第六話 第六のアルカナ+第十のアルカナ+第十四のアルカナ+第十八のアルカナ その二
妙な間があった。僕と巫女さんは僕の部屋の玄関口で話し込んでたけど、それがとてもつもなく大切な事だった。ふっと話が終わると、彼女の目線は真っすぐに僕の眼を見ていた。その眼からは、彼女が何を想っているのか。彼女から出て僕に繋がる虹色の線がどのようなものなのか。僕にはそれが理解できなかった。理解出来ないというよりも、それはとても複雑で、幾重もの感情が織りなすステンドグラスで出来た絵画のようで、僕はただひたすらに打ちのめされるばかりだった。
「…」
彼女を見ている僕は、ただの高校一年生で、もちろん需要だってあるし割と女の子に興味がない振りをしているだけで、ただの一人の人間で。彼女はというと、ただひたすらなまでに美しさと可愛らしさと儚さで出来ていた女の子だった。これまでの人生で、それまで考えたこともない事を、僕はやっていた。僕の腕は生身の肉で、鼻もついてるし、鎧もきてないただの16歳だった。なんで彼女を包み込むように腕を彼女に回したのか、わからない。僕という人格は関知してない。理性的な感情じゃない、ただ、そうすべきなことだけをやってのけていた。彼女を抱くような仕草をしてからやっと自分に驚いてた。僕の本能が、生物としての行動の残滓が、僕という人間だった頃の心が、彼女を抱きしめるべきだったと思ってた。性教育を受けてなくったって、類人猿はちゃんと人間に進化してこれた。男が女性にどうすべきなのかを、本能で理解していたのだろうと思う。何十兆もある細胞の一つ一つが覚えている、数えきれない愛のドラマは、今この時にだって続いてた。
「何も知らないのに、こんなのなんてずるすぎますよ」
そんな声が聞こえてきた。
「いいんだよ、これで、いいんだ……」
この時、他の事は考えられなかった。きっと、こういう気持ちがあるから、人間は進化してこれたんだろうと思った。
「…」
そんな時、ドアがノックされる音が部屋中に響いた。それがとてもありがたく感じたのは、僕がきっとずるすぎるヤツだからだろう。彼女が心を決めてくれれば、ここで終わってもいいと感じた。僕の冒険は速やかに終了して、きっと幸福な人生だけがずっと続くのだ。でも。そうじゃない。そうできないから、謝った。
「ごめん」
「…長くなりましたね。廊下で王子の歩く音が聞こえてきました。空挺元帥も一緒です」
彼女は淡々とそう続けた。それから少し視線を下げて、悲しそうな寂しそうな顔を一瞬見せた。
「そ、そうなんですか」
警報の内訳、ここから先に起こっているであろう謎の現象についてだろう。多分、敵だ。戦いが匂いがしたから分かった。
「本当は服や採寸なんかもしたかったんですが、まぁ。それができるために頑張りましょうか」
巫女さんがドアを開けた。
「こんなところに居たのか。対策会議を始めるから物見台に急いでくれないか?前方の土地に正体不明の魔術汚染が拡大している件についてね」
王子の顔はやつれている。目に見えて疲弊してる。なんなら口臭にアルコールの匂いが含まれてた。きっと強心剤の代わりに酒を飲んだのだろう。
「戦略魔術師の予言と俺の予測演算を併せて、どうやら敵と衝突するらしい未来をはじき出してね」
「残念ですが、敵の監視部隊がいる中、不用意に英雄殿を危険に晒す事を出来かねます」
巫女さんがぴしゃりと続ける。
「レーセナルの自殺小隊を筆頭にナンバーズ、条件下での一撃必殺の範疇に踏み入れば、入れば我々は全滅必至です。丁度、我々の全戦力並びに有力な騎士大隊が保有されてる移動城塞の箱の一つに収まってるわけですから」
「巫女ちゃんも言うようになったね。移動城塞は王家の継承魔術、秘法だよ。信用して欲しいね。一応偵察部隊を送ってる。協力連携部隊はフロアに軟禁してる」
王子はポケットから小さなパンを取り出して食べてる。破片がぽろぽろ落ちてるのが気になった。
「ユッキーは巫女ちゃんから守護者の機構は教えてもらったかな?代々世襲制のあれこれや制約といったルール込々でさ」
「ええ…かなり残酷です」
残酷なものか。言った後に、その言葉は巫女さんに対するとても悪い意味での軽い同情なものだと気付いて僕自身の心にずさりと刺さった。
「仕方がない事さ」
王子は間延びして手を広げた。その反応で、王子が巫女の代々の家系である守護者を仕方がない事の一辺倒で理解してるように見受けられた。仕方がない事なのか。仕方がない事なのだろうか。やっぱり、仕方がない事なのか。
「公人だからね。市民なんて普通じゃない。行動原理は国民の幸福に基づいてるんだ。税金で食わせてもらってるって感覚とか。税金の中には血税や労役も入ってる。誰かが死ぬ事や苦しむ事に喜んで判子を押すお仕事がメインな王族だってね。たまに不安定になる。ちなみに今はかなりの大切なところに入ってるね」
自嘲気味にそう言ってポケットから煙草を取り出して火をつけた。ここ巫女さんの部屋なんですけど。
「各国へ使者を放ったのが25時間前。隣接の国ならば既に書簡は届けられてる時ですが、あそこに見える領域魔法は明らかに敵対行為。行動が早すぎますね」
「父上や母上は今回の討伐は他国が認めてないところを警戒してる。力を持ってる貴族も含めて。一番はサルビナを当て馬にして根こそぎ討伐の成果をかっさらわれる事。他国が災厄に対して有効な対策を用意してるとは思えない…けど。黙示録の発動は人類の死滅。この共通認識の前に秘かに対抗策を用意して災厄を葬る用意をしてるなら、これは番狂わせになる。連中は大陸最大の国力があるし、独立した魔法学院を手札にしてる。これがその戦争の始まりなのだとしたら、やるせないね」
王子は大きく息を吐いた。大量の紫煙に思わずむせ込む。
「人間の持ってる愛情やら友情、友好、信頼、大切な感情やこれまで培われた大切な人との繋がりの軽さを実感するね。人間の持つ裏側の部分、邪悪な欲望の部位だ。これだから嫌なんだ。支配欲丸出しにして、何を生き急いでるのか分からないね。本当に。だからね。俺はユッキーのようなヤツが傍にいてくれてさ。ほっとしてたんだよ。大切な事を大切に思えるし、簡単に踏み躙るような事をしない。だからさ。俺たちがここで死んでもしょうがないやって思ってたんだよね。こいつに託してダメならしゃあねぇなって。まぁだから。俺はユッキーが守護ったこの国を、継ぐことに決めたよ。王座に就くよ」
「それは初めて聞きました。放棄も出来ない世襲では?それ聞いたら怒って本気で半殺しされますよ」
「いや。見切りをつけるのも半分があった。貴族社会って苦手でさ。社交界とか。ビールもワインも俺は大嫌いなんだよ」
「そしてここは私の部屋で禁煙なんですが」
「こういう時ぐらい吸わせてよ。こっちは徹夜で戦力の確認という名目の裏切り者探しで大変なんだよ。それに付随した暗号通信の解読と偽の返答で疲労の極致さ」
「だからその顔なんですね」
「王族の仕事は国民が寝てる時にやる事なんだよ。ごめん、下品過ぎた」
少しの沈黙があって、それから口を開けた。
「僕が災厄を倒して、それで世界が平和に拓けるって話じゃなかったんだ…」
「こういう言い方はアレだけど、普通に戻っただけさ。人間の最大の娯楽は戦争だからね」
皮肉めいた調子で王子は言った。
「言い過ぎです」
「真実だろ。こっからは生さ。リアルで本番でガチンコの。俺は国民が死んでからやっと動くような無能じゃない。だから、俺はユッキーの力を借りたいんだ」
「僕の…ですか」
「そう。極端な話、最大の国力を有するエルセダスに英雄殿の力を見せつければ、皆黙ると思う」
「英雄殿を抑止力に祭り上げるつもりですか」
「リスクはある。でも、リターンは最大だ。千年、いや五百年は平和になると思うよ。ついでにうちの国民は無税にしちゃう」
「リスクはありますが、もう英雄殿の仕事は終わりました。速やかな帰還が英雄殿への最大限の返礼では?」
「まだ終わってない。プロローグが終わっただけ。本編はここからだ。あったまってきたとこだろユッキー?」
僕は首を振った。
「それは僕の力を当てにしてるってことですよね」
「もちろんだよ」
その笑顔が、とてつもなく嫌に思えた。当然の事だ。この鎧はこの国のものなのだ。そして召喚された僕は………。一瞬脳裏でよぎる光景は、とても見たくないものだった。
「…」
サーヴァントじゃない。命令されて誰かを殺す機械なんかじゃない。そういうのは、多分ダメなんだ。
「王子様。あなたの目には、どんなものが映ってますか?」
僕は質問した。
「千年王国を築ける英雄。この世界を平和にし、統一に導く勇者さ」
僕は愕然とした。それがとてもつもなくこの上無い最上の至高であるとともに、それが僕に対する生き様の終焉でもあるようだった。僕は、そんな事が欲しかったわけじゃないけど、やっぱり世界はそれを望むらしい。
「…」
「英雄殿はお疲れのようです。王子。何か動きがあったら、言付けください」
巫女さんはそう言ってくれる。僕の心が分かったみたいに。
「そっか。すまないね。俺は物見台に上がって様子を見てくるよ。一つ言っておくけど、もうこの世界の中心はユッキーだ。これからもずっとね」
「…」
ドアから出て行った。空軍総帥は巫女さんの部屋には入らず、部屋の間口で深々と頭を下げられた。
「ロザルクが同伴していたという事はつまり、王家と軍の総意が語られていたわけです」
巫女さんは彼らを見送った後に強い口調でそう言った。
「英雄殿の、今後の計画になります」
「僕の老後プランが大分崩れてきちゃったかな」
生まれて初めて、僕には格好つけたい女の子が出来た。
僕のちょっとした軽口に、ふふっと少しだけ笑ってくれたのが、僕にとってのなによりの救いだった。
「都市機能を防衛に特化運用、サーヴァントは殺すな!祭祀とボーエリーの首には傷をつけないよう拘束しろ!」
エルセダスの王宮から一人の女が轟音を立てて内壁を破って飛び出した。
「綺麗な空、十五年ぶりか…」
「偉大なるワンダーの名を冠するナンバーズ、サーヴァントの会敵しました」
大聖堂の屋根の上で月を見上げた後、賊である女は追手を一瞥の後呟いた。
「三分だけ待ってくれない?あとちょっとで泣けそうなの」
「問答無用だ」
「残念ね。私もそれなりに対処するしかないじゃない」
ナンバーズは彼女の武器を見ると、管制官に彼自身の両親への謝罪の伝言を短く伝えた。