際には城の豪勢な天井を眺めているだけの人間も。その光景の彼方此方で桃色の光が見えた。イリミナも使っていた癒しの光だ。そこで、レイの瞼に考えないようにしていた2人の姿が浮かぶ。だが、深呼吸をすることでその不安を押し込めた。


(イリミナさんの方が力がある。ディアも一緒にいる筈だから大丈夫。)


そう考えながら、目的の人物の元へとたどり着く。


「この人達をお願いします。」


話しかけたのは先程まで癒しの魔法を使っていた。黒いローブに身を包み、肩口で切り揃えられた茶髪の女性だった。

女性はレイを見ると、その3人を抱えた光景に驚いた様子だった。だが、レイの右手に抱えられている女性を視界に収めると、


「分かりました、彼女をここに。」


理性の籠った声だった。だが、レイにはその声の奥に言い表しようのない何かを感じた。レイは女性の指示された場所にロイの母親を置く。すぐさま桃色の光が。その様子を見て、取り敢えず、自分の役目は終わったと判断する。そして未だにレイの身体に張り付いているロイを剥がした。少女も床にゆっくりと立たせる。その立ち姿が余りにも弱々しく、崩れてしまいそうで、レイの胸の辺りを何かが蠢いて、くすぐった。レイは少女の手を取り、ロイの手も取ると2人の手を重ねる。

ロイは理解ができないといった様子でレイを見る。


「いいか?ここは人が多い。外のやつが収まるまで、逸れないように。」


そう言い聞かせる。ロイは、黙って頷き、少女の手を強く握った。その様子に頷くと、レイは入り口の方に歩を進める。

そして、入り口から出た瞬間、目的地を定めて駆け出した。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




時間を少し遡る。


今は、レイ達がカルミルに着く2日前に当たる。

そこは草原だろうか、周囲には背の低い草花が風に揺られ、俯瞰してみることができればその波が見えたであろう。そんな草原の真ん中にはやたらと目立つ巨大な岩があった。

そして、その長閑な光景に、これもまた長閑な足取りで、1人の漢が歩いていた。漢の足は真っ直ぐに岩へと向かう。そして、辿りつくと、親しげな声音で片手を軽く挙げて声を発した。


「よう!ウォル。元気だったか!」


その漢の正面、巨大な岩の影となる方とは逆に、ローブを頭から被った1人の人影。その人影は漢の声を聞くろローブから頭を出し、


「久しいな、ディルグレア。私は、…まぁ、ボチボチだな。お前はどうだ?何か良いことでもあったように見えるが。」


そのローブの男、白髪の中に黒色が散見される、見た目は40後半といった見た目の中年だった。整った顔には少しの皺と、目つきには気難しさが滲み出ている。その浅緑色の瞳をディルグレアに向け、そう感想を零した。その問いに漢は上機嫌に答える。


「いや、まぁな。面白い奴等と会ったよ。ただそんだけだ。」


「そうか。」


お互いに、言葉少なに話す。それで会話が成り立つのは、親しさの成せる技なのか。そんな感慨をもたらす雰囲気であった。漢は目の前の男に親しげに、それでも真面目さを含んだ声で質問をする。


「俺が呼ばれたってことは…マズイ状況なのか?」


ディルグレアは腰に手を当てて、小さな紐付きの袋を背中に掛けるように左手で持つ。その問いに、ウォルと呼ばれた男は頭痛でも感じたかのような素振りで頭に手を添える。


「いや、正直なところ分からん。分からんのだ。先が全く読めない。それが今回、お前を読んだ理由だ。」


ディルグレアはウォルの答えに、より一層真面目な顔で答える。


「そうか、分かった」


その力強い答えにローブの男は申し訳なさを顔に出さぬように、


「いつも、悪いな。お前を呼ぶ時は私の力が至らない時ばかりだ。」


そう言いつつ、ローブを被り直した。その言葉に漢はケラケラと笑うと、


「そう言うなって、あんたが分からないって、言う時ほど一大事だからな。大抵のことを先読みして策を張り巡らせるのが得意なあんたが、読めないなんて言うんだ。そりゃ〜一大事だ。そんでもって、そんな時に限って世界に関わる何かが起こってきたからなぁ〜。まーだから、遠慮なく俺のことを使えば良いってことよ。気にすんな!」


前を歩き出したローブの男の背中を勢いよく叩く。ローブの男はその痛みに、強い眼光でディルグレアを睨むが、当の本人はなんのそのだ。その様子に、ローブの男は眉間を指で挟みつつ歩く。

その様子にケラケラとディルグレアは笑うと、1つ質問をする。


「ところで、あんたがそんなに気にするのは何かあんのか?今回も毎度お馴染みのアイツの駆除だろ?なにが心配なんだ?」


ディルグレアは不思議そうに、且つ注意深く、ローブの男に耳を傾ける。

その問いにローブの男は気難しそうな顔をより深めて、


「いや、なに。アイツの対処はお前と私で十分だろう。…ただ、1つだけ懸念があってな。

西の湖にあったアレを覚えているか?─その最後の1つが動き始めた。」


アレ、と言われてディルグレアは一度、頭を掻く素振り。そして、


「あ!アレか。そうか、動いたか。でもよ、アレに関しては何度も言ってるだろ?そこまで気にする必要無いってよ。」


嬉しそうに、感慨深そうにそう答えた。その漢の様子を見て、また眉間を指で挟むローブの男。


「いや、気にするさ。アレの力だけは私にも想像ができん。ましてやアレを継承する者が必ずしも善とは限らない。他の力と比べて、そこが異質なのだ。記録に載っている僅かなものでも、アレは人の中だけでなく魔物の中にまで入っていたと分かる記載がある。普通は人にのみ扱える力の筈なんだがな。全く、法則も何も分からない、どんな影響をもたらすのか分からんのだ。」


その答えを聞き。ディルグレアは大きな声で笑う。


「だから俺が呼ばれたってこったな。」


「そういうことだ。」


そこで暫しの沈黙。先の話には一度区切りがついたらしい。だが、その沈黙を、ローブの男が静かに終わらせる。


「…ディルグレア、一応、耳に入れておく。東の海を越えた先の大陸の、山の麓に住んでいた者達の里を覚えているか?」


その声はやたらと無機質で、感情的なものを敢えて削ぎ落とした声だった。


「あぁ、覚えてるぜ、竜神の末裔達のだろ?あそこの地酒は美味かったからな〜、よ〜く覚えてる。」


ローブの男とは正反対にディルグレアは「また、飲みてぇな〜」と楽しげだ。その彼に、


「あぁ、そうだな。あそこの酒は良かった。…もう飲むことはできないがな。…滅んだよ、その里は。」


先程とは少し違う、憂いを込めた声だった。それを聞き、漢は一度目を見開くと、閉じて、もう一度開く。


「原因はなんだ?アイツか?」


「いや、違うな今回は違う。お前も知っていただろう?あの里周辺の国々の在り方を。原因はそれだ。」


一瞬、世界が燃えている、そんな錯覚を覚えさせる覇気が辺りに霧散する。


「なんで、早く言ってくれなかった?」


口調は穏やか、だがその裏には想像のできな熱が込められていた。その熱を向けられた男は、


「私も事前に知っていれば、お前に教えるか、私自ら出向いていたよ。だが、あの国共にはしてやられた。あの国共は私を遠ざける為に、他の国で騒動を起こしおった。謀られたよ…。だからお前に早く教えることはできなかった。そして、既に滅んだ里の情報をお前に渡したらどうなる?お前はその3国を滅ぼせる力があるのだ。教える機会は慎重にならざるを得ない。分かってくれ。」


その声には無念が込められていて、自戒をも感じた。それを聞き、ディルグレアは小さく、了承の言葉を口にする。その様子を見て、ローブの男は、こう宣言する。


「だが、私も気が収まらないのは事実だ。奴等はこの私を謀った。目には目を、力には力で、

─謀略には謀略をもって贖ってもらうとしよう。」


その言葉には聞く者の背中を凍らせるのに十分な殺気と覚悟が含まれていた。だがそれも刹那の間だけ、その後は最初に2人が会った時のような緩やかな雰囲気に。


「そういえば、ディルグレア…その鞄の動物はなんだ?」


「ん?あぁ、これか、良いだろ?娘と妻が縫ってくれたんだよ。可愛いだろ?」


ディルグレアの担いでいた袋には、可愛らしくデフォルメされた兎らしき動物の刺繍が施されていた。


ーーーーーーー


「見えたぞ。」


2人は岩の下で出会ってから3日と3時間程、徒歩にて移動をし、目的地へと辿り着いた。その都市と言うよりかは町と表す方が適切な小さい集落には櫓がいくつも設置されていた。明らかに小さい町には似つかわしくない光景。それは町の中に足を踏み入れることで察することができた。

町は剣を携えた民兵が多数、走り回り。それを窓から眺める子供の目には不安の色が浮き出ていた。まさに何かとの戦いが始まる、そんな雰囲気であった。

その中を堂々と2人は歩いていく。町の外周に沿って進んでいくと、より賑やかな、男達の声が飛び交い、民兵がより走り回っている場所に着く。すると、向こうから中年の小太りの男が息を切らしながら走ってきた。


「はぁ、ヒュー、はぁ〜、はぁ、お、お待ちしておりました。もう、間に合わないかと心配で心配で。はぁ、はぁ、何とか間に合って良かったです。」


「あぁ、すまない。間に合ったようで何よりだ。後は、私達に任せてもらおう。」


ローブの男が外周の外側、黒々とした葉をつけた木々の塊、つまりは森を見て、そう簡潔に答えた。その短い答えに関わらず、中年の男は喜色満面といった様子で、


「ありがとうございます!他の者達に御2人が来たことを伝えて参ります!」


と言い残すと去って行ってしまう。それを見届けると、ディルグレアはローブの男に


「んじゃ、仕事でもしますかね。ウォルは町に被害が出ないよう障壁でも張っててくれ。」


「あぁ、分かった。ただし、そこの森を全て焼き払うなよ。そこのクルリエの森の葉は、上質な調味料になるからな。」


「分かってるって。」


腕を回し、膝を曲げて、準備運動をしながら障壁の依頼をする。そして、茶化すように、


「しっかし、こんな時にも商品の心配するとは、商人の血がそう言ってんのか?」


「やかましい、目の前で助けられる物があるのならば助けるのは当然だ。」


そう笑いながら会話をする。そしてディルグレアは準備運動を終えると外周の外へと歩き出す。その後ろにローブの男が続いた。


「しっかし、あんたの予見力は凄ぇな。どうやって毎回、事前に被害が出る地点を予測してんだ?」


「簡単だ。それをできる情報を集めるだけで良い。私の所の諜報員は優秀な者が多いからな、その情報は直ぐに手に入る。後はその情報を繋げて考えるだけだ。」


その答えに軽く笑いながら、


「それができたら、皆んな苦労しねぇよ。」


とディルグレアは茶化すのだった。そう他愛もない話をしていくうちに気づくと町の外へと出ていた。ディルグレアは森を俯瞰できる位置に陣取り、腕を組んで仁王立ち。その際に担いでいた袋をローブの男に預ける。気難しい顔をした男が可愛らしい動物を手に持っている、そんなシュールな絵が出来上がったが、あえて指摘しない。周りの町の民兵達も気になってはいるが指摘しない。

そんなローブの男に、鍔付きの帽子を深く被った女性が近づいた。女性はそこでローブの男に耳打ちをする。それに男は頷くと、ディルグレアに合図を送る。


「─来たようだ。」


その合図を受け、ディルグレアは一歩前に出ると、腰を軽く落とし、拳を腰の辺りで握りしめ、森を睨む。一気に周りが緊張感に包まれ、若い民兵達は筋肉を強ばらせた。聞こえる音は風に擦れる草木の騒めき。動物達の声はここら一帯には微塵も感じることができなかった。本来、クルリエの森にはそれなりに動物達が生息しており、彼らの生態系が構築されていたことを町の人、及び民兵達は知っている。今はそれが感じられない。動物達が息を殺している理由、それは─


ディルグレアの眼光に火が灯ったかのような光の揺らめき。それと同時にローブの男が叫ぶ。


「お前たちは下がっていろ!私の前に出た者は死ぬと思え!お前達の役割は町の住民の避難を支援することだということを忘れるな!」


若い民兵がその言葉を聞き、剣の柄を握り締める。そして、その若い民兵の視界に黒いモヤのような物が映った、いや映ってしまった。できれば、生涯うちに1度も出逢いたくの無いそれを見た瞬間、背筋は固まり、息は絶え絶えに、脅威と恐怖が彼の心を侵食した。その恐怖は伝染するでもなく自然に当たり前のように周りの民兵と共有をする。鉄と鉄が小刻みに揺れて擦れる音が嫌になる程、耳へと入ってくる。だが、その黒から目を離すことができない。


その黒きものは森の木々の間を波打つように這い出て、そして滲み出てくる。時には、クルリエの木を気味の悪い遅さで、木々の繊維を1つ1つ折っていくような嫌な音を軋ませながた木々を倒す。

そも黒が森から滲み出て、日の光を反射したことで、その輪郭を誰もが見えるように現す。


─それは蠢く泥だった。


その森から出てくる泥の波の中心に、1つの影が。それは、人の形に似た何かであった。頭と手と胴体があることは確認できたが、足が見当たらない。それもその筈、胴体と腰の境界線を泥が覆っているからだ。泥はその者から湧き出ては、泡のように泡沫を弾けさせ、辺りの泥と同じように蠢く。かろうじて確認できる目らしき所には、眼球らしきものは無く、その代わり、泥が目から絶え間なく流れ出ていた。

その異形が目の前の、ディルグレアとその背後に集まっている者達を見つめる。

その瞬間、泥の波打つ速度が上がり、意味の理解できない奇声を上げた。そしてその奇声に呼応するように波打っていた泥は高さを上げ始め、見る見るうちに、巨大な、打ち寄せる津波へと姿を変えた。その波が周囲の大地を抉り、汚し、薙ぎ払う、災害として。町に襲いかかる。

その光景に老若男女を問わず、目の端に水滴を光らせ、ある者は発狂の手前まで目をひん剥いている。そんな凄惨な光景の中で、ただ1人、微動だにせず、己の拳を振り下ろす機会を窺っていた。


「─ウォル、少し火力を上げる。後ろの奴は任せた。」


ディルグレアはローブの男の返答を聞くよりも先に、握っていた拳をより強く、握る。

その瞬間、ディルグレアの手の平から始まり、腕全体を覆う程の烈火が弾け、立ち昇る。その炎は赤く、紅く、赫く、他の色を焼き尽くした只々赤い業火であった。

その光を目掛け、泥の波が、嵐の海の飛沫のようにディルグレアごと町を覆わんとする。

その光景に、ディルグレアは息を吸い、吐き出す。そして、


「『ぶっ飛べ』」


その言葉と共に、先程まで腕の周りだけであった炎が爆発的に膨らみ、都市を覆わんとする波すらも遥かに凌ぐ炎が立ち昇る。そして同時に拳を振り抜くと、純粋な炎のみが泥へと叩きつけられる。


泥はその業火に焼かれ、消されて、燃え尽きた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ローブの男の前でディルグレアが拳を振り抜いた。その炎は眼前を赤く染め上げる。


(相変わらずの力だ。)


そう感想を胸にし、周りを横目で見る。町の民兵達は常軌を逸した光景の連続に思考が止まっている様子であった。

ローブの男はその炎を前にして一歩も動かない。このままでは町諸共燃えて無くなるだろう。

だが、動かない、動く素振りすらない。


ローブの男の眼前に炎が迫る。その時、男は何事かを囁いた。その言葉を聞けた者はこの場にはいなかっただろう。だが、その囁いた答えはすぐに出た。


ディルグレアの炎が及ぶ全域に隙間なく壁になるように魔法陣らしき複雑な図形が張り巡らされた。炎と魔法陣が衝突、お互いの存在を打ち消し合い、やがて全ての炎と魔法陣が弾け飛ぶ。残されたのは少しの熱を持った風のみとなる。炎が無くなり、視界が広がった。そこにはディルグレアが佇んでいた。そして、泥の姿は何処にも確認することができなかった。

そして、ディルグレアは此方を振り返ると、


「わるい!やらかしちまった、クルリエの木を10本くらい燃やしちまった。」


軽い調子でそう謝ってきたのだった。


その後、残滓がないかを森に確認に行ったが、特に問題はなかった。そのことにローブの男は安堵する。森の中で腰を下せそうな場所を探す。そして、周りを見渡すとディルグレアが視界に入った。彼は何事かを考えている様子であった。


「どうした?何か気になることでもあるのか?」


その問いに漢は、「まぁな、」とキレの悪い返事をすると、


「どうも、さっきの奴が今までの奴と違う気がしてな。何と言うか…手応えがなかったんだよなぁ。」


手を開閉し感触を確かめるような素振り。その様子にローブの男は嫌な予感に顔を顰める。

そして、その予感は的中する。

泥の襲来を伝えにきた帽子を深く被った女性が、急いで走ってきた、そして、


「大変です!会長!泥が、此処から南の集落にも出現しました!」


その報告に男は驚く。だが直ぐに行動を起こそうとし、遮られた。今度は別の帽子を深く被った男性が、息を切らしながらローブの男の前へと膝をつき倒れ込む。彼はローブの男の元で働く諜報員の1人だ。


「どうした!何があった!」


ローブの男は、焦ったように彼に質問をする。それもその筈だ、ローブの男が彼に与えた仕事は、


「はぁ、はぁ、報告します!西の湖に確認された最後の1つが消息不明になりました。今までは動きが遅かったのですが、急に速くなり…我らでは追いきれませんでした。…申し訳ありません。」


その報告に、脈が打つのを感じた。


「…そうか。いや、報告ご苦労であった。後は私に任せて休んでいろ」


ローブの男は眉間に皺を寄せて考え込む。その様子を見て、ディルグレアは諜報員の男に質問をする。


「それが向かった先は分かるのか?方向とかだけでも分かったりしねぇか?」


「は、はい!分かります!


男はそこで一度言葉を切り、息を整えて、


─カルミルです!首都、カルミルの方へと飛んで行きました!」


そう報告をした。その答えに、漢は笑う。そして、こう宣言する。


「よし、ウォル。ここで二手に別れよう、お前はカルミルに行け。俺は、またアイツを駆除してくっからよ。」


その提案にローブの男は1つ頷く。


「…分かった。その方が良いだろう。よし、私はもう出立す…おい、ディルグレア。何をしている?」


ディルグレアがローブの男を担いだ事で、それに違和感を覚えた男が疑問を口にする。すると、


「ん?簡単なこった。お前はカルミルに早く着きたいんだろ?だったらこうするのが1番早い。」


「…おい、待て。まさか!おい、止めろ!私が高所恐怖症だと知っているだろう!?ま、まて、まっ!!」


「そおぉ、れい!」


地面を抉る踏み込みをし、ローブの男を投げ放った。

その光景を見た諜報員達は呆然と、星になる上司を眺めることしかできなかった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


時間は戻り、首都カルミルへ。


レイはある家の中に飛び込むように入った。そこには、椅子に座った老婆と、足を折った女性の姿が。近くの男性は、やはり微動だにしなかった。

老婆はレイを視界に収めると安堵の表情をした。恐らくそれは自分が助かるというものではなく、レイが無事であることが、赤い瞳の少女の無事を意味していたからであろう。

その考えを一旦、横に置き、レイは老婆を背中に乗せて、持ってきていた縄で落ちないように自分の身体に縛る。そして両手で女性を抱き抱えた。そして、外に飛び出す。そして見えてしまった。運悪く、飛び出したタイミングで泥が飛んできてしまった。家を出て直ぐ、右頬の辺りを泥が迫る。それを無理な体制で避けてしまった。地面に膝をついてしまう。咄嗟に腰に装着しておいた黒いは刃物をレイを狙って飛来する泥に打ちつける。その泥は防いだ。だが、その後ろには今までの比ではない量の泥が控えていた。咄嗟に右手を前に突き出し防ごうと、出来るわけがないと知りながら、手を出した。その泥が近づき、直撃─




「遅くなってごめん。レイくん。」


ここ最近、聞き馴染みになった。風鈴のような優しげな声がレイの耳を通る。


泥はレイの眼前に出現した空色の六角注を模した鉱石によって防がれた。


声のした方を見れば、


愛らしい顔を凛々しくしたイリミナが立って、微笑んでいた。

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