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C3の勇姿、そして転生へ -Prologue or malicious joke-

 ――真っ白な暗黒だった。

 耳に残響するのは、悲鳴と金属音、そしてヒヴォン、ヒヴォンと周囲を圧倒するようなエキゾーストノート……それらが、やがてドロドロと混じり合い、俺が先日どこかで、あるいは遠い昔、遙か彼方の銀河系で聞いたことのある音……声に変わっていった。

 分解。

 俺の、俺を構築する要素がばらばらに分解される。断片となる。強い姿に憧れた記憶も、断片に。なにに憧れたのか、今ではもう分からない。分からないという言葉の意味すら、分からない。

 声だけが、《俺》の断片たちを包み込んでいた。

 天使のように高い声にも、悪魔のように低い声にも、あるいは、三十二歳の小太りの男の甲高い声にも聞こえる声。まるで、二重カギ括弧で囲われるのがいいような、その声が――《言う》。


『精神および、記憶の分離完了。疑似物質化完了。転送――(ヒューイという高い音)――完了。精神および記憶の再構築――完了。

 さあ、目を覚ませ』


 そして、俺は目を覚ました。

 痛みはない。――なぜ、痛みの記憶がある?

 驚きはある。――それは、変化の証明?

 そして、俺には言葉もない。――言葉を絶するほどの、《言葉逹》の壁。


 見上げても見下ろしても、無限に続く――本棚。その無限の本棚(奥行きも当然だ。きっと、俺が振り返ったらそこにも、ひたすらずらりと本が並んでいたことだろう)に挟まれて、窮屈な通路があった。

 その通路の、俺の歩幅で、おおよそ20歩ほど離れた場所。

 そこに、豪奢な椅子が置かれていた。

 そこに、仮面の男が座っていた。

 そして、その男が言うのだ。

『ようこそ、《無限図書館》へ』

 男は言って、そのようにして、物語が始まる。

 だが、俺は知っていた。

 物語は、もう、終わってしまっていたのだ。


          ●


 火曜日で、曇っていた。

 俺は仕事に向かうべく、作業着に着替えてアパートを出た。甲高い音を立てる錆の浮いた階段を降りて、郵便局の前を通り過ぎて信号が変わるのを待つ。

 おんぼろアパートから、職場である工場まで徒歩10分。交通費が掛からない代わりに、雨が降るだけで出勤する気力すら奪われてしまう絶妙な距離。傘を持ってこなかったけれど、夕方まで持ちそうにも見える曖昧な空模様だった。

 いや、そもそも。

 傘なんか持っていって、本当に雨が降ったら困る。置いてある傘は勝手に使って捨てていい、と本当に思っているようなヤツらがいるのだ。複数形。

 最悪な職場だった。

 中学生の、特に出来が悪いのを純粋培養したみたいな連中。大声で騒ぎ、煙草とパチンコと風俗に精を出し、人に舐められたら死ぬと思っている節がある、なんとも人間一周目みたいな連中。

 なんでそんなのがたくさん雇われているのかというと――社長が、もうほんと、そんなのの親玉みたいな人物だったからだ。

 どうしてそんな会社に勤めちゃったかというと、なんのことはない、転職に失敗して流れ着いたわけで、引っ越しやらなんやらのお金が貯まったら即座に辞めて転職してやると誓っていた。誓っていたの、だ、け、ど。

「いや、もう無理っしょ……」

 声に出た。自殺したいとか、そこまでネガティブってないけれど、この交差点を越えた先にある職場へ、もう行きたくなかった。

 いっそそこのローソンで、ブラックモンブランあるだけと黒霧島を買って、道端でキメようかとも思う。無論、それは逃避でしかないのであって。

 なので、もうほんと行きたくないんだけど、今日が最後だと自分に言い聞かせて足を踏み出すことにする。高濃度低脳地帯である会社だ、労基法どころか『モチモチの木』すら読んだことのないような社長だ、朝イチで「辞めます」って言えば、「あっそ」で辞められるだろう。また無職生活に戻ってしまうが、肉体労働のおかげか、わずかばかり貯金はある。それを元にして、知らない町へ行ってみよう。引っ越しも、今ある家財道具を全部持って行こうと思うから金が掛かるんだ。男は体一つでいい。少しの荷物は、肩にぶら下げられるだけでいい。

 そう、辞めようと決めた途端、心が楽になった。横断歩道の白線ばかりを見るのではなく、顔を上げて前を向こうと思えた。そうすると、気が付くものだ。空が案外青いこと、角の銀行が低金利ローンを推していること、そして、特徴的なエキゾーストノート――

「この音、まさか……」

 俺は、バンバルンバルン!と気持ちよく爆ぜる音を見る。そこには、空と同じように青いブルーメタリックの姿が、今のご時世じゃ聞けないような爽快なエンジン音を立てながら走っていた。

「うわ! コルベット! C3! すげぇ、本物はじめて見た!!」

 ガチリとしたバンパー、コーラの瓶みたいな機能美と官能美を兼ね備えた形状。空気の壁を力任せに突き破って進むかのような、男らしく力強いフロントマスクに、そこのけそこのけとアスファルトを踏みつける、ぶっといタイヤ。その腹に収まっているのは、7.4L、もしくは5.7Lと、いずれにしても、アメリカニズムを叩き付ける、V8エンジン。NASAに所属した宇宙飛行士たちがこぞって乗り回したという、伝説のクルマ……そう、シボレー・コルベット C3!

 辞めようとしたこのタイミングで、最高にイカしたクルマに出会えるとは、幸先がいい。きっと、この世界すべてが、俺の新たな一歩を祝福しているんだ――そう思っ


――どばたん、という音が聞こえて、消えた。


 世界/視界がぐるりと周り、音が遅れて聞こえてきた。悲鳴。衝撃で吐き出された空気。俺の声。喉を掻き毟るように吐き出される声。空の青と、アスファルトの黒、歩行者信号の青と、――トラックの銀色に輝くISUZUのバッヂ……

 反転/直下/衝撃、違和。あれ、トラックの運ちゃん――

 轟音と迫るタイヤ。死の匂い。脇見してる運転手。血の薫り。激痛による頭痛。C3。鼻の奥で膨らむ吐血。外れた視線。転がる輪廻。永久と永遠の輪舞曲。V8のエキゾーストノート。

 一瞬が永遠を微分する最中で、俺は諦観に身をゆだねていた。


(仕方ないよな……コルベット C3だもん……)


 そして――俺は、死んだ。


          ●


 はずだった。

 なのに。


『私は《管理者》だ』


 目の前には、黒詰めの男が座っていた。

 いや、恐らく、男。背恰好から男に見えるだけで、その顔の大部分は黒い仮面のような装飾品で隠されているからだ。劇場版「ナデシコ」のアキトみたいな状態だった。

 その、《管理者》を名乗った男?がなにか言いかける、よりも早く俺は――

「あの違ったらスミマセン……異世界転生?」

 問いを受けて、《管理者》、

『……はぁ。これだから、目の肥えた読者は』

「ん?」

『え?』

「なに?」

『別に?』

「そうですか」

『はい』

 はいじゃないが。

《管理者》は椅子にふんぞり返って、それから、これ見よがしのため息を吐く。んでもって、

『まぁ、君みたいなデータベース消費するポストモダンの動物は嫌いじゃないよ、説明が楽だから』

「は? データベース消費?」

 動物化するポストモダン? ゲーム的リアリズムの誕生? 太った評論家?

『気を取り直して――おめでとう、君は死んでしまった』

「死んだのにおめでとうなの?」

『ふふ、確かに君は死んだ。しかし、こうして転生する機会を得たのだ』

 喜ばしいだろう?と《管理者》は言う。俺は、うん、まあ、嬉しい気がする。嬉しいよそりゃ。

 あんまりなろう系のラノベは読まない俺でも、異世界転生すればチート能力が手に入ってハーレムできるし、上手くやれば冒険者として、変態女クルセイダーとか例の紐の神様とかとキャッキャウフフできるということは知っている!

『なんとなく考えてることが分かるな』

「えへへ、分かる? そりゃ、異世界転生といえばチートで無双でハーレムだし!」

『は? 異世界転生したからって、みんながみんなチート無双ハーレムできるわけじゃないよ?』

「…………は?」

『特殊能力者だってそうだ、能力者ばっかりだったら、《特殊》じゃなくなっちゃう。特殊なら、《特殊》であり続けなければならない』

 めんどくさいワナビみたいなこと言ってる。あれ、今ってもうワナビって言わないのかな?

『めんどくさいワナビとか思ってるの聞こえてるからね?』

「え、嘘、やば」

『いやまぁいいけど。そもそもこの世界、転生者は多いんだよ。で、それが全部ハーレムしてたら、人口比率とかヤバいことになるでしょ?』

「……多いの、やっぱり?」

『ここ数年特にね』

 どこの世界のせいかは言わないけど、と《管理者》はチクリ。え、でも俺に言うの筋違くね?

『説明しよう。ここはさっきも言った、《無限図書館》。ご覧の通り、ヤバいくらい本がある。さて、ここでクエスチョン』《管理者》は人差し指を立てて、『この本たちは、一体なんだと思う?』

 本の正体? なんだろう? 俺はよくよくそれらの本を見てみるけど、背表紙に書かれている文字たちはどれも読めそうなものではない。装丁や大きさもまちまちで、人間の皮で装丁してそうな本の隣に、富士見ミステリー文庫みたいなツヤツヤした本もある。気になるから、できれば大きさは揃えてほしい……

『分からないだろうな、それもそのはず、これらは本であって本ではない』

「……どういうことだ?」

『これは――世界の本当の姿だ』

「本だけに?」

『ごめん、今、そういうのいらないから』

「あっ、スミマセン……」

 しかし……この本が、本棚が、世界の姿? それって、もしかして、

「この一冊一冊が、別の世界……異世界ってこと?」

『異世界ってくくるのはいささか乱暴だな。おまえの世界も、他の世界から見れば《異世界》なんだ。おまえの世界の感覚でいえば、日本以外は全部「外国」という国だと思うようなもんだ』

 確かに、外国でくくるのはマズいな。アメリカとオスマン帝国じゃ、文化様式も全然違うわけだし。

『そして、これだけの世界があって、他の世界――他の本があることを知ってる世界では、別世界のテクノロジーやあるいは自世界に有用な人間を集めたりしてる。そのままさらうと、場合によっては宇宙質量が変わったりとかで面倒だから、死んだ人間を転生させてるわけだ』

「はぁ、なるほど……」

『そして、得られるものが多いから、そのリターン――その世界において、強いとされる力を付与するわけだ。チート能力だとかモテる要素だとか。そうすることで、その個体の生存可能性が上がるからな』

 なるほど、TRPGにもあったな。デモパラだったか。

『俺はその、リクルーターみたいなもんだ。俺が属する世界における《図書館》の《管理者》』

 そういうことか。確かに、異世界転生で神様とかに類するキャラも、その世界の偉い人だったりするしな。

『じゃあ、もう一度質問――あんた、なにができる?』

「え……私、ですか……?」

 面接みたいになってきた。死にたい。

「できること……あ、趣味で小説を書いており、最近では、村上春樹にハマっています!」

『興味ない』

 ひどすぎる。

「じゃあ、なんで俺を転生させたんだ……?」

『俺の世界――そこでは、《純粋数術》が発展している。万物を数学的に理解する手段』

「うえ……数学苦手。3+3の計算間違えて負けたことがある……」

『アホすぎだろおまえ……まあいいや、その素質があった。だから、俺はおまえを、ここに召喚した』

「素質……? だから俺は、3点と3点で7点持っていけると思ったんだぞ?」

『いや、脳の出来じゃなくて、まさしく素質のことを言ってるんだ』なにげに脳の構造バカにされたな……『《純粋数術》をより発展させられる可能性だよ。そのためには、努力しなきゃいけないけどな』

「えぇ~……異世界転生なのに、努力とかしなきゃなんないの……?」

『まぁ、人生やり直せると思えばいいんじゃないか?』

 そうだろうか。あんまり得した気がしないんだけど。

「で、その《純粋数術》って、なにができるの? 素質あって努力すればいろいろできるようになるって、要するにレベル上げろってことでしょ?」

『そう単純な話じゃないが……とはいえ、3+3間違えてるようなアホが分かるように、うまく噛み砕いて説明できる自信がないんだがな……』

「し、仕方ねーだろ、エクストラターンで勝ちを焦ってたんだよ……1-4卓だったけど」

『え? 1-4してたのにドロップしなかったの? オポテロかよ……』

 この中二病丸出しの黒尽くめ、絶対ウチの世界出身だろ。しかもオタク。

『とはいえ、そんなMTGヘタクソなおまえでも分かるように平たく言えば、魔法みたいなもんだよ』

「なんだ魔法か」

『魔法じゃないんだけどな。異世界=魔法ってイメージも捨ててくれ』

「パソコンある?」

『ないよ。生活文化はドラクエとかそこら辺レベル』

「…………」

『まあともかく、こっちは見込みがありそうだから引っ張ったんだ。他の世界とのドラフトみたいなもんだから、引き抜いた分の仕事はしてくれ』

「仕事……ってのが、その《純粋数術》の修行ってことか?」

『いや、大丈夫、それは追々で』

「追々」

『英雄を転生させた訳じゃないんだ、こっちから英雄譚用意するようなことはしない』

「…………え、チート無双は?」

『自分で頑張ってやることだな』

 自力でチート能力に届いたら、それはチートではない気がするんだけど。

「……ええい、どうでもいい! なるようになれ!」

 俺が開き直ると、

『そうそう、その意気だよ』

 完全に他人事のテンションで言われた。転生させた理由、本当にあったのか……?

『それに、エルフに転生したんだから、汎用性はお墨付きだ』

「え、エルフなの!?」

 思わず俺は、身を乗り出す勢いで聞き返した。眼前にトラックが突っ込んできたような顔で、うぉぉとか言いながらちょっと引く《管理者》。

「そんな引くなよ、俺エルフ萌えなんだ! MTGでも、普段はエルフ握ってるしさ!」

『エルフ……? ああ、うん、そう……』

「あ、エルフ握ってるのになんで《稲妻》撃ったんだって言いたいんでしょ? 仕方ないじゃん、エルフ貸したヤツが、借りたままGP行っちゃってさ~」

『す、すごい早口だな……』

「そんなわけで、エルフ萌え! 嬉しい! 頑張る!」

『……そうだな、うん、頑張れば道は開けるよ。うん』

 なんか意味深な感じで言う《管理者》だった。



 さて、転生だ。

 俺は《管理者》に連れられて、果てのない図書館――《無限図書館》を後にする。なんでもこことは別のところが、いわゆる異世界への入り口らしい。

「あんたも、他の世界に行けるの?」

 世間話で訪ねてみた。そしたら《管理者》は、

『いや、俺は無理』

 とあっさり。

「そうなの?」

『観測できるだけ。宇宙のこと知ってるから、宇宙に行けるって訳じゃないだろ?』

「……あんた、その世界の出身なの?」

《管理者》が手に持っているのは、一冊の本。それが、これから俺が向かう《イーセ》という世界らしい。文明レベルはドラクエ風って言ってたけど、いやまて、ドラクエ知ってる時点で、イーセの出身じゃないんじゃないか?

『…………まあ、いいだろ、その話は』

 はぐらかした。これは絶対伏線だ。覚えておこう。

 俺が連れてこられたのは、四方?もしくは八方?をガラスで覆われた部屋だった。その向こうには、スタートレックの宇宙背景みたいに真っ暗な中に光の粒が浮かんでいる。星空というより、プラネタリウムを連想する部屋だった。

『ここが《観測室》。そしてこれが――』

 言いながら指さした先には、同じようにガラスで作られたらしき、書見台が鎮座していた。《管理者》の腰の高さくらいまである。

『――《世界写し》と俺は呼んでる。イーセの《純粋数術》で作った、他の世界を覗く道具だ』

 なんでも、ここから《イーセ》への行き来は、《管理者》でもできるらしい。けれど、他の世界に関しては本を置いてその中を読む、つまり覗くことしかできないらしかった。

『《世界写し》に本を置くと、』

 ガラスがきらりと光を反射したと思った次の瞬間、まるでVRのように自然豊かな風景が、《観測室》全体に映し出された。それを見て俺は、

「ちょっと待って! なんか今、俺うつってなかった気がする!」

『え?』

「ほら、一瞬きらってしたでしょ? その時、あんたは映ってたけど、俺がいなかった気がする!」

『……いや、映ってたと思うけど』

 そう言いながら、《管理者》は本を取り上げる。またきらっと光が反射され、元の宇宙空間みたいなところが映し出される、寸前。

「ほら! やっぱり! あんたと、なんでか知らんけどトラックが映ってた! 俺の肉体は? バ美肉じゃなくても、エルフになった俺は!?」

『…………』

《管理者》は、本を置く。イーセの風景が映る。

『…………』

 俺を指さしながら、本を取り上げる。宇宙空間が映る。

『…………』

 本を置く。イーセの風景。

『…………』

 本を取り上げる。宇宙空間が映る。ワックスを塗って、ワックスを拭き取るみたいにするなよ。

「……あれ?」

 何度も繰り返される、チャンネルを回し続けているようにパッパと変わるガラスに映ったのは、指さす《管理者》と、指さされる……トラック。そして、その正面には、銀色に輝く、

「おい、嘘だろ……回想が、伏線……?」

 力強く頼りになりそうなフォントの――「ISUZU」。

「そんな……エルフって、」

『汎用性抜群だろ?』

「いすゞのエルフじゃねーか! いすゞのトラックじゃねーか! こんなん出オチじゃねーか!!」

 俺の悲鳴が、《観測室》の中を何度も木霊していた。


                    つづく

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