ヒメゴト、
本来なら、この話までは7話くらいの予定だった。
おかしいな?
今回の旅路、つまりはラチファス国の中心、首都カルミルに向けての行商隊の護衛任務は滞りなく進んでいる。道中に魔物に襲われることもあったが、そこは難なくベテラン冒険者のサリミヤが上手く対処してくれた。レイも度々手伝ったりしたが正直言ってサリミヤ1人でなんとかなっただろう感が否めない。今も目の前で小雨の中、戦っている。
敵は前足の爪が長く、猿の様に木の上を飛び回る狼だ。
狼は木の上からじっくりと、獲物であるサリミヤを青い双眸で射抜く。サリミヤはその眼光を気にする素振りもなく、ゆったりと歩きながら剣を抜く。サリミヤの剣は細身の刀身、レイピヤと表すのが近いのかもしれない。そのまま切先を正面に敵を見る。狼は涎を滴らせながら重心を前に、頭を低くし、サリミヤを牙と爪で切り裂こうとする、その時だ、
「『浮きなさい』」
サリミヤが剣先を手首で回し、樹上の狼に向けて言葉を放つ。放たれた言葉は空中で力となり形を得る。
「!?」
何もない、狼の足下から突風が迸った。前兆のない突風に、思わず苦鳴をあげたように見える。狼は自慢の前足の爪を樹に食い込ませながら獣の顔にも関わらず、必死さが伝わる表情で飛ばされまいと掴む。だがその抵抗も虚しく、その矮躯は宙へと放りだされる。
「『叩きつけなさい』」
その隙を見逃さずサリミヤが次の言葉を叩きつける。サリミヤの意思が乗った言葉はその通りの事実をもたらした。先程まで上向きに働いていた力が、言葉と共に下へと落ちる。その結果に、
「サリ、凄い!言霊も使えるんだね。」
イリミナが顔の前で手を叩く。サリミヤは狼が絶命したことを確かめながら戻ってくると、
「ありがとう、ミナ。ふふん、頑張って練習したからね。」
サリミヤは腰に剣を納めつつ胸を張る。いつのまにか仲が深まっている2人。レイの知らぬ間に愛称で呼び合っている。そのこと事態には気付いてはいたのだが、いつ仲良くなったのかがわから
ない。イリミナはサリミヤをサリ。サリミヤはイリミナをミナと呼んでいる。よくよく考えれば都市を出発したときには渾名で呼び合っていたので、自己紹介後の会話の中で仲良くなったのかもしれない。そこまで考えてレイは先程の2人の会話から出てきた言葉に疑問を持つ。
「言霊ってなんですか?」
レイの中にある言霊という言葉のイメージは【口にした事象が実現する】だ。その想像通りであればサリミヤが起こした風が該当するのではないかとレイは考える。ぼんやりとそう考えていると、イリミナが小首を傾げながら考え込む。
それから顔をあげて手のひらを上に。それは一瞬だった。
瞬きの間に水球が宙に踊っていた。
僅かな風にも揺れる小さな球は日の光に照らされる。その光を見るレイ。
イリミナのその行動に疑問を持ち、その疑問を口にしようとしたところでレイは気がついた。目の前で目を閉じているイリミナの周りから、空間そのものが揺らいでいるのかと思わせる程の気配を。その気配はやがてイリミナの手のひらに集まっていく。イリミナがなにごとか呟くと気配はやがて形となり、レイの目にもはっきりとわかる現実として輪郭を得た。
〜揺れている〜。レイの目の前で、イリミナの手の上で揺れる。それは、吸い込まれるような純白の焔だった。
先程までは、ただの水球だったはずだ。今は脳裏に焼きつくような雪にも引けを取らない白銀が揺らめいている。レイがその炎に見惚れていると、
「最初の水が普通に魔法を使った場合で、この火が言霊を使った場合、
イリミナが言霊の説明を始める。
この火はね、水の性質を変えて作ったの。言霊はね、普通の魔法に他の意味を持たせることができるんだよ。」
イリミナは手のひらの白い炎の形を液体のように自在に変形させながら説明を続ける。
「この炎は、色を白くさせる意味も与えたの、普通の炎より、 ずっと綺麗でしょ?」
イリミナが微笑を向ける。炎に気を取られているレイを見てイリミナは笑みを一層深めた。
イリミナの説明は続く。
「簡単な話、普通の魔法に言葉を使って別の力を付与することを言うんだよ。だから水の魔法に物を燃やす力を付与することもできるよ。まぁでも逆の属性を付与できる人は少ないんだけどね。」
イリミナが手のひらの上で踊る炎を軽く握る。次の瞬間には炎の名残である白い光が粒子となり、大気を舞いながら消えていった。
「さっきサリミヤが使ったのはたぶんだけど力の向きを変える言霊かな。風の魔法に上昇と下降の力を付与したんだと思う。」
「正解!両親に小さい頃に教えてもらったの。」
イリミナの脇辺りから、ひょこっと顔を出しながらサリミヤが答える。そして、荷台に戻ってきたサリミヤは自慢げだ。手には先程仕留めた狼の牙が握られていた。素材で使えるのかもしれない。そのことを頭の隅に置きつつ礼を言う。
「魔物の対処ありがとうございます。それは何に使うんですか?」
それと指を挿したのは狼の牙だ。先程の狼の魔物にしては綺麗な白色をしている。レイの疑問を受けたサリミヤはふふんと鼻を鳴らして上機嫌に、
「この大きさなら調度品なんかに使えるかな。組合に持っていけば職人さんに仲介をしてくれるんです。お金にもなるからできるだけ集めた方が良いですね。これ、先輩からのアドバイス!」
やたらと上機嫌な声音で話すサリミヤ。その様子に疑問を持っていると、
「ガハハ!レイの坊主!サリミヤに付き合ってやってくれ、なんせ初めての後輩冒険者なんでな。嬉しくて舞い上がってるのさ。」
「そうなんですか。」
「ちょ!ゼンさん余計なこと言わないでください!」
頬に傷の入ったオヤジ(レイがキズのおっさんと頭の中で呼んでいる)にサリミヤが慌てて声を被せる。
(黄色のプレートなのに初めて?)
冒険者の階級を表すプレート。サリミヤの首にかかっているのは黄色のプレートである。謂わばサリミヤの冒険者としての実力と冒険者としての時間を表しているのだ。階級的には中堅に当たる。後輩ができるタイミングはありそうなものだが。気にしすぎかもしれないが初めての後輩というのが気になる。そう考えていると、
「よーし、今日はここら辺で野宿にしよう。」
キズのおっさんが明るく提案をする。チラとサリミヤの横顔を見る。
暫し考えて、
レイは人のことを詮索するのは良く無いと判断した。
人には突っ込まれたくない話題の1つや2つはあるものだ。
夜が更けると、周りは静まりかえる。どこの世界も同じなんだな、と思いながら湖面を眺める。ここ1週間の旅路の見張りは、殆どレイがしている。押し付けられたわけではない。適材適所と言うやつだ。
振り返れば、パチパチと音を鳴らしている火の周りに3人のおっさん達がイビキをかいて寝ている。女性陣は、寝ながら涎を垂らしている犬を枕にしていた。
(…ひま…)
(…釣りでもするか。)
ゆっくりと立ち上がり、荷車へと歩く。1番小さい荷車の中には、おっさん達の私物がある。その中に釣具があったのをレイは覚えていた。勿論、自由に使っていいと許可は取ってある。物音を極力抑えながら目的のものを手に入れた。湖近くの先程の定位置に戻ってみると、そこにはここ何日かで見知った顔がいた。
「よう、相棒。」
漢は右手を軽く挙げると、いつものように挨拶をする。
「どうしたんですか?」
漢はレイの質問に答える前に、軽く酒を煽る。
「いや〜、暇でな。俺もあんまり寝る方じゃねぇんだよなぁ。」
漢の答えに頷きつつ、先程の定位置に座る。丁度、ディルグレアの左隣に当たる位置だ。
その後は特に会話があったわけではない。魚も寝ているのか、全く釣れる気がしない。そんな糸の先を眺めている。少しと言うには長く、それでも夜はまだ明けない時間、2人はただ黙ってその先を見ていた。
その沈黙を破ったのはディルグレアだ。徐に酒を地面に置き、頬杖をついて、息を吐く。
「なぁ、相棒。」
呼ばれたレイは沈黙にて返事をする。
「相棒は人と話すのは好きか?」
少しの間が流れる
「…嫌いではないです。ただ、得意でもないですね。」
正直に答えた。その事に「そうか!」と軽く、漢は笑った。そして、話は続く。
「俺は昔から人と話をするのが好きでな、いろんな国に行って、いろんな奴と話した。中には悪い奴も居たし、心から尊敬できる奴とも会えた。」
漢の話は続く。
「それはもう、いろんな奴が居た。だけどよ、不思議なことに共通点があってな。みんな、地元の昔話だ、宗教の教えだ、吟遊詩人が歌っていた、両親から躾に使われた、そんなことを言って、詩を知ったって言うんだよ。伝わり方も伝え方も違ぇのによ、同じ意味の詩をな。 どんな奴も知ってやがる。」
喉を酒で潤し、一息吐く。
「相棒は知ってるか?ーガイラルの三詩篇ーをよ。」
首を振る。
漢は頬杖を右手に移した。
「ガイラルってのはな、”壁”って意味なんだよ。人類が超えられない壁、それを超えることができる、できてしまった奴らの詩、それがガイラルの三詩篇だ。」
漢は片方の手の人差し指を持ち上げる。
「1つ目の詩の名は、「器」だ。」
静かな、低い声で、彼は語り始めた。
“”その者ら、人の四方を囲し獣達。その身の器に余る力を我が物とし、天地創造の時より生きる者達。叡智を身につけ、人に教え、滾る力で災害を打ち払う。その者ら、人類に繁栄をもたらす。ただし、怒らせることなかれ。その者らの怒りは人を滅ぼすこと、苦とせん。
その獣達、人の四方の壁となる。
その力、人の内にて目を覚ます。新しき力はその身を狂わし、堕ちる者有り。だが、時に、善を持って力を振るう者現れる。その身に人の意思を持ち、人の意思をも掬わんとする。力を持って人の地に安寧を築きし者達。その者達、人の秩序の壁となる。””
漢は、「2つ目は「泥」だ。」と言い、続ける。
“嘗ては綺麗な泉であった。その泉の水は人を癒し、草木を癒し、世界を癒した。人々はその泉の持ち主を慕い、崇め、讃えた。その者は願いを聞き、叶え、人々の期待に応えるために奔走する。
東に戦が始まれば、花を持って行き、南で病が流行れば、癒しに行き、北で飢えがあると知れば泉の水を持ち、西が呪いに蝕まれれば自らの意思にてそれを引き受けた。
あぁ、それは刹那の理想であった。
時が経ち、彼の泉は濁ってしまった。
嘗ては綺麗な泉であったのに。彼は嘆いた。何故、嘆くのかも判らず、彼は嘆いた。彼の心は泉に溶けて、中身の失った器も、その泉に溶け込んだ。泉は流れ、落ち始めて滝になり、飛沫をあげる。
彼は、世界に溶けこんだ。身体を捨て、生き物の壁を超えて、理を外れて、彷徨う化け物に。
彼は世界の壁となる。 嘗てはただひたすらに、綺麗な泉であったのに。”
ディルグレアはそこまで話して、一度、酒瓶を傾ける。
「そんで、これが最後だ。ただなぁ、この詩には題名がないんだよ。いや、あるっちゃあるんだが、話す奴によって題名が違うんだよなぁ。なにが正しいかってのはわからねぇ。」
そこまで話すと、ディルグレアは少しの間を置き、話し始める。
“その者ら、意思を喰らう者たち。笑う者あれば、その者らも笑い、泣く者あれば、その者らも泣く。善と悪をも併せ持ち、不運と幸運を均す者。歪な呪いも正常な祝福もその者らの前では1つの意思であり、差を生み出さず。意思を喰らう炎は黒く染まり、万物を掴む光は白く揺れる。
時が経ち、その者らも意思となる。意思は継承され、次の者へと継がれる。
その意思の力は恐ろしい。だが、その力に気付かぬ継承者も多く在り。
その意思が力を振るえば理不尽に、平等に、人と大地も意思すらも過去へと置き去りにする。
その意思を持ってその者ら、理不尽の壁となる。 だが、その力に気づけたもの僅かなり。”
3つの詩篇が終わり、再び沈黙。だが、今回はその沈黙は直ぐに失せる。それを終わらせたのは、やはりディルグレアだった。
「詩を聞く限り、どいつも化け物だな。でもなぁ、ここに出てきた奴らは実在する。どいつもこいつも恐れられてる可哀想な奴らだ。勝手に恐れられている奴もいれば、勝手に畏怖の対象になっているやつもいる。まぁ、恐れらて当然の奴もいるがな。」
しみじみと、釣り糸の先を見る漢の目には、背後の焚き火が湖面に反射した、その光が揺れていた。
「その人達は、そんなに恐ろしいんですか?」
レイの素朴な疑問。その問いに、刹那の間こそあったが、
「ふっ、そんなわけがない!アイツらが怖いだなんて思わねぇなぁ、ワハハ! 中には長い人生で初恋をして、何をすべきかわからずに四苦八苦してるやつもいるんだぞ、怖いやつに聞こえるか?」
思わずと言った風に、吹き出す漢。その次の笑いは堪えきれず、といったところか。
そして、その漢の話口調に、
「ディルグレアさんは、その人達と会ったことがあるんですか?」
半ば確信はあるが確認をする。
「あ〜まぁそうだな。しょっちゅう顔を見る羽目になってるよ。ほとんどが野郎ばっかでつまんねぇけどな。」
(あったことがあるのか。)
先程の話を全て鵜呑みにするわけではないが、そんな彼らとの繋がりがあるディルグレア。素性が気になるところだ。
それに、
(本当に知り合いだったら…)
ディルグレアの口調からして悪い関係性ではないように思う。それならば尚更…知り合いが勝手に恐れられているのは、気分の良いものには思えない。
そんな風に考えていると、それを漢は悟ったのか、
「心配すんな、俺もアイツらもその辺は割り切ってる。」
静かに、ただ静かに、そう答えた。
漢は「仕方ねぇだろ?」と続ける。
「生き物は、知らないものを恐れて逃げるのが当たり前だからな。それが人間なら尚更だ、顕著に現れやがる。ユセス教会の頭のかったい爺さん共は、この世界を創った神に感謝しろとかほざいてやがるけどよ。それが本当なら、それは理不尽だと思わねぇか?言葉を使えるのが人間だ。でもよ、知らなものを知るための力、つまりは言葉だな。その力を神は人に与えて置きながら、言葉でわかりあえるはずの人間に、その言葉を使わせるほどの勇気を一欠片も与えてくれなかったんだぜ?勇気があれば人はわかりあえて、戦争は起きねぇし、他の種族とのいざこざも減る筈だ。」
漢は続ける。
「だからアイツらはいつまで経っても恐れられる。
──だから、俺は、人と話すのをやめない。俺は他の奴より強いからな、率先して話して、理解して、それを少しでも他の奴に伝える。それが強いやつの役目だと思ってる。」
だいぶ酒に酔ってきたのだろうか、漢は横になり頬杖をつく。
レイは漢の方を見ずに、ただ考える。
本当にそうだろうか?言葉を交えれば、人は本当にわかりあえるのか?レイの中でそれを是とするには、レイの根幹にある景色がそれを認めなかった。
──滅んだ世界を知っている。彼らが言葉を交えても尚、終わらなかった戦いを知っている。
それは世界を巻き込む理不尽さで、自分をも巻き込んだ理不尽で、死に逝く人の口からは怨嗟と憎悪が流れでて、少しの愛は周りの残酷さと理不尽さを際立たせるだけの、ただの調味料であった。
横を見る。酒に酔っているのか、少し目が重くて、少し顔が赤くなっている気がした。その顔は気の抜けそうな程、穏やかで、まるで良い事しか知らないような平和ボケした顔だった。
だから、つい気が抜けて、
「戦争は絶対に無くならない。人が言葉を尽くそうとも分からないやつには一生を使わせてもわかりはしない。そんな奴らが理不尽に戦いを起こす。そしてそれに漬け込んで楽しようとする奴が絶対に出てくる。そいつらは他人に戦わせるから、戦いを理解できない。結局、人は当事者にならないと、本当の理解はできない。理解できた時はもう手遅れだ。
もし、言葉が力になるなら、自分は理解できる人間には逃げろと言う。目に見えない理不尽は兎も角、人間からは逃げられるから。それに、理不尽は言葉では言い表せない……
結局は…、
──理不尽を知らない奴は平気で他人に理不尽を押し付けるんだ。」
レイは自分でも何が言いたいのかがわからない。ただ、自分の思ったことを、素直に話したことに自分自身で驚いた。ましてやディルグレアの意見に真っ向から反対する内容だった。普段の自分であれば、そんなことはしないのに。
そして、恐る恐る、横目で確認する。
(…?)
ただ、漢は酷く嬉しそうに笑っていた。声に出すわけでもなく、ただひたすらに、柔和な面持ちで。
「そうだな〜、相棒の言う通りかもな。人ってのは知らない事に弱いからな。
だったら尚更、仕方がないな。俺がなんとかして知ってもらえるように酒でも酌み交わしながら話でもするか。何回も、何回もな。結局人は、言葉にされないとわからない生き物だと思うんだよな。だから、俺は、諦めない。」
きっと、この人も酒のせいで何が言いたいのかが形になりきれていないのかもしれない。そんな雰囲気を感じる。
そんな漢の考え方は、解らなくはないが、それでも判りにくい、そう感じた。
「何回も話せば、解り合える可能性は上がるかもしれない。でも、そんな悠長に時間を使っていたら、どこからか理不尽が押し付けられるかもしれない。」
時間が有れば、もしかしたら、そう考えることは、自分でもわかる。
ただ、物事は悪い事の方が伝わりやすい。そんな時間は無い。
「そうかもな。 …だったらよ、
レイが黙って考えていると、ディルグレアが口を開いた。その声は、先程の顔と同じくらい優しくて、低い声で、
俺が言葉で人に勇気を与えるから、その時間を相棒が稼いでくれ。人が勇気を持てるまで、そいつらに降りかかる理不尽を、相棒が、全部取り除いてくれや。」
「…取り除くって、そんなの、
「理不尽を知らない奴は、理不尽を人に平気で押し付けるんだろ?だったら逆に、理不尽を知ってる奴は、理不尽を取り除けるはずだ。違うか?」
レイの言葉を遮り、言葉を口にする。それは、あたかも当然だと言うような口調だった。
「…いや、それをできる奴は強いやつだけだ。自分にそんな強さはない。自分は今が手一杯だ。そんな余裕はないよ。」
どれも真実だ。人を助けるには力がいる。自分にはそれが無い。
(あぁ…でも…)
─自分に力があればと、考えない日はなかった。
眼の奥に浮かぶのは、元の世界。
だから、
「もし、自分に力があって、余裕があったら。その理想に協力できるんだけどな。」
ただただ、漢が羨ましかった。思わず、言葉が漏れる。何故、話してしまったのかは解らない。もしかしたら、彼の能天気さに当てられたのかもしれない。
その答えに漢は、快活に笑うと、
「ワッハッハ、その答えが聞けりゃ充分だ。流石は相棒だな。んじゃ、その時がきたら俺の理想に文句でも垂れながら付き合ってくれ。」
本当に愉快そうに笑っていた。
───
──────
──────────
「んじゃぁな!相棒!死ぬなよ!」
ディルグレアが豪快に笑い、豪快に荷馬車から飛び降りる。
首都カルミルへの旅路は酷く順調に進み、目的地まで後3日といったところだ。
そして、ディルグレアはここから別行動になる。元々、彼は別の目的でこの商隊の仲間となったのだ。何日か前に聞いた話では、ある村に危険な奴が現れたやらで、友人と討伐をするそうだ。その村迄の道筋にこの商隊が丁度良かったらしい。
レイの目の前で、漢が手を振っている。それに、慣れた調子でレイは答える。
「はいはい、そんなに簡単には死にませんよ、おっさんも調子こいて足下救われないように。」
「ワッハッハ、俺の足下救える奴には逆にあってみてぇな!」
ここ何日かで慣れ親しんだ雰囲気で、やり取りをする。その後はあっさりと去っていった。
嵐のよう、とは彼のことを指すのでは?と思えるほどだ。
再び、馬車(引いてるのは犬)に揺られていると、これまた慣れ親しんだ声がする。
「レイくんとディルグレアさん、本当に仲良くなったね。レイくんの話し方もなんか気さくな感じだったし。 私にもそれくらいで良いんだよ?」
隣に座っているイリミナがそう茶化したように言う。
「いや、何というか、おっさんが話し易いというか、不思議な感じで。慣れというより…う〜ん、なんと言うか…。
でも、その内にイリミナさんにも、もう少し、砕けた感じにできたら、とは、思います。」
「マスター、コミュ症みたいな話し方ですよ、ウケる。」
「ちょっとディア、だまれ。」
「ぷっ…ふふふ…」
兄弟のやりとりに思わずといった風でサリミヤが口元を押さえている。話題を振ったイリミナは
「ふ〜ん、それはいつになるのかな〜、ディアちゃんの見立ては?」
「2年後とかじゃないですかね?」
「それは、流石に…」
(無いよね?…)
「う〜ん、じゃ〜、待つしか無いね。気長に待つけど、レイくんも努力してよ?」
「はい、善処します。」
「なんか堅い。もっと努力して。」
「…はい。」
そんな感じで、いつものイリミナであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
首都が見えてきた。周りは深い森に囲まれており、その森の中心に首都がある。首都には城があり、その周りを下町が、そして下町の周りに石でできた壁が見上げるように立っている。そんな、レイの頭の中の知識にある首都とそんなに変わらない、言ってしまえば想像通りの都市であった。
(それでも楽しみだけどね。)
検問を終え、巨大な門を潜ると、直に大通りに出ることができた。周りには人が大勢、人と人とがぶつかりそうな程だった。そう、周りを見渡していると、
「よし、ついたぞ。ここがこの首都にある、コルメルク商会の支店だ。」
天幕から顔を出せば、中々に立派な、石でできた建造物が。そして、この建物に着いたということは、
「坊主、初任務は達成だな。お疲れさん。」
そう言って、御者台から降りてきたキズのおっさんが、レイの肩を叩く。
それからサリミヤも労いの言葉をレイに。そこまできて、やっと、自分が任務を終わらせたのだと実感が湧いたのだった。
その後は意外とアッサリした別れであった。というのも、この商隊はまた別の都市へと直ぐに発たなければいけない仕事があるそうだ。サリミヤもそれに同行する。1日、カルミルで休息を取り、次の日には出発していった。サリミヤとイリミナ、ルディアは、別れに名残惜しそうに、出発する寸前まで話をしていたのが印象に残っている。もちろん、自分も何も思わなかったわけではないが、女子の集団に入る方ほどの勇気が無かったのだから仕方がない。そう、仕方がない。決してコミュ症でも陰キャでもないのだ。
そして、今は出店を回っている。あの人通りの多かった場所には出店が多く出店されていた。今、レイはひたすらに、
(なんて言うんだっけ?これ…あ、ケバブだっけ?)
回りながら焼かれている巨大な肉の塊を眺めている。
(はぁ〜、まさかな〜…)
レイは今、少し段差になっている所に頬杖を突きながら座っている。1人でだ。イリミナとルディアとは別行動、と言うより、逸れてしまった。思ったより人が多かったのだ。予定では、初任給で日頃の感謝をイリミナにしようと考えていたのだが…。
そう、心の中で溜息を吐いていると、
「おい、兄ちゃん。何か悩みか?相談に乗るぜ?」
やたらと甲高い男の声が聞こえた。隣を見ると、腕を組み、歯を光らせた、短パンを履いた少年が、良い笑顔で立っていた。暇でしかないので少年と話すことにする。
「自分は今、迷ってるんだ。」
「そうか、悩みがあるんだな、話せよ。聞いてやるよ?」
嘘ではない、物理的に迷ってるのは確かだ。
「日頃の感謝を伝えたいんだけどな、上手くいかなくて。」
「相手はどんな奴なんだよ?」
「綺麗な女の人だよ。」
「なんだ、青春してんのか?」
「いや、普通にお世話になってるだけだよ。」
言葉を学べる環境を提供してもらい、その間と旅に出てからの衣食住をも提供してもらっている。そのことを少年に伝えると、
「…うわぁ、ヒモかよ兄ちゃん…今の聞く限り最低だぞ…。」
「やっぱそうだよなぁ。」
何となく感じていたことを第三者に指摘されると、なにか、くるものがある。隣を見ると、平凡な印象の少年が溜息を吐き、誰かを憐れむような目をしていた。それが自分なのか、イリミナに対してなのかは分からないが…。目測では9歳くらいの少年に憐れまれるのは勘弁ではある。
「そういえば少年、親はどうした?逸れたの?」
「ちげぇよ、母ちゃんは買い物中。俺ん家ボロ屋でさ、朝起きたら雨漏りしてて俺の布団が濡れてたんだよ。だから、母ちゃんと屋根を修理できる道具を買いに来たんだよ。そんで今は待ち時間ってわけ。」
「そうか…それは辛かったな…今度から気をつければ大丈夫だ。君ぐらいならギリギリセーフだと思うよ、だから大丈夫、気にするな。」
「違うからな?本当に雨漏りだからな?…おい、その目は何だよ!やめろよ!ヒモ野郎にそんな目で微笑まれたくねぇよ!?」
少年の肩を叩いてやる。少年は何かを堪えるように口を曲げている。だが、途端に緩んだ。
「あ、母ちゃんだ。兄ちゃん、いい暇潰しになったよ。あんがとな。あと、…本当に違うから!それじゃ、またな!」
少年が母親を見つけたようだ、少年の視線を追えば、それらしき、細身の優しそうな女性が此方を見て微笑んでいた。
少年はレイの隣から駆け出す。少年は母親の元に辿りつく前に、一度此方を振り向いて、子供らしい笑顔で手を振る。その時だ、
─何か分からない、悪寒がレイの全身を駆け巡った。
レイの目の前の世界が、一瞬止まったかと思わせる程、速度を落としたように動きが遅くなる。集中力が高まった時の現象か、それとも…
何故だか分からない、直感が赴くままにレイは少年の元に全力で走った。少年がレイが近づいたと認識すらできない速度で。そのまま少年を抱えて飛び、転がった。近くの小屋の壁に背中からぶつかり、止まる。その瞬間、
「───!?!」
鼓膜を破るのではないかと思わせる程の、女性の悲鳴が響き渡った。脈が跳ねるのを感じる。
自分達が先程までいたところを見ると、
男と目が合った。
「っ!」
丁度、肉を先程まで焼いていた筈の、男の店主の、
─頭が爆ぜる瞬間だった。
恐らく自分に起きる事象を理解できていないであろう、顔をしていた。男の胴体は肉を焼いていた体制のまま、見るに耐えない首の断面から血を吹き出していた。その男の隣で働いていた、妻らしき若い女性がその血で頬を濡らして、呆然と見つめている。
少年が先程までいた地点には、
(…?、泥?)
淀きった粘着質の液体が蠢いていた。あのまま何もせずにいたら、少年は…、そのことに背筋が凍る。
同じ光景を見た、大勢の人々が、同じ答えを出して、それが周囲に伝播する。周りは阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わった。ある者は、口を魚のように開閉しながら走りだし、ある者は隣の者を突き飛ばしながら逃げ、ある者は近くの建物に隠れ、ある者はただ呆然と受け入れられない現実に、ただ立ち止まって空を見ていた。
「む〜!ぷは、!兄ちゃん!苦しいって!どうしたんだよ?」
腕の中からの甲高い声で我に帰る。そのことに安堵しつつ、泥が飛んできた方角を見ると、
「嘘だろ…」
男の頭を爆ぜさせた泥が、無数の泥が、空を覆っていた。
そに絶望を目の前にして、レイは、
「早く!逃げろ!!!」
ただ、ひたすらに、その言葉を虚空に向けて叫ぶことしかできなかった。




