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「あなた、おはよう」
いつものように食卓での珈琲。いつもと同じ新聞を読みながらの朝食。ただいつもと違うのが突然妻から差し出された一枚の書類。
【レンタル契約完了書】
「今日であなたとの結婚生活は完了です...」
僕の名前は篠原義明。出身は山口県下関市にある彦島という漁師町。県内の私立大学に通うごく普通の二十一歳の大学生。
バイトと就職活動の何気ない日々を送り続け気付けば東京にある小さな商社への就職が決まり翌年の春からサラリーマン。
家賃六万円古い小さなアパートから慣れない山手線でぎゅうぎゅう詰めで、揺られながらの通勤。働き方改革のお陰なのか朝九時の出勤で午後四時の退社。週末土日は出掛けることも無く自宅でゴロゴロ。もちろん出会いも無く彼女なんていない。都会の生活にも憧れはあったものの、特別都会でないと味わえない事実も無く日々を淡々と過ごすだけ。
そんな刺激や遣り甲斐も無い毎日を送るのかもちろん仕事も上手くいくはずが無い。
ミスも続き。上司には叱られるのが日課。こんな人間だから職場での人間関係も上手くいかない。お酒も全くといって良いほど飲めない為、職場の人間からもお誘いも無い。
これがサラリーマンというものなんだろうか?このまま一生こんな状態で一生を過ごしていくのだろうか?不安と疑問を感じながら社会人になり初めての大晦日を迎え、手土産を持って実家に向かう新幹線に乗った。実家に到着すると両親を始め二人の妹と親戚の叔父や叔母に祖父母まで玄関でお出迎えをし、帰りを待ってましたと言わんばかりの歓迎ムード。思わず大粒の涙が・・・。
「お帰り。都会はどうだい?」
「仕事は辛く無いかい?」
居間に入るとそこは溢れんばかりの料理でテーブルが敷き詰められ僕の帰省を祝う宴の準備がされていた。東京では誰も僕を相手にしてくれることも無く会話をする人も居なく、一緒に食事をしてくれる人もいない。でもここには僕の居場所がある。そんな暖かい心の叫びを胸に秘め宴会のスタート。
宴会が始まって暫くすると良くある世話好きの親戚の叔母さんが
「義君、東京で彼女は出来たの?」
『いや、まだそんな余裕はないよ』
「義君に紹介したい女性がいるのよ」
『いやぁ、今はいいよ』
「まぁそんな事言わずに会うだけ会って」
『・・・』
「会うだけでいいから」
『わかったよ。じゃあ会うだけね』
「よし!じゃあ次の三連休にね」
致し方なくその女性と会うことに・・・。
正月休みが終わり一度東京へ戻りまた約束の三連休がやってきて帰省。約束の時間に待ち合わせ場所の喫茶店へ。到着すると叔母とセミロングの小柄の女性が向かい合わせで店内の席で珈琲を。
「義君、待ってたわよ」
「紹介するね。彼女は森本千代子さん」
「下関市内で銀行員をされてる方よ」
「地元の○○高校出身よ」
と、紹介を受け続けて僕は自己紹介をする。
見た目は清楚で真面目そうな女性。年齢は僕よりも五歳年上の二十八歳。喫茶店で叔母を交えて他愛の無い世間話。僕も彼女も口数が少ない為、随時叔母がリード役。そんな中、
叔母が変な気を使い、
「後は若いもの同士でゆっくりね」
と、昭和な名台詞を残し喫茶店を後にする。
僕たち二人も時間差で喫茶店を後にし、取り敢えずドライブでもと彼女の車に乗り海辺に移動。海辺に車を停め海岸を散歩。
『今日は僕と会ってどうでした?』
「正直、一度会ってみたいと思って」
『僕、女性の方とお付合いした事なくて』
「じゃあ、私と一緒ですね」
『そうなんですか?』
「はい」
そんな雰囲気で何か意気投合したようでその日を切欠に遠距離恋愛というものがスタートした。
その日以降、僕の心の支えが出来て、仕事も順調。週末になると彼女が東京に来てくれたり、ちょっと無理して帰省したりとまるで恋愛ドラマのような日々が一年間続き、気が付けば一年目のお正月に帰省時に彼女にプロポーズ。その後結婚式の準備は着々と。
族に言う新婚生活も東京でスタートし都会に慣れない嫁もなんとかご近所付き合いなども落ち着いてきて、結婚して半年が経ち妊娠の知らせも仕事中携帯にあり、出産後母子ともに健康でその三年後には二人目の懐妊。いわゆる一姫二太郎という理想的な家族四人構成。家庭も持て商社では出世も早く、入社十年目で課長。子供達もすくすくと育ち、長女が高校を卒業するころには次長へと昇進。
まるで絵に描いたような順風満帆な生活を。
時が経ち、長男が大学を卒業して新社会人一日目を迎えた朝の事だった。嫁が何やら話があるとの事でリビングの椅子に座った。
「今日であなたとの契約はおわりです」
『なになに?契約?』
「そうです。こちらの書類にサインを」
『えっ?何これ?どういうこと?』
彼女から差し出されたのは離婚届ではなく
【レンタル契約完了書】
と書かれた一枚の紙だった。
僕は目を疑ったが、その書類には「家族を二十五年間の契約で終了する。尚、この契約は年間一千万円、合計二億五千万円の請求とみなす」と記されていた。嫁から口に出た言葉はさらに耳を疑った。
「今日を持ちましてレンタルは終了です」
「お支払いは現金にてお願いします。」
「延滞料も発生しますので」
目の前が真っ白になるとよく耳にすることがあったが、まさか自分自身にそんなシーンが訪れるとは思ってもいなくただ呆然とするだけ。
これはもしかしたら長い夢なのか?
しかしながらこれは法律でも定められた契約ということを後に知る。支払いがとどこると法律違反として無期懲役、または想像を超える重刑がみなされる。
泣く泣く書類にサインをし出勤のため厳寒を出ると入れ替えるようにレンタル業者と弁護士が宅内へ。僕は呆然とし会社へ向かうための駅に辿り着くが、こんな状態で出社は出来ない。人生初の無断欠勤。
取り敢えず宛ても無く電車に乗り、車窓から見えた看板に目がいく。
【貴方の思い出、高価にて買い取ります】
思わず次の駅で電車を飛び降りその看板の店に向かった。店内に飛び込むと受付のカウンターでお客を迎える女性がいた。
『看板を見て来たんですけど』
「思い出の買取りをご希望ですか?」
『はい、でもどの位の金額なんですか?』
「査定は無料となっていますが?」
『どうすればいいんですか?』
「奥の査定ルームにて審査いたします」
そう女性は僕に告げると査定ルームに案内してくれた。そこにはよくあるSF映画で見る頭に配線が繋がれたヘルメットに椅子があり、その椅子に座るように案内された。
「これを被ってリラックスして下さい」
言われるがままに着席し機械を装着し、店員はパソコンの前に座った。パソコンの前には二十台は越えるだろうモニターもある。
「それでは、査定しますね」
その声で僕の頭の中にある全ての思い出がスキャンされ始めた。画面を観ると次々に僕の過去の全ての記憶が映し出された。幼少のころの思い出、大学時代のバイトの事、就職で上京した頃の事、嫁との出会いから熱愛の頃の事、家族での楽しい思い出、会社での昇進祝い、そして、家族レンタル終了書のサインをするシーン・・・。画面では足らないほどの思い出のシーン。
スキャンが終わり、店員が何やら資料を持って来た。査定結果が出たようだ。
「素敵ないい思い出の合計が三億円です」
「嫌な悪い思い出が五千万円です」
「差し引いて二億五千万円が査定です」
レンタル費用とちょうど同金額の査定額。
迷うことなく店員に『売ります』の一言。
その後、思い出(記憶)の買取の前に後の生活の注意事項などの説明も受けるが頭には入りはしない。ただ、その時に覚えているのが結婚願望の方が、記憶だけの結婚生活や場合によってはモテナイ男性が、切り刻んで夜の夫婦生活の部分のみの記憶が高値で売れるらしい。記憶がある中サインと捺印をする。
説明後、間も無くオペ室のように部屋に案内され、全身麻酔をされ、また違う機械を体中に取り付けられ、オペという名の思い出というメモリーを僕の頭から専用のパソコンにデータとして移動。記憶の移動中、麻酔が効いていたのはあるが、何かスッキリ気持ちいい心地よさが全身を漂う。
事前に元嫁の弁護士に支払いの連絡を澄ませ、そしてオペは一時間後に無事に終了。
麻酔が解け、長い眠りから覚めた。
「バブ~バブ~」
目が覚め、周りを見渡すと、ひとつの部屋に運ばれていた。その部屋を見渡すと、同世代、または同世代以上の中高年の男性たちが紙おむつ一枚で戯れていた。
積み木で遊ぶ男性
クレヨンでお絵描きをする男性
砂場でお城を作る男性
保育士に哺乳瓶でミルクを与えられる男性
まるで大人の保育園。気が付くと僕自身も紙おむつを。
周りを見渡すと、テレビや雑誌でもよく見かけた某大企業の社長や有名な俳優、スポーツ選手までがおむつ姿で・・・
ここは、「人生の墓場」ではなく【人生のゆりかご】
記憶を全て失った中高年の憩いの場所。
今はストレス社会。
良い思い出ばかりではなく嫌な思い出の執着心が世の中に激震を与え、様々な犯罪が起こりうる時代。かと言って、悪い思い出が良い思い出で打ち消される要素も無い。
もっか環境問題に取り組む様々な策が日本を始め各国でも行われている。日本は世界的にも先進国であり経済成長期には環境汚染で地球環境や人体まで犯してきた。
リデュース・・・無駄なものは買わない
リュース・・・・再利用
リサイクル・・・もう一度やり直す
正にこの環境への取り組みこそが、人生の【Re】に相当するのかもしれない。
人の心や人生はこのReでは表せないことである。社会に順応する事は難しい。
でも人生がもう一度やり直せるのなら。
しかし、ストレスの無い社会はきっと一生やってこないだろう。