第十二話 第七のアルカナ、戦車 その二
めくるめく夢のような日々も、上滑りしてるような気分で、どこか地に着かずに流れてゆく。上流階級の舞踏会も、お茶会も。根が貧乏根性丸出しなのが原因だと自分でも分かったけど、根っこの部分はどうしようもない。言われるまま笑顔で会釈と挨拶に付き合って、それがとびきりの美人でも、正直言って、美人もカワイイ子も俗にいう美しさそのものに飽きがきてた。二日間の日程でもう、お腹いっぱい。精神的に疲労してきてる。今日も丸一日、偉い人の話を聞いて頷いて、一日が終わった。縁談もデートの約束もお腹いっぱい。断るのも気が引けるのでいっそ恋人がいるという設定にしようかとすら考えてしまう。日常がもう非日常に変わって、終わってしまうだろう自分の人生が実はまだ続いて、しかもそれが段々と加速しているような。いや、加速しなきゃいけないんだろうけど、正直人付き合いは苦手だ。
「今日も一日お疲れ様でした」
王宮の中の一角、隠れ家的なポジションにある守護者の家で、ようやくだらっと出来た。これから直ぐに明日の準備をしなければいけない。
「お疲れ様です。えっと。明日何時でしたっけ?」
「明日九時からロメーヌ皇帝との朝食が予定されています。十二時からはドドル大将軍との会食です」
「はーい…」
お、お腹いっぱいだ…。すっごい良い話を長話して、関心できるのは、頑張って4時間ぐらい。もう夜の部とかなると、うとうとしてくるし、王都を見渡せるテラスハウスで美しい貴婦人とデートみたいな事をやってても、ちょっとジュース飲んじゃうと眠ってしまったし。
「お疲れのようですね…」
「でも、皆、英雄がどういうヤツか気になるし、最低限人柄を知ってもらっておかないと今後の国際情勢に影響が出るって王様と王子に言われてるからね。一応、血税で衣食住を賄って貰ってるし。公務員扱いなら、公僕で、嫌でも頑張らないといけないからね…」
「嫌なら嫌でもいいじゃないですか。それが精神的に疲労してしまうのならば、私としては見過ごせませんよ」
テーブルには食べれる香木が置いてあり、ぼりぼりがりがり食べながら、テーブルに突っ伏してる。巫女さんとも、なんだか慣れてしまったみたいだ。人間の不思議。
「そうですか。それなら、マッサージなんてどうですか?」
「マッサージですか。いいですね」
肩揉みしてくれるならありがたいかも。
「こちらへどうぞ」
施術室に案内された。薄暗い照明の中、スポンジのような表面の背の高いベッドが置かれている。
「とりあえずこちらに着替えてください」
言われるまま着替えようとすると、パンツが一枚そこにあるだけだった。
「パンツ一枚だけですか?」
しかも、薄いしいかにも破れやすそうな男物のパンツだった。これ海藻で出来てるんじゃないか?
「上半身は何か着る必要はありません」
「そうなんですか」
本格的なマッサージだな。アロマとか使ったりするんだろうか。ちょっと楽しみだ。
「…色々用意しますので、着替えてベッドに横になっててください」
「わかりました」
部屋から出ていくのを確認すると、来ているやたら豪華な装飾が施されたスーツというかドレスを脱いで、貰ったり借りたりしていたアクセサリーも全部脱いでから、海藻パンツを破れないように履いた。気付いたけど、腹筋が見事に割れてる。やべーな。海に行ったら多分モテる。なんて俗な事が一瞬脳裏をよぎったけど、僕はもう既にモテていた。モテるレベルなんてもんじゃないぐらいの神格化だ。下卑たどすけべ根性丸出しの阿呆な自分も、まだどこかにいてちょっぴりほっとする。
「このベッドって穴があるんだ。うつ伏せ用か」
言われた通りにごろんと横になる。天井には星空が描かれて星座の線がなぞられ、対応した絵が写実的に描かれている。
「…お待たせしました。では、始めますね」
「宜しくお願いします」
そう言うと、僕の頭部の場所まで回り込んでから、なにやらひんやりするものを目隠しするように乗せられた。ゼリー状でスライムのような感じ。
「少しひんやりしますけど、段々温かくなってきますから。眼の奥の神経の疲労物質を取り除く作用があるんです。脳の疲れは目の疲れ。逆も然りですから」
「なるほど。けっこうひんやりするんですね」
「それじゃ、先ずは全身の血行を良くするためにローションを塗り込みますね。これもひんやりするので大分気持ちいいと思いますよ」
「お願いします」
ひやっとするものが巫女さんの両手によってお腹から全身に塗り込まれてく。胸元から首筋、腰から足まで、あっという間に塗り込まれた。オイルだろうか。なにやらラベンダーやらジャスミンやら、そういう心地よい香りが漂ってきた。なんだか空気出てきたように思える。よくある駅前のマッサージなんかはこういうのなんだろうか。
「次は更に疲労物質を取り除くオイルを上に塗り込みますね。更に冷たく感じると思いますが、多分丁度いいと思います」
「お願いします」
更に塗り込まれる。今度のは結構固くて伸びにくいらしく、巫女さんの手に力がこもってる。同じように段々と伸ばしてく。首筋まで上半身に。やがて腰から下半身に。
「ちょっ。そこはいいです」
「施術ですから全身の血流を整えなければなりません。足の付け根の部位は特に筋肉と神経が集中する大事な場所で、最も疲れが溜まりやすい場所なのです。丁寧なメンテナンスが必要なのです」
「なるほど。お願いします」
ふむふむ。確かにその通りだ。こういう時、恥ずかしがってたらいけないな。太ももは大切だ。骨まで行き渡らせるマッサージなんて凄そう。確かに力を込めてて、気持ちいい。かなり気持ちいい。
「ちょっ!そこはいいです!」
「男性器官というものは、排泄行為にも使用されています。つまり、年中無休で休まるところを知らない場所。外界と内界、自分の内側と外側を行き来する大切な器官。この器官の筋肉の衰えは、老後にたたります。夜に頻繁にトイレに行く、トイレに行ってもスッキリしない、トイレを我慢できない。メンテナンスを怠ると、迷惑がかかるのは、ご自身一人じゃなく、大切なご家族にまで迷惑をかけることになってしまいます。なによりもご自身のお体を労わる事が肝要なのです」
「なるほど。お願いします」
僕を配慮してのことだろう、ささっと塗られた。本格的なマッサージだな。かなり舐めてた。反省する必要があるかもしれない。身体のメンテナンスは老後の事も考えて、健康というなによりも大切なもののために必要な事なのだ。一瞬でも恥ずかしいと感じた僕こそ、恥ずかしいのだ。
「施術前の塗料は完了しましたので、次からマッサージに入りますね。痛かったら痛いと言ってください。全身をマッサージしますから」
「わかりました」
今度は頭からマッサージされた。力を込めて頭皮をマッサージしてくれる。髪の毛ではなく、頭の皮へのマッサージを体感できた。なるほど。今度シャンプーで自分で実践してみよう。更に首から首回りも念入りに。そして、肩も。
「気持ちいいですか?」
「はい。かなり、気持ちいいですね」
入念な首回りの後は、胸の筋肉。胸の筋肉へ…。え?
「…」
当たってる。丁度寝ている僕の頭から背を伸ばして僕の胸部へマッサージが行われているのだ。必然として、巫女さんの身体も僕の顔に当たってしまうのはもはや不可抗力である。
「…」
気付いてる?気付てない?いや、これ言った方がよくないか?当たってますよって。でも、これはちゃんとした施術なのだ。なにもやましいことなどない。―――決して。
「…」
や、やわらかい谷間に、妙に顔が当たってるのだ。ヤバイ。そう感じた。案の定、マッサージの途上にも関わらず、僕の意思とは無関係に大きくなってきていた。
「すいません、ちょっと当たってるんですけど」
「すみません、すぐ終わりますので」
柔らかいものが僕の顔に上下する度に何かは大きくなってゆく。これやばない?やべーよ。まずい。折角本格的マッサージを行ってくれているのに、こんなんじゃあ台無しだ。そう思ってるとやっと終わったらしく、頭部から移動して回り込んでお腹周りを開始してくれる。
「気持ちいいですか?」
「え。ええ。気持ちいいです」
お腹周りのマッサージは思いの外、気持ちいい。ツボがあるのだろうか、程よい刺激で心地良い。
「鼠径部に入りますね。少し痛いかもしれません」
「はい。お願いします」
そけいぶって何だ!?と思ったけど、ふとももの付け根の部位らしい。外側から押さえ込むように解してくれてる。そして内側へ。
「ちょっ!そこはいいです」
「他人にマッサージをするのは初めてなので、練習がてらやらせてください」
「えっと。はい。まあ。それなら…」
力を込めて、付け根の部位を集中的にツボを押してくれる。お尻周りまでいきそうなまでに深くまで入念にマッサージをされる。当然のことながら、いろいろと触れている。
「様々な刺激があるので、反応してしまう部位もあって当然ですから。熱がこもる場所も柔らかくなる場所もあります。あと、トイレに行きたくなったら、そのまま出さずに仰ってください。尿瓶を持ってきますので」
「あっはい…」
少しふんわりとしてる部位へのフォローだろう。僕の尊厳を保ちつつ、ちゃんと説明してくれるのはありがたい。
「次は、少し痛いかもしれません。デリケートな場所ですが、我慢してください」
「えっあっはい…」
そう言われると、男性器に何か触れられてそこから。
「ちょ!ちょっと!!ストップ!!マジストップ!!!!」
「はい?」
「マッサージじゃないでしょそれ!!アウトだよ!完璧だよ!」
これを描写してしまったら、間違いなくアウト。確信してしまう程の衝撃が僕の脳髄に直撃してる。
「アウトではありません。このオイルは、血行を整えると同時に細胞に栄養を与えます。十分な発育が行われると同時により清潔に。そのためには、皮を引っ張って余すところ無く塗り込むことが肝要なのです。過度なストレスによる疲労物質の蓄積は、肉体の筋肉や細胞に不健全な影響を与えます。最悪の場合、機能不全に陥る可能性すらもでてくるのです。確かに恥ずかしい部位と思われるかもしれませんが、助産師が恥ずかしいと思われますか。医師が皮膚を切開し内臓を見られる事を恥と思いますか。餅は餅屋。ただですら、この世界に上手く順応するためには肉体と精神と魂に負荷がかかってますのに。疲れやすいと思われてませんか?順応するためには、やはり人の手を加える必要があるのです」
「なるほど。お願いします」
確かに必要な事ならしようがない。説明を聞いたら理性的になって、頭と部位が柔らかくなってきた。なるほど。肉体の維持に必要な事なのか。
「ただ、そこは後で僕がやるので、他をお願いします」
「かしこまりました」
足も丁寧に筋肉をほぐすようにもみもみされる。もう終わりかな?そう思ったとき。
「では、次はうつ伏せになってください」
そうか。背中の筋肉がまだなのか。
「はい」
そのままごろんとうつ伏せになる。目に置かれたスライムはそのまま吸着してるようで、取れずに気持ちいいまま。
「背中も同様に行います」
「お願いします」
同じような手順でマッサージされて、もう終わりかなと思ったときだった。
「ちょ!ちょっとそこはいいですから!」
「では、チェックだけでも」
「いいですから!そういうのマジでいいですから!」
「私は医師免許を持っています。異世界からやってこられた場合のこの世界の食べ物によるなにかしらの害がないかはわかりません。少なくとも、寄生虫の有無を調べる事も大切です。重ねて言いますが、私は医師免許も持ってますから」
怖い事を言われた。寄生虫とか、本気で怖いんですけど。気遣ってもらったのだろう、さくっと終わってさくっと終わった。
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
立ち上がった。確かに違う。身体が軽くなったようだ。身体もぽかぽかしてて、実に快調。本気で体感できてる。
「うわっ結構効果あるんですね」
「もちろんですよ。ただ、これを、寝る前に一本、朝に一本注射し血に入れてください」
そう言って注射器を渡された。
「え?なんです。これ」
「蟲が居ました。私もまさか本当に居るとは…。人造蟲の型、これは初めて見て、これまで確認されたものじゃありません。賊による魔術。ですね。発見が早くて良かったです」
「マジ…ですか」
そう言って巫女さんは人差し指を見せる。そこには半透明のナニカが居た。
「まだ未活性状態で、特別な条件下で活動するタイプですね。それとも時間経過による潜伏期間か。操作系統の蟲なら、手の打ちようがないところでした」
「それってつまり」
「賊が潜入しているということになります」
「脳への侵入前に気付かれたか…」