第三話 第十三のアルカナ、死神
時計を見た。ジッと凝視する。秒針のメモリの位置が動き出すとき。一秒と一秒の間をじっくりと凝視してみる。体感時間でそれが20秒程にも感じ取れた。そしてちょっと意識を外すと一秒はあっという間に進んでく。
「この一秒がどれだけ大切なものか…」
そしてばたんとベッドに横になる。相変わらず体感上は裸のまんま。シーツの肌触りも直に皮膚を通してるように滑らかだし、洗い立ての匂いだって薔薇の香りが鼻先で匂う。
「試してみるか…」
一応自分の出来る能力を把握しておく。時計の想いを意識的に目で合わせる。作成者、これまで時計を触れたヒト、今見てる僕、これまで時計を見たヒトへの糸が無数に出現した。そっとその糸を手に取る。カッチコッチと音が聞こえてくる。壊せる。そう思った矢先、僕からも糸が伸びる。壊そうとする想いが視覚化される。その糸を軽く触れると、時計を壊せそうな気がしてくる。どう壊すかも、想い次第。スクラップ場で押しつぶされたように潰すのか、電力切れのようにただ動かなくなるのか、ネジ状に捩じ切れるのか、野菜をカットするようにスライス状に切れるのか。
「生物と無生物、動物と人間にも、僕の能力が適用されるのか検証する必要があるな」
言ってて自分で怖くなってくる辺り、僕もまだまだニンゲンなんだなと思えてくる。鎧との融合でもまだ、精神は元のまま。いや、むしろありがたいか。人格までとんでもなくなったら…。
「はぁ」
またまたベッドに倒れ込む。鎧のままベッドで寝るってどういう事だよって思ったけど、スプリングが効いてるのか、なんだか寝心地がいい。僕は大抵こんなんだ。生き急ぐ人を横目で見ながらコタツでみかんを頬張ってる。それがどうしてこんな役目を背負う事になったのか。僕が特別、魔力を一番持ってなかったからだろうか。だとするなら、地球上で一番魔力の無い人間コンテントで第一を記録したことになる。誉れ高いと言えるのか言えないのか。それとも、僕の持つ、こういうのんべんだらりんとした特性によって選ばれたのか。自分でも知らない何か特別な能力があるのか。ピンチの時に覚醒して凄まじい勢いで盤面をひっくり返して超絶イケメンの顔で粋がったセリフを吐くのか。
「…はぁ」
変にベッドで寝転がってるせいなのだろうか、どこかまだ夢のような気分になってくる。こんな世界でこんな場所で、こんなことをやってるのに、どこか現実感が薄れてくる。―――お腹の周りが、まだ冷えてる気がする。
「…」
目を閉じると、そこには僕の知らない誰かの顔が浮かんできた。浮かんでは消えていく。この鎧を着た人たちだと直感した。子供もいるし、大人もいるし、老人だって、男女関係無く、浮かんでは消えてゆく。だから、なんとなくは分かってたのだけれども、きっとこの中に、いずれも僕も入るのだろう。この鎧の中に溶けて混ざって、また次の力無き者への力となるのだろう。誰も知らない、名前も分からない、どれだけ過去かも分からない、偉大なる人物達の想い。この鎧は、そんな想いを力に変えている。巨人もいたし、人魚だっているのじゃないか。この鎧は、決まりきった未来を打ち破る力を持っている。そう感じた。ただ。鎧を着込んだ者は、そう長くは生きられないらしい。流せる涙はもう無いし、込み上げる叫び声も出てこない。やがては、僕もまた、ぽっかりと開いた空洞になってゆくのだろう。
「…」
時計の秒針の規則的な音が聞こえてきた。少し眠ってしまったらしい。ふと時計を見ると、秒針の動きが鈍くなっている。意識してさえすれば、一秒の体感時間を長く感じ取れるのか。
「…」
頭から靴まで見える姿見の前に立った。どう見ても黒い鎧をぴっちりと着込んでいる兵士に見える。鏡から視線を外して自分を見ると、やっぱり腕や手、足なんかは普通に裸のまんま。腕を少しつねって血が出るかを確かめる。つねってもつねっても痛くない。頑張った結果千切れたと思った先から再生してて、血も出ない。戦闘の最中でハイになってたとはいえ、頭を肉体から切り離されても怖くもなんともなかったあたり、やっぱり僕はちょっとどこかおかしいのかもしれない。
「不思議とやる気が出てるだけいっか」
ファンタジー世界に憧れてはいたものの、まさかこんなことになってしまうとは。あらためて考えると、正直こんなのないって思う。こんな鎧じゃあんなことやこんなことは望めないだろう。頑張ってとらぶるか。まぁいいさ。古き良き少年ジャンプの妥協ラインで十分じゃあないか。
「…」
手狭な部屋にしつらえてある窓を開けた。森特有の朝の匂いが鼻をつく。外を覗くと、目の前に広がっている大草原の先に黒い暗雲がいっぱいに空を侵食していた。時間はおそらく朝方なのだろう、暗雲の上空には太陽らしきものが輝いてる。それがなんとも不思議な気持ちになってくる。
「星空みたいだ」
ちりちりと光る無数の星々に閃光が星座の線をなぞるみたい。窓から顔に当たる風の気持ち良さを感じた時、突然警報めいたサイレンのような音が鳴り響いた。警報が鳴っているということは、つまるところ良くない事が起こるという事だろう。姿見に向かって大きく口を開けた。そこにはちゃんと歯が生えてる。ように見える。けども、その歯には歯科医にやってもらった銀歯の治療痕が残ってないし、歯並びが良くなってる。そしてなにより、口臭は多分大丈夫、鼻毛も出てないし、歯に海苔もついてない。…行くか。
「なんとかなるもんだ」
自分自身に戒めるように言った。窓から香ってくるのは、戦いの糸。敵か味方か、どうなるのか。いずれにせよ、戦いの香りが部屋いっぱいに満ち溢れてる感じだ。のんびりしている余裕はもちろんない。
「出撃か」
部屋を出た。物見台というよりは、もはや屋上と呼ぶべきかもしれない。既に招集済みのようで、勢揃いしている。王子がにっこり笑って手を振ってる。
「こちらへ…」
一歩進もうかと思うと、僕専属の身の回りのお手伝いをしてくれる女の子が僕の背中に触れた。
「…ぁ」
肩まで髪がかからないボブカットの綺麗な女の子。ただ、その目は僕の心まで射貫いているような不思議な目だった。
「今後はあまり、人前に可能な限り出てほしくはありません」
少し先のところでは、軍服を着込んだ軍人達がクレヨン顔の軍事顧問を中心に話し合っている。その輪には王子も入ってる。
「こちらへ来てください」
「えっと、あっはい…」
どうすべきか迷ったが、彼女の指示に従う事にした。彼女についていく。階段を降りて進むと、どうやら僕の部屋の隣が彼女の部屋らしい。そこに入る。女の子の部屋に入る時、多少の抵抗があったが、この際だから気にせず進む。変などきどきが心の中から滲み出てる。生きてるとこういう事もあるってことだ。
「念のために部屋を封じます」
彼女がそう言うとドアに向かって思いっきりスプレー缶のようなものを吹き付けた。
「えええっ?」
「あの中には、監視兵もいますから。可能な限り、英雄様の情報は出したくないのです」
スプレーの音が響いてるけど、そんな事を言われた。
「監視兵っですか」
「そうです」
ショートヘアの髪の毛の間から、紫色のイヤリングが見えた。
「現在隣接している大国モッヘルビナから、此度の災厄の鎮静化へ向けた助力とした一部隊を送っているのです。部隊の中には明らかにワイヴァ―ンの騎乗には不向きの隊員も存在しており、その任務は恐らくは、情報収集だと思われます。昨日の出撃の際、この砦に残って不審な行動をしていた隊員も目撃されています。このフロアは、VIP専用のフロアになり安全は担保されておりますが…。魔術師の能力によっては、空間操作を得意とするなら、英雄殿はどこか与り知らぬ場所へと追放されてしまう危険もあるのです」
物騒な話になってきた。大分。だいぶ。
「心配してくれてありがたいんですけど、多分大丈夫ですよ。ほら、無敵の能力なんかのアレで…」
「この世の中には絶対はありえません。宝具ですら破壊された例もあります。モッヘルビナは、目的のためには手段を問いません。魔術師育成のためには、過去には酷い人体実験を率先して公的な魔法学校の授業として取り組まれた例もあります」
「う。それは酷いね」
魔法学校最低だ。ホグワーツはそんなことやらない。
「訓練された兵士の殺傷能力の高さがお分かり頂けると思います。能力を一段階引き上げるためなら、無作為選んだ自国の民すらも犠牲を強いる。サルビナでも居ないとは言えませんが、モッヘルビナの魔術大家は往々にしてこのような傾向が強く、歯止めをする機構が機能しておりません。それが何世代にも渡って今もなお、研ぎ澄まされ続けているのです」
「なるほど」
それでも、僕が殺されるところなんて、まったくもって想像できない。
「毒が聞かないなら、溶岩に、或いは宇宙に転送してしまう、異次元に送ってしまう、物理ダメージも魔法ダメージも聞かないなら、それ以外で無力化させる。閉じ込める。視界を奪う。精神を壊す。こういった、攻撃特化の強みを生かした一撃必殺の可能性も出てきます。英雄殿には私の言いたいことが伝わりましたでしょうか」
「言いたい事は分かったけど」
「ここからは、災厄の終わりは、新時代の到達に他なりません。これまでは、世界の終わりの阻止、人類の存続の一点で国同士の協力、連携が成されてきました。この秩序が崩れたのです。各国が世界覇権を目下とするでしょう。その下地として障害を取り除く謀略も。英雄殿は、これらの中心におられるのです」
生唾を飲みこんだ。
「サルビナは世界が注目し、その焦点は英雄殿に向けられます。そして、謀略が仕組まれるのです」
「ただの身の回りのお世話をしてくれる女の子じゃないようだね…」
「私の人生は、来るべき災厄を果たされた英雄殿へ、あらん限りの感謝を捧げる事。我が大家の命題は、守護。この世界が英雄殿にとって過ごしやすいようにお手伝いするのが一番の主題なのです」
「それは、とっても嬉しいなって。僕が中心か…」
そうかもしれないし、どうにもぴんと来ない。多分バカだからだと思うけど。
「そこまでの価値は無いと思うけど………そもそも、世界がこれで救われたのなら、召喚された僕は元の世界に戻れるんじゃないんですか?」
「残念ですけど、人類史はここから混沌のるつぼと化すでしょう。これまで育まれた武力を背景に、溜めに貯まれた想いは、共通認識である明確な敵を失った今は決壊寸前のダム。…血が流れるのです。戦争がやってきます」
そしてそれはやってきた。
大国の頂点に位置する支配者と、副たるものの首が並んでいた。彼女の腰回りにそれがさもアクセサリーのように飾られてる。
「絶対の救世主、世界に巣食う邪神の討伐は引き受けよう」
にべもなく更に告げる。
「でもそれ以外の支配は受け付けない」
「第十三のアルカナ、予想以上だな」
副たるものは呟いた。