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第十話 第六のアルカナ+第十のアルカナ+第十四のアルカナ+第十八のアルカナ その四

扉を開けたら、身震いする程の衝撃が全身を貫いた。自分のぐらいの大きさの綿菓子で出来たありがとうという平仮名文字が打ち付ける。そんなショックが全身を巡って、血に乗って脳髄を駆け巡って、それがまだずっと身体の内側から残響として轟いてた。世界から隔絶された場所から、世界のドアをくぐった矢先でそれだった。そこからが大変だった。あらゆる感謝と祈りと希望が、僕めがけて飛んできてた。想いの力が、質量を持つなんて初めて知った。何千じゃない、何万ですらない、何十万も超えてる、何百万?もっとだ。何千万、いや、何億。多分違う。足腰が震える程の、感動で涙が頬を伝う。手からは汗が、顔が紅潮し瞳孔が開く。人間だけではない。この世界のヒトが作り出したモノだけでもない。この世界の木々、海、自然、幾億にも渡る進化を遂げた大森林の生物達、そしてこの星。


「どういたしまして」


聞こえずとも届く声が、数えきれない生命が、僕に祝福の賛辞を送っているという事実。王宮の真上に位置する緊急避難通路から望む世界は、僕という一人の人間に向かって感謝というエネルギーを送っている。無尽蔵にも昇るエネルギーの一端を根拠に、そこから僕は、世界を視た。更に先を。人々の営み、自然の猛威、国々の発展、そして永遠に渡って君臨する僕という人物が歴史に刻まれる。僕の顔が、未来永劫この世界に刻まれている。望みさえすれば、僕は、この世界を未来永劫恒久的に自分のモノにすらできるであろうという希望。


「…ッ」


生唾を飲む。僕の手が、僕の足が、僕の胃が、僕の脳が、まるでこの世界に同期でもしてるかのような錯覚を感じた。怖いと思う反面、さもそれが当然であるかのような。


「ユウキ、どうされました?大丈夫ですか?」


ドアを開けた一瞬で、味わったこの感覚は、きっと天国にも匹敵するかのような膨大で終わる事の無い絶頂。


「高所恐怖症だったんだけどな。ありがとう。こちらこそありがとう」


そんなエネルギーは僕の周囲を覆っている。


「大丈夫」


巫女さんは僕を見て怪訝な表情を浮かべてる。彼女からしたら、僕が高所恐怖症で足が竦んで動けないと思っているところだろう。


「世界に祝福を受けてた。それがスゴくて」


「そうですか。私の家の出口の中で一番の場所を案内しただけなのですが。宜しかったら、幸いな事です」


それがさも、にべもなくといった感じで言ってくれた。


「戻りますか」


「そうだね」


王宮の真上に位置する彼女の家からは、北は砂漠、南は大海、東は大森林、西は平原が見えて、それぞれところどころに国らしき密集した地域が見える。ヒトの営み。人間の生活の一切の全てがその小さな点のような場所にあった。高いところから見ると、本当に不思議な気持ちなった。自分も先ほどまでそういう場所に居たのだと思うと、妙な気持ちになってくる。出戻りでこれからあそこに行って、皆と一緒に喋ったり笑ったり食べたりだとかをやるのだと思うと、妙に嬉しくもある。人間を辞めたと思った瞬間、世界一の絶頂で臨戦してたあの一瞬が、まるで夢幻に感じられた。


「…」


外からはこの場所は見えないのだろう、ぽつんと浮かぶように立っているドアをくぐった。僕の心は、満たされた。大丈夫になったと思う。自分が生まれてきた理由が、少しだけ分かった気がした。


「うん」


ちゃんと世界の求めに応えることができたのだから、なんだか少しだけ自信がついた気持ちになった。ドアをくぐると、そこは風も無く絶景も無い葡萄酒樽の貯蓄庫。ただ、ワインっぽさを感じるだけで、きっと中身の発酵させてるやつは違うのだろう。ほどよく湿度が保たれた地下室では、そんな樽が幾重にも並べられている。燭台を持った巫女さんが火の明かりに照らされてる。それが少しばかり不満げな表情をしてるのだと感じた。


「もしかして、急に外を見せて驚かせてやろうって思ってました?」


「これが最大の緊急脱出口になります。出口の制限人数はありませんし、追手から振り切れるでしょう。万一の場合はこの場所をご使用ください」


「はい」


僕の質問には答えずに更に先に歩き出してしまう。その後を追って、この邸宅の案内を更に受ける。


「…」


寝室から洗い場、客間、トイレまで一通り案内された後、拷問部屋や死体置き場も案内された。


「ここ使ったことあるんですか!?」


「曾祖母が曾祖父の浮気に怒って二度使用してますね。だから、血の痕はその時の国王の血ですね」


「浮気ってそんなに怒るんだ…」


「ユウキは分かりませんか?自分の身の上で起きた場合のことを考えてみて」


そういう質問をされたのでちょっと考える。


「わからない。もし…」


そもそも、本気で怒ってたらきっと衝動的になっていることだろう。万一の事を考える。考えてしまう。


「もし、大切な人に裏切られたら、それはとても悲しいなって思います…。当たり前だけど。もし。そうなったら。それを考えると、結構恐ろしい考えが浮かんできます」


正直に言ってみる。


「それが普通ですよ。愛憎は紙一重。深ければ、きっと憎しみも最大でしょう」


「巫女さんならどうですか?」


「それ、本当に聞きたいんですか?」


沈黙があった。真っ暗な拷問部屋にちらちらと燭台の明かりが周囲を照らした。巫女さんはテーブルに燭台を置いているので彼女の顔は見えない。


「聞きたいです」


頭が回った。きっと、この質問は大いなる意味があった。彼女が、どう思っているのか。例えば彼女が僕に好意を抱いている場合。もし、守護者の役目の一つに僕のつがいという役目があったのならば。もしあったのならば。きっと彼女の答えは、これは重大な意味を持ち合わせている気がする。


「私なら、おそらく後悔させますね。それにはきっと際限が無いと思います」


アンリミテッド。青天井、無制限、無尽蔵。この意味が、今の僕ならわかる気がする。


「運命の人が、その運命を捨てて運命の人じゃなくなる。それが許されると思いますか?」


「…運命は、自分の手で切り開いた結果だと思うから、運命は呪えないと思いますよ。僕がこうなったのも、例え何度かあった死線の中で斃れたのだとしても、きっと僕は受け入れてた」


「呪うのは運命じゃなくって、人です。脆弱なヒトの意思です」


彼女の顔は、見えない。ちらちらと火の明かりが彼女の胸元を照らすばかりだ。不覚にも、僕はここにきて、変な気持ちになってきた。思えばこんなシチュエーション、どすけべマンガ以外、僕は知らない。


「…」


ついつい黙ってしまう。ふと、燭台の火が一瞬揺らめいて消えてしまった。


「…ぁ」


怖いという感情は無かった。真っ暗闇の中で、不思議と声を発しない。どうしてか、自分でも分からない。いや、本当は分かってる。彼女が消したのだ。


「…」


真っすぐに見られている感覚がした。彼女が見ているのは、僕の芯である魂の中枢。彼女は、僕の中に美しさを見出したのだろうか。どうして。こんな僕なんか。それとも、この感情ですら杞憂なのだろうか。


「…」


沈黙が続いてる。何か言おうともできない。暗闇の支配する中では、僕の息すらも凍り付いてしまったようだ。もし、この暗闇の中で何が起きようとも、それはきっと、この世界のどんな事象でも関わらずに過ぎてしまう一瞬の出来事になるだろう。僕の本能が、警鐘を鳴らしてる。僕の両親が、或いは祖父祖母がそうであったように。この一瞬は、この一幕は、確かに沈黙の一幕であって、ここには僕と巫女さんしかいない。


「…」


彼女も言葉を発しない。もしかして、いや、おそらく多分、多分ですよ多分。きっと僕の答えを待っている。もし、この時僕がきっと彼女に優しく触ったのだとしたら。それはきっと、一つのエンディングを迎えるのだろう。このまま沈黙が続けば、僕の冒険はまだまだ続いてくのだろう。


「まだ、早すぎるよ。僕は、君のこと、なんにも分かってないんだから」


燭台に、火がついた。


「そうですね」


一言ぽつりと言われて、そのまま拷問部屋を後にした。多分、その後ろ姿から、泣いてる。泣かれてる。そう思った。でも、僕にはどうしようもない。どうしようもない事だった。ここで後ろから抱き着くのが優しさなのだろうか。流れるまま行き着くところまで漂うのが、それが正しい事なのだろうか。僕は違うと思う。


「あのさ」


ぴたりと足音が止んだ。


「ただ、拒否したわけじゃないんだ。その、僕はこういうの初めてだし。でも、流れで始まるメロドラマなんて、ろくなものじゃないと思う。君の両親だって知らないし、知り合ってまだちょっと。どんな人か、どういう食べ物が好きか、どんな一瞬が好きか、どういう風景が好きか、僕はまだ何もわからない。ただ、流れでそういうことやっちゃったら、やっちゃったで、問題だよ。もしかしたら、君は僕の事を知ってるのかもしれない。でも、僕はそうじゃないんだ。だから。君がいくら可愛くても、作る料理の味付けが僕好みでも、喋り方が素敵でも、最高の性格でも、僕は君を好きになれない」


「そうですか。私は、救われないんですね」


目の前で一人の女の子が前を向いてる。ただ前を向いてる。そのままどこか、駆けだしていってしまいそうな気した。


「そういうわけじゃない。さっきもし、僕が手を握ったら。握り返してくれたら。もういくところまでいっちゃうんだ。我慢なんて出来るはずないし、ずっと腹ぼてだよ…。そんなので冒険なんて出来るはずがないじゃないか」


「いいじゃないですか。それはそれで。そういう結末だって、悪いものじゃない。私はただ待っていただけ。決めるのはユウキですから」


なんか無性に腹が立つことを言われた。全てを受け入れているような。まるで、諦めにも似てるじゃないか。


「守護者だからって、自分の全てを僕に捧げるなんて止めてよ。僕だってこの世界のために、自分を捧げた。人間ですら無くなった。僕だってこの世界に、君に、全てを捧げたんだ。だから少しぐらい、僕の言う事を聞いてくれたっていいと思う。救ってくれないなんて泣き落とし、そういうズルい言い方はよして欲しいよ」


「時間が欲しいんですか?」


「そういうのじゃない。もっと………。こう、いろいろな段階があるんだ。手を繋いだり、デートしたり、ご飯食べたり、キスしたり…。階段を上るように順序立てて進んでくものごとが、一段も二段も飛ばしてエスカレーターや飛行機を使うのなんてナンセンスだよ。言っとくけど、多分僕は凄い。間違いなく子供二人じゃ満足しない。…そういう問題じゃないけど。僕の恋愛観はそうなんだ。ページ開いたらどすけべシーン丸出しのエロ本じゃないんだよ!人生が懸かってる。例えばの話、たとえば、子供も。この世界も。少なくとも、平穏じゃない。これから嵐がやってくるって大切な時に、呑気に子作りなんて出来るはずがないんだよ!拒絶したわけじゃない」


「別に私は特に何も言ってませんよ。何かをしたわけじゃない。ただ、そう願っただけ。泣かれたくないからって、逆ギレはやめてください。それに、別に、今日は大丈夫な日ですし。この世界にもいろいろ薬があるので、別に夫婦の冒険も珍しい話ではありません」


「だから………そういう悲しい顔、しないでよ…」


依然として彼女はただ前を向いてる。でも、その顔がどういう顔かは分かった。


「守護者っていうのは、例えば、婚姻関係の結びも入ってる?」


「入ってなければいけませんか?」


「そういうわけじゃないですけど…」


「分かりました。私が悪かったです。期待してしまったという罪です。次へ参りましょう」


そう言って再び歩き始めた。僕もついていく。話はまだ、終わったわけではない。彼女の事が嫌いなわけじゃない。顔なんて最高だしお嫁さんになってくれるなら、多分子供だけで野球チームは堅いレベルでずっと一生ハッピーだろう。なんならこの世界にずっといてもかまわない。戻れなくったっていい。でも。彼女にとって、それが幸せなのだろうか。僕しか知らない、僕しか見てない、守護者としての人生で、それで終わって幸せなのだろうか。僕は、君にだって幸せになって欲しいのに。


サルビナの王国では、その一週間はカーニバルが開催された。民は歓喜し、英雄の姿を一目拝見しようと、遠く彼方の領民や他国の民ですら押し寄せ、都市丸ごとが熱狂の混沌に飲み込まれた。そんな中で、良からぬ企てを立てる者が一人。


「とりあえず、連れ回すのはストリップバーから始めるか…」


王子その人である。

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