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テンプレな救世主登場

「そんな面倒な事しなくてもいいでしょ」


 軽い足取りと、同じように軽い口調。

 王家特有の金髪に緑目、まるで絵画に描かれている天使のような容姿の少年。

 そんな子がにこやかに微笑みながら、何の畏怖を抱く事なく最高権力者の目前まで歩いてくる。


「何用だ、ジークフリード」

「リー姉の危機を僕は見逃せない、分かっているよね父上」

「……」

「ジークフリード殿下」


 エルドラドン国第二王子、ジークフリード・エルドラドン。

 若干十四歳と少年の身でありながら、やる前から何でもできる天才と言われているほど優秀な人物だ。

 そして勿論『君クレ』では、彼もクリエーター隠し攻略対象者キャラ。

 ジークフリードルートの場合、他キャラの攻略度も好感度も、例え他人のルートに入っていたとしても関係ない。

 ルート開放の条件は、スイッチを踏むか否か、その一点のみ。

 どうも最初からジークフリードというキャラクターに乱数が組み込まれているらしく、どんなクリエーターがパッチ配信したジークフリードルートでも、開放スイッチを踏まない限り彼ルートが始まらないのだ。

 ただ乱数のせいで、何がルート開放スイッチになっているかが偶然の産物で全く分からず予想もつかなかったため、プレイヤーからは『運次第ルート』なんて呼ばれていた。

 因みにクレリットの前世は、一度も『運次第ルート』に入れた事はなかった。


 そんな人物に、何故か今世のクレリットは非常に懐かれた。

 五歳で王城に上がった時、二歳のジークフリードとの最初の顔合わせの時の事。

 乳母と数人の子守に見守られ、広い部屋で一人遊んでいたジークフリードに、精神年齢三十五+五歳児のクレリットは(これが、スチルがマジ天使!と名高いジークフリード様か、尊いっ!)と、脳内で拝んでいた。

 ジークフリードはクレリットを穴が開くのではないかと思うほどジーと見ると、そのままトテトテと彼女の側まで覚束無いない足取りで歩み寄って、ギュッと抱き付いた。

「まぁ、人慣れしておられないジークフリード殿下が」と乳母にたいそう驚かれたが、一向に離れる様子のない彼を膝に乗せ、大公の迎えが来るまで一緒に遊んだ。

 その日以降、時間が合えばクレリットはジークフリードの部屋を訪れた。

 勿論、乳母と子守も同席したし、やっているのは膝に乗せて本を読んであげている事。

 本はいつもジークフリードが用意していた、しかも絵本とかではなく、様々な専門書の類だった。

 クレリットは+三十五歳の前世年齢もあって、意味は分かるが理解はできない状態で、ジークフリードに本を読み聞かせる。

 そして彼の可愛らしい仕草を垣間見て、王妃教育が上手にできていない事とか、第一王子に邪険にされている事とかの癒しを貰ってから帰る、そんな日々を過ごしていた。


 一方、ジークフリードは全てが遅い子供だった。

 赤子の時に起こったとある事件以降、王妃はジークフリードに関わるのを拒否している。

 その所為だけとは言えないが、話さない、表情はない、感情を現さない、歩みは遅い、走らない、当然剣術もこなせない、魔力の内包は大きいものの外に出せるような気配がない。

 目も見え、耳も聞こえ、匂いも味も分かる、聞き分けもいいし、健康で病気一つした事はないが、王は王宮医師にも大神官にもジークフリードを診せたが「お体に問題はありません」「健やかに成長されています」と言われただけだった。

 十歳になってもこのままなら、お披露目もできない、当然まともな婚約者も選べない、王位継承権なんて到底無理な状態に頭を悩ませていた。 


 だがそんな問題も、ジークフリードの十歳の誕生日の数日前に突如解決された。 

 いつも通りクレリットが膝の上にジークフリードを乗せて本を読み聞かせをし、それが終わった時の事だった。

 ジークフリードはクレリットの方に振り向き、ニッコリ笑って口を開く。


 「ありがと、リー姉」


 やる前から何でもできる天才が覚醒した瞬間だった。





「国王裁判なんか面倒だって『真実の鏡』を使えば一発でしょ」 

「っ!」


 ちょっとそこのパン取って、くらいの気軽なノリで禁忌魔法の名を告げるジークフリードに、周囲からひっ詰めた声が上がる。

『真実の鏡』は王家の血を持つ男子であれば、自分の意志で誰でも使う事のできる魔法で、決して嘘を見逃さず許さず看破する事ができる。

 ただ禁忌とされるには訳がある、質問一つごとに魔法使用者の寿命が削られていくのだ。

 過去を紐解けば、たった一問でその場で干乾びた王族もいれば、何回も魔法を使用したなんて猛者もいる。

 削られる寿命はどれ位か分からないし、一定でもない。

 いくらジークフリードが年若かろうと、下手をしたら一問で死んでしまう事もあり得るのだ。


「ジークフリード殿下、そのような事はお止めください」

「んー、リー姉はあの人を苛めたの?」

「いいえ」

「じゃ、いいじゃん」

「そんな問題ではありませんっ!」


 何とか止めさせようと必死に諫めようとするクレリットを余所に、ジークフリードはアーサーと対峙する。


「兄上は、その人の事信じてるんだよねー」

「当然だ」

「じゃっ、いいよね」

「ふん、好きにするがいい」

「了解ーじゃっ、やっちゃいまーす」

「殿下っ!」


 止める暇もなかった。

 ジークフリードは風魔法で自分の手の甲の皮膚を裂き、即座に呪文を唱える。

 

「エルの名の許に、紡げ『真実の鏡』」


 次の瞬間、ジークフリードの血潮を使い目の前に大きな姿見が浮かんでいた。

 鏡であるはずのそれは、何も映しておらずただ銀色に輝いているだけ。


「最初の質問 『リー姉、ローズ嬢を苛めた?』」


 体調は大丈夫かと、心配そうに見つめるクレリットに、ジークフリードは穏やかに笑う。


「ホラ、僕は大丈夫だから答えて、リー姉」

「……いいえ、苛めてなどおりませんし、他の方の手を使って害そうとした事もありません」


 しん、と息を呑んだホールにクレリットの声が響く。

 浮かんだ鏡も、何も映さないままで変化は見られない。


「ホッホラ、真実の鏡が何も映さないというのは嘘なのよ。 クレリットは嘘を吐いているんだわっ!」


 今まで静観していたはずのローズが突然声を張り上げたので、周囲にいた者は驚いた。

 その慌てぶりに全く動じてないのはクレリット、そしてジークフリード。

 理由は、なぜ彼女が慌てるか分かっているから。


「じゃっ次の質問『ローズ嬢、君はリー姉に苛められたの? 後ろの令嬢達はリー姉に命令されたの?』」

「泥水を掛けられ、ノートも破かれたし、母の形見のブローチもなくなった、ドレスにワインを零されたわ」

「っ! はっ、はい」

「……命令、されました」

「そっ、そのっ通りです」

「信じてください!」


 瞬間、鏡面が赤く光って何かの像が結ばれる。

 よく見ると、それは学園の裏庭に立っているローズだった。

 校舎角から向こうの様子を窺いみて、足元にあったバケツの泥水を自分のスカートに掛けると悲鳴を上げた。

 程なくジャヌワンが校舎角から走って現れ、ローズの世話を焼いていた。


「っ、これは!?」


 低くボソリと呟いた声はいったい誰の声か。

 鏡面が揺れ、続いて映し出されたのは、廊下の端でノートを破るローズの姿。

 そしてそのノートを大事そうに抱えてトボトボと廊下を歩いていると、向こうの端からジルベルが姿を現し、ローズの顔を覗き込むように声をかけていた。


「……こんな」 


 今度は気の抜けたような声が聞こえた。

 再び鏡面が揺れ、教室の自分の机の中を何かを探す様子を見せるローズ。

 そこにアルンが現れ、会話が始まる。


 『どうしたのローズ、今日は課外授業だって言ってなかった』

 『母の形見のブローチを教室に忘れたので取りに戻ったのですが、見付からなくて』

 『一緒に探してあげる』

 『ありがとうございます、ライル様』


 暫く二人で探すが、ブローチは見付からないらしく。


 『ないね』

 『どうしましょう母の形見なのに、誰かに盗られてしまったのでしょうか』

 『……誰に』

 『分かりません、でも、最後に教室を出たのは誰でしょうか』

 『……分かった』


 再び鏡面が揺れる。


「……わたくしが教室を最後に出て施錠しましたわ」

「やっぱり、やっぱりアンタが盗んでっ!?」


 突っかかってくるライルにクレリットは首を捻る。


「先程あちらのご令嬢が『私の命令で、ローズ様のブローチを盗みました』とおっしゃいましたけれど、あの方は学年が違いますから、課外授業前には教室には来られませんよ」

「え? アレ? アンタが盗んだんじゃ? じゃぁあの人が盗んだって告白は? でも教室には来れない?!」


 軽く混乱に陥っているライルを他所に、鏡はまた別の像を映す。

 舞踊の授業が終わったばかりのホールだろうか、誰もいなくなったその場でローズはワイン瓶を取ってドレスのスカートに掛ける。

 暫くホールの隅に潜んでから、廊下に飛び出すとアルラーズとぶつかった。

 

「こんな、こんな、馬鹿な事が……」


 アルラーズのアルビノの赤い目が大きく見開かれ、さらに赤くなっているような気がする。

 そして鏡面は揺れ、再び像が結ばれる。

 学園内の階段脇だろうか、そこにいるのはローズと下級貴族のの令嬢達。

 円陣を組むかのようにひっそりと固まっている。


 『私は王妃になった暁には取り立ててあげるわ、だから頼むわよ卒業パーティーの罪の告白』

 『……本当ですね』

 『クレリット様では、何も得る物がありませんでしたわ』

 『折角、取り入りましたのにね』

 『約束いたしましたわよ』


 真剣な表情で言い募る令嬢達に、ローズはお腹を軽くさすり口元だけで笑う。


 『大丈夫よ、切り札があるの。 その為の駄目押しなんだから、ちゃんと連れてきてよ』


 令嬢達は頷きあうと、階段を上って教室の方に向かっていく。

 暫くして上から合図でもあったのか、顔を上げていたローズが悲鳴を上げて階段下に倒れこんだ。

 程なく慌てた様子のアーサーが現れ、階段下のローズに駆け寄って抱きしめた。

 そしてゆっくりと階段上に視線を向ける、そこには他令嬢たち地一緒にいるクレリットの姿があった。


 フッと映像が消え、鏡面は再び静かになって何も映さなくなる。


「いやー凄いねぇローズ嬢、リー姉だけじゃなく、王族も騙す気満々だね」

「うっ嘘よ、こんなの嘘っぱちだわ」

「『真実の鏡』は嘘を吐かないよー、こっちだって寿命削ってるんだからさ」


 ジークフリードに言い負かされ、ローズは真っ青だ。

 そんな二人の間にアーサーが割って入る。


「まっ待て、待ってくれ、ローズは追い詰められてこんな事をしてしまったんだ。 決して意図して私を騙そうとしたわけではっ!」

「兄上ー忘れているようだけどさ、リー姉は王位継承権四位だよ。 僕らと叔父上がいなくなったら女王になるんだよ」

「なりませんっ!」

「やだなぁリー姉、可能性の話。 で兄上、未来の女王……になるかもしれない令嬢を害してまでのローズ嬢が追い詰められたって事って何さ」

「そっ、それは……」

「何、リー姉の事はあれだけ責め立てといて、自分に都合が悪い事は口籠るの? かっこ悪ー」

「……ローズの、彼女の腹には私との子供がいるんだ」

「ふーん、つまり兄上はリー姉という婚約者がいるにもかかわらず、ローズ嬢と浮気してヤっちゃったと。 でローズ嬢は子供を切り札と考えて、兄上を騙くらかしてでもリー姉を排除するために他令嬢達を抱き込んだと」


 あまりの衝撃的な告白に、ザワザワザワと周囲が波立つ。

 だがジークフリードは追撃の手を緩めない。


「ローズ嬢に質問『腹の子は誰の子?』」

「酷いっ! アーサー様のお子です」


 鏡面が赤く光り、像を結ぶ。

 赤い光が収まった後そこに現れたのは、全身真っ白な男の姿だった。


「わーお、王族の子じゃなくて、神の子なんだね」

「っ!」

「ローズ、私の子だと」

「……俺にもそう言ったな、ローズ」

「嘘だっ! 僕との赤ちゃんだって言ってくれたじゃないか」

「ロッ、ローズ!?」

「へぇ」


 一遍にローズに詰め寄る男達の様子を見て、ジークフリードは楽しそう口角を上げた。

『真実の鏡』の魔法を解いて、ゆっくりと一歩一歩、見苦しく狼狽える男達の方に歩みを進める。


「ローズ嬢は全員と体の関係があって、全員に『貴方の子』と言ってたんだね、まぁ本当に誰の子か分からなかったのかな。 それでも兄上が『自分の子』と言った時に、他の男が驚きもしなかったのは『貴方との子だけれど、アーサー様のお子として育てたいの』ってローズ嬢の気持ちを分かってた事か」

「「「「「っ!」」」」」

「ジルベル・ローランド、ジャヌワン・グレゴリー、ライル・オリバー、アルラーズ・ミクルベそしてローズ・リアン男爵令嬢、立派な不敬罪だねぇ」


 天使の微笑みを浮かべているのに、魔獣にでも狙われているかのように全身が凍る気がするのは何故か。

 ホール中が、氷の牢獄に閉じ込められたみたいに音が消えた。

 魔法を解いたせいだろう、ジークフリードの手の甲からポタポタと血が垂れて、その小さな音だけが生きて聞こえる。


「あっのっ、ジークフリード様、私、聖魔法が使えますから、その傷を癒して」

「あぁ、そう?」

「はい」


 この状況において花が咲く笑顔を浮かべられるヒロインは、正直凄いとクレリットは素直に感心する。

 ただ相手にそれが通用するかは、甚だ疑問ではあるが。

 ローズがジークフリードに近付き手を取ろうと頭を僅かに下げたその時、項でカチリと何かの金属音がした。


 「え?」


 慌てて身を起こし自分の首に手をやってみれば、幅一センチ程の金属の輪がローズの首に回っていた。

 その輪は飾りも、ある筈の繋ぎ目も見当たらない。


「えっ! えぇ!?」

「『魔封じの首輪』だよ、これで君は一切の魔法が使えなくなった。 鍵として僕の血を混ぜたからね、僕以外の誰も外せないし壊せないよ」

「そんな酷い、横暴だわっ!」

「君がリー姉にした事は酷くないの? 横暴じゃないの? 何もしていない無実の令嬢に、己の私欲のためだけに罪を着せて貶めて、下手をすれば斬首の運命にさえあった」

「っ! わっ、私は国にたった一人の聖魔法の担い手なのよ! 賢くも美しくもない何もできない身分だけの残念令嬢なんかより、私が王妃になった方がよっぽど国のためになるわよっ!」

「うん、それだったら、兄上とリー姉に婚約解消させるだけで良かったよねー。 二人は仲良くなかった訳だし、リー姉はもう大分前から身を引いてたようなモンだったしね。 でもそうしなかった、あくまでも徹底的な排除を狙った、それは何故か? 君も色々言ってるけど本当は分かってるんだよね、王家が何より欲しているのはリー姉の身分……正しくはその高貴な血脈なんだって」

「……」

「あとさ、君が現れる前でもこの国は機能していたんだから、たった一人の聖魔法使いがいてもいなくても、大して影響なんてないよ」

「なっ!」

「でさぁ、君の聖魔法って『治癒』と『祝福』だよねー。 病気を治せない中程度の『治療』なら神官やハイポーションで十分だし、『祝福』で死霊系アンデッドや一時的な体力強化に効果があるけど、複数の男に股を開く聖女の祝福なんていらなくない?」

「っ!」

「だから要らないんだよ、君も、彼等も、そこの令嬢達もね」


 ジークフリードが美しすぎる笑みを湛えてそう言うと、いつの間にか背後に揃っていた第二王子の近衛騎士達が一斉に捕縛する。

 呆けていた令息達は大した抵抗もなく捕らえられ、ローズと令嬢達からは悲鳴や泣き声や言い訳する声などが上がっていたが、ジークフリードには聞こえていなかったようだ。

 近衛達が動き出した段階でクレリットはジークフリードに駆け寄り、自分のドレスに血が垂れるのも全く気にしない様子で、裂けた手の甲の傷口に折り畳んだ絹のハンカチを強く押し当て、幅広の紐で何重にも巻いて縛った。

 そして血が垂れてしまった指先を、柔らかな布で拭いていく。

 何となく仄温かい布、縛られた幅広い紐もそうだが色合いと裂かれた断面からして、クレリットが着ているフラール生地のペティコートだと予想がついた。

 自分のドレスを割いてまで、手ずから心配をしてくれる。

 ジークフリードはそれが本当に嬉しくて、先程までとは全く違い周囲を昇天させてしまうそうなほどの蕩ける笑みを浮かべているのに、クレリットは眉間に皴を寄せながら慮る。


「そんな顔しても誤魔化されませんからねっ! 全く『真実の鏡』を使うとか無茶して、万が一ぽっくり逝っちゃったらどうする気だったんですか」 

「リー姉が救えたら、それでいいかなーって」

「いいかなー、じゃありません!」

「ふふふ」

「……何ですか」

「リー姉のその口調、久しぶりで嬉しい」

「……」


 そうまだジークフリードが覚醒する前は、前世の口調のまま話していた時期もあった。

 あの頃周りにいた人物と言えば、乳母と数人の護衛騎士だけだったから。

 流石に天才と言われるようになってからは、周囲に人も多くなったし第一王子の婚約者であるクレリットが、こんなフランクな口調で話す事などできるはずがなかった。


「そんな事よりも、ジークフリード殿下」

「あーあ、戻っちゃったね」

「殿下、体が痛いとか、どこか苦しいとか、寿命が減ってるような気がするとか、何か異変はございませんか?」

「……うん、ここが痛いよ……」


 ジークフリードが鳩尾を軽く拳で叩いたものだから、クレリットの表情が悲痛に歪んでいく。


「まっまさか、このまま干乾びるとかないですわよね」

「うん、大丈夫、この痛みは……」

「クレリットっ!」


 ジークフリードの容態を心配しているクレリットは、真後ろから大きな声で呼ばれた。 

 振り返るとそこには、何か憑き物が落ちたような妙にさっぱりした表情のアーサーがいて、さらにその後ろを様子見すればローズや令嬢達や令息達の姿はなく、ジークフリードの体調を気にしている間に連行されてしまったのだろう。

 元婚約者であった男は一言。


「喜べ、仕方ないからお前で勘弁してやる事にした」


 …………………………何を?

 正直頭は真っ白だが相手は腐っても第一王子、クレリットは淑女の礼法に則って、礼儀正しく疑問をぶつけてみた。


「喜べ、とは一体何をでしょうか?」

「一々言わねば分からんのか、婚約破棄を止めてやるというのだ」

「仕方ない、とは?」

「お前しかおらぬのだからな、仕方がないな」

「勘弁する、とは?」

「お前は知識も容姿も何もかも程々だからな、これ以上無理は言うまい勘弁してやるというのだ」

「……」


 つまりこの男は、自分から婚約破棄を言ってきたのも、無実の人間に冤罪をかけようとしたのも、婚約者がありながら浮気で体の関係を持ったのも、未婚貴族令嬢の純潔(かどうかは定かではないが)を散らしてしまった事とか、全てを有耶無耶にし白紙撤回しようというのだ。

 しかもそれが、まかり通ると本気で思っている。

 おかしいなーこの人、帝王学を習ったはずなんだけど、成績も良かったはずなんだけど、いつからこんなに阿保の子になってしまったのだろう?

 とりあえず、決定してしまっている事を確認しようと、クレリットはアーサーに顔を向ける。


「殿下、わたくし達の婚約は、言霊の魔法で成され紙面に書いた婚約証はついでのようなものです。 先程わたくしと婚約破棄する旨を宣言し、わたくしが了承しましたので、すでに婚約は破棄されております」

「何だと、お前が勝手に了承するからではないか。 取り消せ、今すぐ取り消すんだっ!」

「さらに殿下はローズ様を『私の婚約者とする』と宣誓されました。 すでにローズ様が婚約者ですので、今この場でわたくしが殿下との婚約破棄を取り消しても、新たな婚約者にはなりえません」

「何、ローズは私を騙した大罪人ではないかっ!」

「……殿下はローズ様を愛していらっしゃったのでは」

「愛していた……と思うのだがな、ジークフリードに魔封じの首輪を着けられたあたりから、どうも、こう、なんか、な」


 ローズは見た感じ、転生者ではない様子だった。

 もし転生者でアーサールートを狙っているのなら、別にクレリットに態々絡む必要はない、こっちは邪魔どころか陰ながら応援していたのだから。

 なのに余計なちょっかいを出して、自分の首を絞めた。

 これもゲームの強制力で、テンプレな魅了の魔法でも使ったのかな? と思わなくもないが、今更言われてもというのが正直な気持ちだ。

 ゲームの世界は終わった、自分の死亡回避は……多分できた……筈だ、これからは自由にゆっくりしたいのだ。


「わたくしは殿下の婚約者には戻りません、いえ、戻りたくありません」

「何だと! 何が不服だ!? 第一王子妃から王太子妃、さらには王妃、国母になるのだ、女の最大の幸福だろう」

「わたくしは五歳から今日まで、ずっと殿下に蔑ろにされてまいりました。 これから先も蔑ろにされ続ける人生は嫌です。 もう、解放してくださいませ」

「なっ!」


 清々しく笑ってそうきっぱりと告げたクレリットに、アーサーは激昂に染まる。


「きさ──ぐえっ!」


 何事か怒鳴り散らそうとしたのだろうが、瞬間、巨大な魔力の塊によって押し潰され、カエルのような声を出し床に張り付けられる。


「ジッ、ジークフリード!」


 王は慌てて魔力の中心にいる息子の名を呼ぶと、ジークフリードは肩口から顔の半分だけ振り返る。

 表情は抜け落ち、緑色のはずの瞳に鈍い黒色が混じり始めていた。


「父上、コレ要らないよね?」

「ならん、ならんぞ、ジークフリード! 魔力を抑えよ、暴走させるなっ!」

「え゛ー、リー姉を嘲った奴等なんか、皆死ねばいいのに」


 気のせいとかではなく、実際にホールの気温がどんどん下がって、壁や窓ガラスがパキパキと音を立てて凍っていく。

 吐く息さえも瞬時に氷結し、空気中の水分が凍て付いてキラキラと輝きだした。

 見た目だけなら大変に奇麗な光景だが、いわゆる細氷ダイヤモンドダストになるには、氷点下二十五度以下と言われている。

 ホールに残っていた者達は、舞踏会を前提とした身軽な礼服やドレスで、業務用の冷凍庫に入ってしまったのと同じ状態に晒された。

 魔力耐性のある者が入口に走り必死にドアを開けようとしていたが、すでに凍り付いてビクともしない。

 耐性のない者など、その場にただ突っ立っているだけだ。

 禍々しいほどの魔力がジークフリードの周囲に渦巻く、人一人を殺すというには多過ぎる、まるで国一つでも屠ってしまいそうな勢いに戦慄が走る。

『嘲った奴等、皆死ね』その言葉に、ホールにいた殆どの者が動揺を隠せない。

 例え本人の前で言った事がなくとも、秘密裏に口に出さずとも、心の中で嘲った事はないか。

 残念令嬢、霞草カスミソウ令嬢、そんな言葉を聞き笑った事はないか、その通りだと思った事はないか、その全てが『嘲った奴等』に含まれるのだとしたら。

 全員に諦めの色が滲み出した時。


 パンッ! と乾いた音がホールに響いた。

 十センチほど高いジークフリードの頬を、両手で挟むようにクレリットが叩いたのだ。


「駄目です、ジークフリート殿下」

「駄目?」

「駄目です」

「そっかー、リー姉がそう言うなら仕方ないねー」


 ジークフリートの顔に表情が戻り瞳の色が澄んだ緑に還ると、周囲にばら撒かれていた暴力的な魔力が消え、気温も氷壁も元通りになっていく。 

 両頬を手で挟んだまま「よくできました」そう言わんばかりにクレリットが微笑むと、ジークフリードはそのまま彼女を囲い込むように抱き締め、頭頂部に顎を乗せる。


「……うん、そうだね、やっぱりそうしよう……」

「? ……っ、きゃ!」


 何事かぼそりと呟いたかと思ったら、いきなり姫抱っこをされ慌てたクレリットはジークフリードの首に手を回した。

 ジークフリードは抱き上げた勢いのままクルリと半回転すると、後ろにいた王と大公に笑いかける。


「父上、叔父上、約束だからねー」

「「……」」

「?」


 無邪気な笑顔のジークフリードに、何か言いたげながら言葉を殺す王と大公、そして頭の中が疑問符で一杯のクレリット。

 腕の中にいて首を傾げるクレリットに、ジークフリードはクスリと笑う。


「リー姉、可愛い」

「一般論を言わせてもらいますと、ジークフリード殿下の方が可愛らしいです」

「さっきまでの現状を踏まえて、そう言ってくれるのはリー姉だけだよ」

「? あ゛-さっきまでってそう言えば、寿命減らして、魔力使って、手も怪我しているのに、こんな重い物を抱えるなんて! ちょっ降ろしてください」

「ダーメ 大丈夫だよ、魔力操作してるから」

「……それ、重いって言っているのと同じですからね。 将来の妃候補とかに絶対言っちゃ駄目なやつですよ」

「うん、リー姉にしか言わない」

「……地味に凹みます……」

「凹んでるリー姉も可愛い」

「っ! 騙されませんからね、ジークフリード殿下、降ろしてください!」

「アハハハハ」


 周囲の状況も視線も何のその、ジークフリードは来た時と同じように軽い足取りでホールから出ていく。

 違うのは、腕の中に閉じ込めた霞草カスミソウの花一輪。

アーサー君と愉快な仲間達、頑張りました……瞬殺の返り討ちですが。

やったことありますが、カスミソウだけの花束ってなかなか圧巻ですよ。

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