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「女嫌い」とか言っといて、結局顔かよ!

作者: 山科ひさき

 クラスメイトの野上晴樹は、自分は「女嫌い」であると公言している。

 彼はその言葉の通り女子に話しかけることはまずないし、話しかけられたとしても冷たいと感じるほどそっけない対応しかとらない。告白したものの、その無関心を隠そうともしない態度に思わず泣いてしまった女子がいたとも噂に聞く。

 しかしながら、私はその男となぜか友人関係にあったりするのだ。




 野上と私が初めて会ったのは高校の入学初日。

 高校に入って環境は大きく変わるものの、私は同じ中学から進学した友達も多かったため、不安よりも高校生活への期待の方が大きかった。


 入学式が終わって教室に戻った後、担任から配られたプリントに指示通り記入している最中に少し書き間違いをし、消しゴムを忘れたことに気づく。

 そこで私が声をかけたのが、隣の席に座っていた野上だった。


「ね、野上くん。私ちょっと消しゴム忘れちゃって。悪いんだけど貸してくれないかな?」


 机に貼ってあった名札で名前を確認してそう声をかけるも、彼は全くの無反応。

 おかしいな、と思った私は何度か声をかけた。


「おーい野上くん。おーい。あれ聞こえてる? おーい」


 彼の前で手をひらひら振ると、やっと彼は顔をしかめてこちらを向いた。


「あのさあ、何回も俺の名前呼ばないでくれる? キモいから」

「えっ」


 ……キモいだと?

 私は予想もしていなかった言葉に少しびっくりして、それから少しムッとした。

 教壇に立っている先生には聞こえないように小声で言い返す。


「なにそれ。なんで初対面の人にそんな風に言われなきゃならないわけ」

「俺さ、女って性格が悪いから嫌いなんだよね。口利きたくないから、これからは話しかけないで」


 そう一方的に告げた野上はジロリとこちらを睨んだあと、視線を黒板の方に戻し、再び全くこちらを見なくなった。


 えっ偏見では?


 私の性格がいいとは特に思わないけれど、それって私のことを何も知らない、話したことすらないような人に勝手に決め付けられるようなことではないだろう。しかも何かしらの言動を見ての話でもなく、単に私が女子であるというだけでこのような態度を取られることに納得できるはずもない。

 さらにムッとした私は頬を膨らませた。



 そしてそれ以降、野上に対して反感を持った私は彼の言う通り話しかけないことにした……ということはなく、むしろ野上が苛立ちを隠せなくなるくらい頻繁に声をかけまくるようになった。

 なぜそんな行動に出たのかと問われれば、うまく説明できる気はしない。意味がわからないと言われればそうかもしれない(実際、クラスの友達にはそう言われた)。ただ私としては、理不尽としか思えない態度に腹を立てた相手の言う通りに行動するなんてことは、なんだかとても癪にさわる、と思ったのである。なので、強いて言うなら「そっちがその気なら」という反発心ゆえだろうか。


「よっ女嫌いくん! おはよー」


 まるで何も聞こえていないかのように完璧な無視を決め込む野上に対し、私は気にせず一方的に話を続ける。

 一週間もすれば私の野上へのちょっかいはクラス全体の知るところになっていたため、茶化す人はいれど止められることはなかった。


「今日はいい天気だねー、女嫌いくん。でも午後から雨が降るらしいよ、傘持ってきた? 女嫌いくん。そういえば今日は小テストがあるらしいけど、勉強してきた? 女嫌いくん」

「うるせー!」


 野上はクールっぽいキャラに見えて意外と短気で、ちょっと面倒な絡み方をするとすぐ無反応を貫けなくなっていた。今思えば、単純に人がいい彼は無視をすることに罪悪感もあったのだろう。


 ともかく、なんだかんだでしつこく声をかけると反応してくれることもあって心が折れることもなく、私は彼に話しかけ続けた。

 ちなみに、私とのやり取りのせいで野上は入学後間も無くして「女嫌い野上」なる異名(?)をとることになったらしい。彼は黙っていればクールでちょっとかっこいい男子くらいの立ち位置でいられたであろうものを、私のせいで妙なキャラ付けがされてしまったわけであるから、少し申し訳なく思わないでもなかった。


 一ヶ月もすればわざわざ無視するのも面倒になったのか、野上は私が話しかけても普通に会話をする上、なんと挨拶まで返すようになり、くだらない雑談までするようになった。


「女嫌いくん、おはよー。ねえ聞いてよ。私思ったんだけどさ、宇宙人が『我々は宇宙人だ』って名乗るのおかしくない? 普通に考えたら自分たちが住んでる星の名前を言いそうなもんでしょ」

「それ使い古されたネタじゃね」

「えー。いいじゃん乗ってきてよ」

「うーん、まあ好意的に解釈するなら、翻訳機能の限界の問題ってことも。例えば……」


 野上は男子の友達とは普通に楽しそうに話すものの、女子には最初の頃のように無視はしないにしろやはりそっけなかった。ただ、私に対しては学校のある日は毎日話しているということもあり普通に話してくれるようになっていたと思う。


 そしてある日、私が「おはよー、女嫌いくん」と話しかけた時、彼は不機嫌そうな顔で、


「あのさー、前から言おうと思ってたんだけど、俺の名前って『女嫌い』じゃないんだよね」


 と私をジロリと睨んだ。いつもと違う反応に少し動揺した私。

 自分がキモいから名前を呼ぶなって言ったんじゃん、と反射的に返そうとしたが、その時彼の顔が少し赤くなっていることに気づく。


 おっ……?


 私はとっさに口に出そうとしていた言葉を引っ込めた。

 それから少し考え、こう返した。


「えっと、じゃあ、野上……?」

「何だよ」


 プイと顔を背ける野上。表情は見えなかったが、耳まで赤くなっているのはすぐわかり、声を出さずに笑ってしまった。


「私の名前も『お前』じゃないからさ、三村って呼んでよ」


 野上と私が友達になった地点をあえて特定するとしたら、多分ここだっただろう。

 そこから急激に関係性が変化するというわけでもなかったのだが、なんとなくお互いに抱えていた警戒心みたいなものが薄れて人間性とか言葉の意図とかをちゃんとまっすぐ見られるようになった、気がする。


 ところで、のちに周囲の人から聞いた話では野上は祖父母と暮らしているらしく、おそらく家庭内での問題があったのではないかという話だった。同時に、彼の「女嫌い」はそうした過去の経験に由来するものなのではないかという推測も聞かされた。もちろんそうしたことは単なる外野の推測にすぎないのだが、それでもそのような話を聞かされた後で冷静になって考えてみると、彼の背景も考えず茶化すような私の態度はひどいものだったのではないか、と思えてきた。

 とはいえ、せっかく和解できたというのに再び話を蒸し返すのもどうなのかと思うとなかなか謝罪にも踏み切れず……今に至る、という次第。



「よっ野上、おはよー」

「ああ、三村か」

「ねえ、なんか転校生が来るらしいとかって聞いたけどほんとかな?」

「噂になってるってことは本当なんじゃね」


 中身のない雑談を続けていると、担任が教室に入ってきて声を張り上げた。


「みんな、席に着く!」


 みんなが慌てて自分の席に戻り始め、私も会話を切り上げる。


「じゃあまた後でね」


 そうして自分の席に座り教壇を向くと、担任はもったいぶったように咳払いをした。まだ少しざわついていた教室が徐々に静かになり、担任が口を開く。


「えー、聞いている奴もいると思うが、今日からうちのクラスに新しくメンバーが増える。入ってきなさい」


 教室全体が注目する中、ガラガラと音を立てて扉が開いた。

 そして、その子が入っていきた瞬間、クラス中が息を呑んだ。


 ──すっごい美少女!


 少し緊張した様子でおずおずと教室に入ってきたその少女は、手足の先、髪の毛の一筋までもが美しかった。おそらく化粧もしていないだろうに、シミやニキビの一つも見つからない肌。小さく赤い唇。ぱっちりとした目に、長い睫毛。

 その美少女は担任に促されて黒板に名前を書いた後、少し小さめの、しかし透き通った声で言った。


「川崎美緒、です。よろしくお願いします……」


 そのホームルームの後すぐに古典の授業が始まったためクラスの誰も彼女に声をかけることはできなかったが、授業中もずっとクラス中が彼女の方を見てそわそわしていた。

 そして授業終わり。


「川崎さん、前はどこの高校だったの?」

「教室の位置とかもう覚えた?」

「ねえ、美緒ちゃんって呼んでいい?」


 予想通り、川崎さんの周りは人が押し寄せちょっとした騒ぎになっていた。7、8人くらいが彼女の机の周りに集まり、さながら餌に群がる小鳥のよう。

 私はといえば、その様子を横目で見ながら野上と話していた。


「芸能人みたいに綺麗な子だよね、川崎さん」

「ん……? ああ、そうかもな」

「興味を持て!」


 かっこつけで興味がなさそうなフリをしているとかではなく本当に関心がなさそうに見える野上に、思わずツッコミを入れる。

 だってただでさえ転校生という結構な重大事件で、しかもそれがちょっと見ない美少女だというのだから騒がない方がどうかしているじゃないか。


「いや、本人だって外見で勝手に騒がれても迷惑だろ。それより、三村はあっち行かないんだな。転校生なんて真っ先に話し掛けに行きそうなのに」


 野上の目線の先には、転校生と会話をしようと奮闘している彼の友人たちの姿があった。

 あ、私の友達もいる。


「まあね! 仲良くはなりたいけど、今はちょっと人が多すぎだし……。話すのはおいおいでいいかなと」




 それから美少女転校生川崎さんは、予想通り瞬く間にクラスの人気者になった。教室の真ん中で目立った行動をするようなタイプではないけれど、いつも人に囲まれている。

 数週間もすれば川崎さんは最初からクラスにいた人のように完全にクラスに馴染んでいた。

 私はといえば、そこまで仲がいいわけではないものの複数人での会話はする、くらいの関係性を保っていた。もう少し仲良くなりたいなという気持ちはありつつもきっかけがないのだから仕方ない。

 彼女に転校初日に話しかけていた友達らも、彼女と現在そんなに親しくはなさそうだ。「美少女すぎて気後れする」など言っていた。そういうものだろうか?


 美少女が転校してきてからも特に変化のない日常を送っていた私だったが、自販機で水でも買おうかなと歩いていた途中、偶然に野上と川崎さんが廊下で会話をしているところを見かけた。私は目を見開き、思わず注視してしまう。なにせ、野上が女子と会話をしているのはかなりレアな光景なのだ。

 じっと観察していると、なんと楽しげに笑いあったりなどしている。あ、川崎さんに何か言われてちょっと照れてる。


 私はその光景に驚いてしまって、友達にその話をしてみた。


「ちょっと聞いてよ、さっき野上と川崎さんがさぁ……」


 すると、返ってきたのは少し意外な答えだった。


「あー。あの二人仲いいよね」

「いい感じだよね。もうすぐ付き合うんじゃないかとかなんとか」


 ……どうやら二人の仲がいいことはクラスでは知れ渡った事実であり、気づいてなかったのは私だけだったらしい。

 だって野上は話したこともない女子相手にキモいとか暴言を吐いちゃうくらいの「女嫌い」じゃなかったのか。それが女子とわずか数週間で楽しげに笑いあうくらいまでに打ち解けるなんて!

 そのような驚きを告げると、「あの美少女とただのクラスの女子とじゃ同列には語れんでしょ」と言われた。結局顔か? 顔なのか?


 野上が女子とも話すようになるのは歓迎すべきことのはずで、実際そう思う気持ちもあるのに、なぜか胸がモヤモヤした。

 野上はなんだかんだ顔がいいし、もしかしたら彼が私には他の女子みたいに冷たい態度を取らないことに優越感を覚えていたのだろうか。

 ……だとしたらなんかそれって、すごくやな感じじゃん。


 どうしても関係性が気になってしまって野上に「最近川崎さんといい感じらしいじゃん。実際どうなの?」と探りを入れてみたところ、


「関係ないだろ」


 と切り捨てられてしまった。うむむ。


 数日後、なんとなしに「加奈に彼氏が出来たらしいんだけど、それから彼氏の話しかしないんだよね。そういうもん?」と恋愛関連の話題をうっかり(野上は恋愛の話題を振られると不機嫌になるのだ)出すと、


「まあ浮かれる気持ちはわからなくもないけどな」


 と珍しくまともに会話を続けてきた。

 普段とは違う対応に動揺した私は、つい茶化すように聞いてしまった。


「あれ、気持ちがわかるって……野上も実は恋愛中だったりとか。もしかして好きな人とかいるの?」

「ん? ……」

「ええ、マジか!」


 思わず黙り込んだという様子の野上の様子に、驚く私。

 それってやっぱり……。


 何か急に胸のあたりが苦しくなって、少し俯いてしまった。

 どうして私はこんなにショックを受けているんだろう。単に男友達に好きな人がいるらしく、その相手がおそらくかなりの美少女だっていう、ただそれだけの話なのに。なんか変だ、私。


「どうした? なんか顔色悪いけど」

「いや、ううん。大丈夫……」


 どうしてこんな風になるのかって考えていたけれど、心配そうに覗き込む野上の顔を見た瞬間に、ストンと胸の奥に綺麗に収まるように理解した。それはもう、あっけないくらい簡単に。


 ──そうか、私は野上のことが好きだったのか。


 最初は気に入らないやつだなあ、くらいの認識でしかなかった野上を、私はどうやら関わっているうちに好きになってしまっていたらしい。


「……野上って、女子が嫌いなんだと思ってた」


 ぼそりと呟くと、野上はかすかに苦笑した。


「ああ、前はそう思ってたけど。今は苦手なくらい」

「そうなんだ」

「うん。女子は性格が悪いと思ってたんだけどさ、なんか三村と話してたらこの性格の悪さを性別に還元するのは問題あるなと思えてきて」

「なんかすごい失礼なこと言ってない?」


 性別のせいにできないレベルで私の性根が腐ってるみたいなことを言ってるよね、それ。

 わざとらしくじとりと睨むと、野上がおかしそうに笑うので、私も仕方なく表情を緩めた。


「でもそっか、もう『女嫌い』じゃなくなったんだ。うまくいくといいね。その好きな人と」


 それを聞いた野上はまた苦笑を浮かべ、「ああ」と返事をした。


 そうか、野上はすでに女嫌いではなくなっていたのか。

 もしも女子が嫌いなままであれば川崎さんを好きになっていなかったのだとすれば、私は自分の失恋の原因を自分で作り出してしまったということにはならないだろうか。なんというか、複雑な気持ちだ。

 とはいっても、仮に野上が川崎さんのことを好きにならなかったとしても私の気持ちが報われることはなかったに違いない。私たちは単なる友達であるし、だからこそ一緒に居られるのだ。恋愛感情を持っているなどと知られたらおそらく今のような気軽に話せる関係ではいられないだろうし、嫌われる可能性すらある。

 少なくとも気持ちを知られれば困らせることはまちがいないし、黙っていることが最善だろう。私はそう結論を出した。




 それからも度々野上と美少女川崎さんが二人で話しているところを見かけたが、仲は良さそうに見えるものの付き合ったという話は一向に聞かない。

 私はといえば、野上なんかそういうの不得手そうだもんなぁ、とか、もしかして私が協力しなきゃいけないパターン? などと考えつつ、何だかモヤモヤしていた。


 放課後に中間試験の救済措置として補習を受けている最中もモヤモヤが収まらず、課題がまだ山のように残っているというのに全く手につかない有様である。


「全然終わらなーい」


 一向に減る様子のないプリントの山を見て、頭を抱えて机に突っ伏したその時。


「あれ、三村さん?」


 私の頭を悩ませている一人、川崎さんが教室に入ってきた。

 そんなによく話す方ではないので、二人きりだと少し気まずいような気もしつつにこりと笑いかける。


「川崎さんじゃん、どしたの?」

「今部活が終わったんだけど、忘れ物しちゃって」

「あー、吹奏楽部だっけ?」

「そうだよー、中学から吹奏楽やってたからこっちでも入ったの。ところで、三村さんはこんな時間まで何やってるの……?」


 不思議そうに小首を傾げる川崎さんに何と答えるべきかと、一瞬言葉に詰まった。さっきまで部活をしていた彼女に自分はテストが悪かったため補習を受けていると告げることが恥ずかしいように感じたのである。

 だが無理に誤魔化すのもさらに恥ずかしいと思い、正直に答えた。


「英語のテストが悪くて、課題を出されてるんだ」


 苦笑いをする私。

 川崎さんは「大変だねぇ」と言った後、急に黙り込んでしまった。私は突然訪れた沈黙に困惑する。


 ──あれ、そんなに呆れられちゃったのかな?


 川崎さんの顔をじっと見て表情を伺おうとすると、すぐに彼女はいつものような笑みを浮かべてみせる。


「あっごめんね。なんか、こんな風に三村さんと二人で話す機会ってあんまりなかったなと思って」

「ああー、そうだよね」


 私がほっとして何回か頷くと、彼女は私の座っている席の近くまで歩いてきた。


「せっかくだしちょっと話さない? 前から三村さんと話してみたいって思ってたんだ」

「いい、けど……何を?」


 彼女と私とではクラスでも関わりが少ない。話すような話題なんてあっただろうかと内心首を傾げていると、川崎さんは無邪気な様子でこう切り出してきた。


「ふふ。三村さんって、野上くんと仲いいよね」

「ん? まあ、友達だし……」


 そう答えると、彼女は「そうなんだぁ」と笑った。


「実は、もしかしたら三村さんは野上くんのことが好きなのかもって、ちょっと不安だったんだ」

「え、それって」


 心臓がドクリと音を立てた。

 だって、「不安だった」って私が野上に恋愛感情を抱くことを警戒するような、もしくは私が野上に特別な感情を抱くことを牽制するようなその言い方って、まちがいなく。


「うん。私、野上くんのこと、好きなんだ」


 ちょっとはにかんで、照れたような表情の彼女はやっぱりとても可愛くて。私は──


「そうなんだ」


 と、自然な声で返せるよう気をつけるのに精一杯だった。

 そんな私の様子に気づいているのかいないのか、川崎さんは笑顔のまま話を続ける。


「だからね、三村さんが野上くんのこと好きじゃないなら協力してくれないかなって。野上くんと仲のいい子の応援があればすっごく頼もしいし! どう、かな?」


 目をキラキラさせて頼んでくる川崎さんに、私は何も返すことができなかった。

 本当なら、彼女と野上の恋愛が成就するように協力する方が正しいのだろう。実際、野上の気持ちを察したときから彼の恋愛に協力すべきかと悩んではいたのだ。両思いだったということが明らかになった今、渋る理由など何一つない、はずだ。

 なのに私の口からは、何かが喉に詰まったようになって、咄嗟に全く言葉が出てこなかった。


 黙り込んだ私を見て、川崎さんがさっきまでの笑顔を曇らせた。


「どうして……応援してくれないの? もしかして、三村さんも野上くんのことが好きなの?」

「違うよ。そういうんじゃ……」

「そっか……」


 慌てて否定するも、彼女の悲しそうな表情が変わることはなかった。それどころかより確信を得た様子にも見えた。


「そういうことなら無理に協力してとは言えないよね。ごめんね、困らせちゃって。だけど……」と、困ったように眉尻を下げて少し笑い、


「野上くんは三村さんのこと、友達としか思ってないんじゃないかな」


 そう言い残して、彼女は教室を出て行った。

 大量の課題とともに教室に残された私は、しばらく呆然としていた。そしてぽつりと呟く。


「そんなの、わかってるっつーの」


 野上が私のことを友達としか思ってないなんて、そんなこととっくにわかっているし、特にそれに不満があるわけでもない。牽制なんて必要ないだろうに。

 私だってそんなに顔が悪いわけじゃないけど、川崎さんみたいな美少女と競えるほどの美人だとはとても言えない。内面にしたって、「性格が悪い」と野上自身からはっきりとした評価を下されているのだ。仮に本気で彼女と張り合ったとして勝ち目などない。




 次の日登校すると、教室に向かう途中、他クラスの人間からちらほらと視線を感じた。あまり好意的なものには思えなくて、少しの戸惑いを覚える。


「おはよー」

「あ、おはよう。ギリギリじゃん」


 クラスの友達に声をかけると、普通に返ってきてほっとした。

 気のせいかなとその時は思っていたが、次の日も、その次の日もそのような視線を感じるので、自意識過剰と思われるかもしれないとは思いつつ、クラスの友達相手に少し話題に出してみることにした。


「なんかさ、気のせいかもしれないんだけど最近他クラスの人から見られてる気がするっていうか」


 そうすると、みんな一瞬黙った後、


「あー……」


 とため息とも相槌ともつかない声を漏らした。

 何とも言えない表情で顔を見合わせる様子に、何だか不安になってくる。


「えっと……?」

「あー……まぁ、気付くよねぇ。なんかさ、最近他クラスの一部で香奈の噂が流れてるというか」

「噂」


 雰囲気からして、間違ってもいい噂ではなさそうだ。

 ちょっと怖いような気持ちで続きを聞く。


「何だろうね、香奈が川崎さんと野上の仲を邪魔してるだとか、そういう……」


 思いがけないことを言われて驚きに目を見開く私を気遣うような表情を見せつつ、友達は続けた。


「いや、何でそんな話になったのかわからないし、普通にクラスのやつは信じてないよ! だけど他クラスのやつは香奈のこととかもよく知らないだろうし、一部でそういう話になってるっぽい」

「そうなんだ……」


 半ば呆然としたような心待ちで、小さく呟いた。

 だけど、どうしてそんな噂が流れることになったんだろう。視線を感じるようになったのは数日前からだけれど、何かあっただろうか。

 そこまで考えて、教室で川崎さんと話した時のことを思い出した。あの時彼女が浮かべた笑みがふと脳裏に浮かぶ。


「……まさか」


 思わず小さく口に出してしまったその時、背後から私の名前を呼ぶ声がした。


「三村、ちょっといいか」


 よく知った、そして現在話している話題に深く関係する人物の声に、大きく心臓が跳ねた。


「何?」

「……ちょっと」


 野上が小さく手招きをするので、私は話していた子達に断りを入れてから近くに寄った。すると、周囲に聞こえないくらいの声で「話したいことがあるんだけど、放課後とか時間取れる?」と囁かれた。

 私もつられて小声で「何の話?」と聞き返す。さっき聞いた噂が頭に引っかかっているせいか、嫌な予感がした。


「ここじゃ言いづらいからわざわざ時間を取って欲しいって言ってるんだろ」

「……わかった」


 野上の顔を見上げて表情をうかがうも、何の感情も読み取れなかった。不機嫌そうな顔つきではあるが、これは彼のデフォルトなのだ。


 私は放課後になるまでの間、心がざわついて仕方がなかった。

 クラスの人間は例の噂──私が野上と川崎さんの中を邪魔しているというもの──を信じてはいないという話だったけれど、果たして野上はどう思っているのだろうか。彼の恋愛を邪魔しているつもりはないにしろ、結果的にはそうした噂が立つような振る舞いを私がしていたということになるわけだ。その事実から、何か勘づくところがあったとしたら。




 その日の放課後、クラスの人間がいなくなった教室に私と野上だけが残っていた。どうしようもなく感じてしまう気まずさを振り払い、机に腰掛けて足を組みながら話を切り出す。


「それで、話って?」


 野上が私の方にまっすぐ視線を向けた。どこか息苦しく感じるような雰囲気を変えたかったが、とてもではないが茶化したりできるような空気ではなかった。

 いったい何を言われるのだろうと怖くなる。

 野上が静かに口を開いた。


「あのさ、三村たちも今日……」


 そう野上が何かを話し始めたその時に廊下から誰かの足音が聞こえてきて、私たちは自然とそちらに目を向けた。

 すると教室の扉がガラガラと音を立てて開き、その足音の主は私たちがいる教室に入ってきた。そして、パッと花が咲いたような笑顔を浮かべる。


「あれ、野上くんと三村さんだ。なんか話してたの?」

「ああ、川崎……なんか忘れ物?」

「うん、ちょっとね」


 野上と話しながら教室に入ってきた川崎さんは、自分の机ではなく私たちがいる方に駆け寄ってきた。

 もしかしたら話し合いというのは二人ではなく、最初から川崎さんも呼ぶ予定だったのだろうか。そう一瞬考えたが、野上の方を見るとわずかに困ったような表情をしていたため、そうではないのだとわかった。


「放課後に話すのって初めてだねー」


 ニコニコ笑いながら、野上に話しかける川崎さん。その表情はまさしく好きな相手に向ける類のそれであり、彼女は本当に野上のことが好きなのだと再認識する。


「……ああ、俺は部活入ってないし」

「入ればよかったのにー! 楽しいよ、吹奏楽」

「あー、うん……」


 多分、予想外のタイミングで川崎さんが現れたことでするはずだった話ができず困っているのだろうなと思った。野上は歯切れの悪い返事を繰り返す。だが川崎さんは気にしていないのか、まだ会話を続けようとする。


 ……このままじゃ、らちがあかないな。


「あの、ごめん川崎さん」



 仕方なく会話に割り込んだ私に、二人が視線を向ける。野上は安堵した様子だったが、川崎さんはどこか不服そうである。


「話してるとこ本当に悪いんだけど、ちょっと私、野上と話したいことが……」

「……あ、そうなの? 全然気にしないから、話して大丈夫だよー」

「え、あー……」


 うーん、川崎さんも聞くつもりなのか。

 どうしようかと思い、野上の方をチラッと見る。

 野上は諦めたように深く息を吐いた。


「ま、いいか……。話そうと思ってたのは、あの噂のこと。三村も……川崎も知ってるだろ、俺と川崎が両思いだとかなんとか、周りの奴らが言ってること」

「あー! ね、みんな勝手なことばっかり。困っちゃうよね」


 そういいつつ、照れたようにうふふ、と笑う川崎さん。

 そんな彼女に、野上はにこりともせず告げた。


「ああ、困る。俺には好きな奴がいるから、誤解されたくない」

「えっ……」


 私は驚いて、無言のまま野上の顔をまじまじと見てしまった。

 川崎さんも呆然とした様子で言葉を失っている。その目にじわじわと涙がたまっていくのが見えた。

 野上は川崎さんのことが好きだと今まで思い込んでいたが、違ったのだろうか。


「だから、そういう噂を広めてるのかはわからないけど、迷惑してる。悪いけど、できれば川崎にも噂を否定するのに協力してほしい」

「……うん、わかった。あの、ごめん。ちょっと、そろそろ行くね」


 うつむいていた川崎さんは、そのまま表情を見せないよう顔を背けながら早足で教室を出て行った。

 少し気まずく思いながら野上の方にチラッと目線を向けると、さっきからこちらを見ていたらしい野上と目が合い、ドキリとして何度か瞬きをしてしまう。

 動揺した拍子に思っていたことがそのまま口から滑り落ちた。


「えっと、……野上って川崎さんが好きなわけじゃなかったんだ」

「は? なんだ、三村もそう思ってたわけ?」

「え。まあ……」


 呆れたように言う野上。なんだかいたたまれなくなり私はすっと目をそらした。


「というか、話ってなんだったの。私はてっきり」

「てっきり?」

「いや、なんというか……」


 川崎さんに関わることで何かしら咎められるのではないかと恐れていたとは言えず口ごもる私を、野上はどこか責めるような目で見た。


「何となく予想つくわ。三村が俺のことをどういう目で見ていたのかよくわかった」

「ごめんよ」

「……まあいいけど。今日は例の噂が根も葉もないって伝えて、その対処について話そうと思ってた」


 そう言って、さっきまでずっと立っていた野上は私と同じように机の上に腰掛けた。

 いろいろと誤解をしていた手前そこそこの罪悪感を覚えていた私は、大げさなくらい何度もうなずいてみせた。


「なるほどね。うん。川崎さんじゃない好きな人がいるって言ってたし、誤解されないように噂を否定するため私に協力して欲しかったってことね」

「ん?」

「え、違うの?」


 微妙な反応に首をかしげると、野上は「違うわけじゃないけど」とやはりはっきりしない言い方をする。

 そして大きくため息をついてから言葉を続けた。


「まず一番の被害者は三村だろ、周囲のやつに勝手に悪く言われて。だから現状を共有した上でどうするか話し合おうとしてたんだよ。この状況で自分の都合ばっかり重視すると思ってんの?」

「え!」


 私は本当にびっくりして、短く叫んでしまった。

 それから、じわじわと恥ずかしさや申し訳なさがこみ上げてきた。野上が私の状況についてそこまで真面目に考えてくれていたなんて想像もしていなかったのだ。


「ごめん……なんか、そんな風にいろいろ気遣ってくれてると思わなくて」

「普通だろ、そんなの」

「あの、ありがとう」


 そうお礼を言うと、野上はプイとそっぽを向いてしまう。だが私は、それが照れた時の彼の癖であることを知っていた。

 なんだかおかしくなって声を出さないように笑っていると、野上はぼそりと呟いた。


「それに、川崎のことだって、俺は三村に誤解されたくなかったんだ」

「……え?」


 きき返すも、そのまま野上は黙ってしまった。

 ……えっと、つまり川崎さんと両思いだと思われたくなかったってことだよね。まあでも、友達に恋愛事情を間違って把握されるなんて普通に嫌か。


 ああ、びっくりした。私のことが好きだから誤解されたくないって言ってるのかと思っちゃった。そんなわけないじゃんね……

 勘違いしそうになった気恥ずかしさをごまかすように、私は茶化すように笑ってみせた。


「びっくりした、一瞬告白されたのかと思った」

「は?」


 返ってきた野上の声は思ったより低く不機嫌そうだったので、私は軽く肩をすくませた。


「ごめんて。でも今の言い方だとさ」

「だから、そうだって……」

「え?」


 野上を見ると、表情は不機嫌そうに顰められたまま耳と目元は赤く染まっていた。だが、いつものように顔を背けることはなく、まっすぐにこちらを見つめている。

 心臓が大きく跳ねた。


「え、え、え。ちょっと待って」


 つられたように顔に上ってくる熱を隠すかのように野上の目を右手で被おうとすると、その手を逆に捕らえられてしまう。

 私の腕を掴んだまま、野上は机から立ち上がり私に一歩近づいた。


「俺は、三村が好きだ」


 視線が交わり、そらすことができない。頭が真っ白になって、しばらく何も言えずに固まっていた。

 すると私のその反応をどう捉えたのか、野上は俯いて私の腕を放す。


「ずっと友達だったんだし、今すぐには考えられないと思うから、返事は今じゃなくていい」


 そのまま自分の荷物を持って教室を去ろうとする野上に私は思わず「待って」と叫んだ。

 だが野上は立ち止まろうとせず、


「返事は後にして」


 と返してきた。


「待ってって! 私も野上のことが好き」


 私がそう言ってから、野上はやっと立ち止まって振り返った。

 意味がわからない、とでも言いたげな表情で。




 それから私たちは、全く互いに顔を見ようとしない微妙な雰囲気の中で色々と話をした。

 私は野上が川崎さんとよく話しているのを見て恋愛感情があるのではないかと思ったが、実は私との関係についての相談をしていたと聞いた。野上曰く「他の女子にはすでに敬遠されているから」とのこと。

 他の女子の相談をしてくる相手にあそこまでわかりやすいアプローチをかけるものだろうかと不思議だったけれど、あれだけの美少女ならそうした状況でも自分に振り向かせられると自信が持てるものなのかも。


 最初の頃、野上の私に対する態度は、控えめに言っても感じの良いものではなかった。だからこそ彼は、私が彼の内面に対してあまりに無配慮だったことを後悔したその何倍も、最初の頃の対応を気にしていたようだった。

 私との距離感を測りかねた野上は今までの自分の態度を直接知らない異性である川崎さんに相談を持ちかけた、ということらしい。


「今思えば、他人に相談とかする前に謝っとけばよかったのかなと思う。最初の頃はごめん。初対面で暴言吐いたこととか、それ以降の態度とか色々」

「いやいや、それを言うなら私だって無神経だったし。本当は私もずっと謝った方がいいのかなと思ってたんだけど、タイミングとか、今更蒸し返すのもどうなのかとか色々考えちゃって。ごめんね」


 会話自体はそれなりに普段通りにできるようになってきても、視線は絶対に会わせないままお互い謝罪に至った。今顔を見たりしたら絶対に平常心ではいられないと確信があるのだ(今だって平常心じゃないけど)。


「……この機会を逃したらもう言えなさそうだから言っておく。俺は入学当初、女子に嫌悪感や苦手意識があったし、高校三年間最低限しか関わりを持たないつもりだった。だけど三村と話してたら、三村の無神経なところとかめんどくさいところとか、女子にではなくて三村に属する性質なんだって素直に納得できた。川崎ともそれなりに話したけど、いいところも悪いところも川崎という個人の性質だと思える。つまり、三村には感謝してる」

「……そんなの別に感謝されることじゃないよ。私がしたことって単なるウザ絡みじゃん」

「まあそうだけど」


 あ、そこは否定しないんだ。

 思わず野上の方を見ると、彼も私を見た。ドキッとしてすぐに視線をそらす。


「……えっと、そろそろ帰る?」

「……だな」


 それから私たちは駅まで一緒に歩いたが、別れ際の


「それじゃ」

「うん」


 というやりとり以外は完全に無言だった。

 その日の夜は、放課後のやりとりを思い出して恥ずかしくなったり明日どんな顔をして会えばいいのかと悩んだりでなかなか寝付けなかった。




 次の日の朝、教室に入るとすぐに野上の姿が目に入った。特に探していたわけでもないのに。扉の比較的近くにいるし、スルーというのも気がひける。

 くじけそうになる気持ちを必死に奮い立たせ、笑顔を作った。

 ……いつも通りに、いつも通りに。


「野上、おはよー!」


 そう声をかけた瞬間、周囲の視線が急に私に集まったのを感じた。

 えっ、なに?

 どういうことか分からず、戸惑う私。


「何事?」

「香奈、野上と付き合ってるって本当なの?」


 友達が興味津々といった様子で聞いてきた。反射的に野上の方を見ると、どことなくバツが悪そうな顔をしている。

 ……いやいや、なにこの状況。

 周囲から向けられる視線に耐え切れず、私はとりあえず頷いておくことにした。


「うん、付き合ってる」


 そう答えると周囲は驚いた様子で、詳しく聞こうとするのをかわすのに骨が折れた。視界の端にチラリと見えた川崎さんはどこか傷ついた表情に見え、少し気まずい思いをする。

 私は友達からの質問攻めに対処する中、野上に目配せをした。あとでちゃんと説明してよね。


 次の休み時間に野上に事情を聞いたところ、「俺は三村と付き合ってるから例の噂について聞かれたら否定しておいてほしい」と伝えたとのことだった。


「あー、だから」

「こんなに騒がれるとは思ってなかったんだよ。ごめん」


 勝手に「付き合っている」と公言されて立腹していたはずが、珍しく少ししゅんとしてみえる野上にちょっと可愛いと思ってしまって怒りが削がれる。


 私は小さくため息をついた。

 ──まあ、仕方ないか。どうせいずれは伝わる話だったんだろうし。

 そう思いつつも私は少し不満そうな顔を作り、もうしばらく野上の困ったような表情を楽しむことにした。


誤字報告ありがとうございます。助かります!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 途中から、「あ、これ……」とオチには気づきましたが、そこまでの流れが素晴らしかったです。川崎さんは、「協力してくれないの?」辺りのぶりっ子ぷりが、程々に居そうな嫌さを醸し出してましたw […
[良い点] 自分の悪い所を反省して謝って、お互いのそういった所も受け入れられる良いキャラクターが描かれていると思います。
[良い点] 良かったです
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