表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

定義さんと私

作者: ぽたうん

「なあ、コンちゃん。『正しい』とは、なんだと思う?」


 夏から秋へと変わった九月のころ、定義さんはいつものように私に尋ねた。

 私は、また始まったぞ、と少し身構えながら、引き抜いた本を棚の正しい位置へと戻した。


「……またですか、『定義(ていぎ)さん』」


 定義さんの「これ」が始まると長くなる。少しばかり頭を使うことになるが、その分だけアルバイトがサボれる。加えて定義さんの「これ」が私は好きだ。さりとて書店業務がおざなりになることには変わりないので、真面目な書店員らしく「仕事が減るのは嫌ですけど店長のお言葉には逆らえませんよ~」といった空気を醸しつつも脚立を片付けて定義さんの座るカウンターへと向かった。


「また、ではないよ。『正しいについて』は、これが初だ」


 カウンターに頬杖を付きながら、なんでもないように定義さんは言う。

 眠るように柔らかく閉じた目と、それを覆う丸眼鏡。やや雑にも見える、首元で一つにまとめた髪。くすんだ()()()を中心とした、地味なファッション。化粧なんて見たことがない。

 この、女どころか世をも捨てたようなスタイルが、いつもの定義さんだ。椅子の上で片方だけ胡座(あぐら)をかいているので、カウンターがなければ弥勒菩薩か何かのようだ。一般的な弥勒菩薩像とは違い、どてらにズボンという何の威厳もない格好だが。


「はいはい、そんな屁理屈は聞き飽きましたぁ」


 L字に曲がったカウンターの、レジのない側に置かれた丸椅子を引き、座る。この席は定義さんの「これ」用に設えられたものだ。

 私が定位置に座ったことで、定義さんは頬杖と胡座をやめ、私に向き直る。そして一度にっこりと笑った後――これで誤魔化したつもりなのだろうか?――カウンターから見て後ろにあるポットと急須を使い、お茶を入れ始めた。

 ポットから急須へ、コポコポという音と共にお湯が注がれる。この間は特に言葉を交わさない。いつの間にかできた、私達のルールだ。

 その間に、私は今回の「議題」について考える。


 正しい……正しいかあ。正しい……正解……間違ってない……うーん。


 定義さんが何故突然「正しいとは何か」などと言い始めたか、については考えない。突然なのはいつものことだし、定義さんの考えを私には理解できない。

 代わりに、「正しい」について、できる限り無作為に連想を広げておく。


「さあ、お茶が入ったよ」


 定義さんが、私の前にお茶の入った湯呑みを置いた。四葉の模様の入った、ずんぐりとした湯呑みだ。

 定義さんは湯呑みを置くと、私を正面から見つめる。

 私はお茶を一口飲み、湯呑みを置き、その目を真っ向から見つめ返す。

 私と定義さんとの、「問答」開始の合図である。


   *


 正しいとは何か。間違っていないこと。


「間違っていないこと。なるほど、続けて」


 正解であること。


「正解であること。確かに、正解であれば正しい場面はありそうだ。いいね、続けて」


 正しい……うーん……ううーん……


「うーん、これでストップです。もう出ません」


 頭を抱えていた両手を上げ、降参のポーズ。

 定義さんとの問答は、たいてい私のターンから始まる。定義さんは聞き役に徹し、私が「何を連想したか」「どう定義するか」をひたすら列挙する。その間定義さんは、私の言葉を繰り返すか、「なるほど」「いいね」「続けて」の三種に毛が生えたような言葉を発するのみ。

 これを私の限界まで続けるのが、第一ラウンドだ。


「よし、じゃあ簡単にまとめようか。『間違っていないこと』と『正解であること』というものが出たね」


 足を組みながら、定義さんが第一ラウンドをまとめる。組まれた足は、ズボンこそダボっとしているものの、中身は細そうである。もったいない。


「今回はちょっと難しかったかな。いつもより出てきたものが少なかったね。うん、『正しい』という、ひどく単純そうに見える概念を定義することは、実はとても難しい」


 定義さんは「難しい」と連呼しながら、実に楽しそうに笑う。


「それじゃあ、それぞれについて掘り下げてみようか」


 微笑みながら、定義さんは眼鏡を軽く押さえた。第二ラウンドの開始である。


「『間違っていないこと』はちょっと難しいから、『正解であること』から始めよう。正解、正しい解。なるほど、『正しい』を考える上で有用そうだ。では『正解』とはどういうものだろうか? 『正解』と言えば、コンちゃん、何が浮かぶ?」


 そこまで言って、定義さんは自分の分のお茶を口に含んだ。

 第二ラウンドは、第一ラウンドで出た言葉を定義さんが解説・感想を述べつつ、質問を私に投げる、というラウンドだ。私が答えることで次に移るときもあれば、更なる質問が投げられるときもある。


「正解……といえば、クイズですかね」

「そうだね、『正解っ!』などと、クイズ番組が最もこの言葉を使っている節さえある。続けて」


 第一ラウンドのような連想が続く。


「あとは……そうですね、テストとか」

「なるほど。テストも正解だとか間違いだとかをよく聞く。続けて」

「うーん……ちょっと出てきません」


 再び頭を抱える私。このぽんこつ脳味噌では、これ以上の候補が出てきそうにない。


「よろしい。では後に出てきた『テスト』を使って考えてみよう」


 一歩一歩、定義さんは『正しい』に近付いていく。とても楽しそうに。

 私は定義さんに手を引かれて付いていくだけだが、それが楽しく、好きな時間だ。


「ここに算数のテストがあるとする」


 定義さんはカウンターに右手を置いた。


「『1+1(いちたすいち)()?』と書かれている。コンちゃん、なんと書く?」


 定義さんはいたって真面目に聞いてくるが、馬鹿にされている気分だ。


「2、です」

「そう、『正解』だ。『正しい』。では何故、そう書いたのかね?」


 カウンターの上の右手をくるりと返し、定義さんは核心に触れた。……ような、気がした。


「何故……って言われても、えーと……正しい、から?」

「そうだね、一足す一には二と答えるのが正しい。では、何故それが正しい?」


 定義さんは更に、カウンターに乗せた右手をずい、と突き出して聞く。


「うーん……そう、なるから……」


 難しい話になるのは毎度のことながら、なんと答えたものか分からず、曖昧な返事をする私。しかし、定義さんに容赦はない。


「何故、そうなる?」

「ええ……だって、そう決まってるじゃないですかぁ……」

「そうだ!」


 我が意を得たりと、定義さんは開いていた右手を握り、私を指差した。毎度ながら、急に叫ばれると驚くのでやめてほしい。


「『一足す一は二と決まっている』から『正しい』。この『決められている』から『正しい』という構図こそ、『正しい』の本質である、と私は考える」


 先ほどまであれほど眠そうに閉じていた目を見開き、あろうことかキラキラと輝かせながら定義さんは語る。夢見る少年のように語る。


「『決められている』とは何か。『一足す一は二である』とは何か。すなわち『ルール』だ。言い換えれば法則だ。ある法則が『決められて』おり、それに従った『問い』と『解』が対応付けられた状態、それこそが『正しい』ということではないかね!」


 両腕を大きく広げ、定義さんは続ける。


「『一足す一』という問いがある。その背後には『一足す一は二である』という法則がある。その法則はより一般的に整数の加算法則でも構わないが、とにかくそれに従って『二』という解が対応付けられた状態が『正しい』であり、それに従わない『三』や『零』などが対応付けられた状態が『間違い』だ」


 定義さんの語りを、私はお茶を飲みながらただ聞く。この状態の定義さんにおいそれと口は挟めないし、できれば挟みたくない。


「背後にあるものを『法則』と呼んでよいかは議論の余地はありそうだが、今回の範囲から外れるからまたの機会としよう。今回は『法則』と呼ばせてもらう」


 そこでクールダウンか、定義さんはお茶を一口飲んだ。


「更に突っ込んで考えるならば、テストというものは『1+1=?』という『問い』に対して『正解を答える』という法則がある。クイズもそうだな。故に、『正しい答えをすること』それ自体がテストとして『正しい』こととなる。二重構造だな」


 そこまで言うと、定義さんは湯呑みを持ち上げ、お茶を飲み干した。話に区切りを付ける時の、定義さんの癖だ。


「と、まあ、『正しい』に関しての私の考えはこんなところだ。コンちゃんは何かあるかね?」


 湯呑みを置きながら、定義さんが尋ねる。私は首を横に振って答えた。


「そうか」


 そう答える定義さんの声は、少しだけ寂しそうに聞こえた。

 しかし、すぐに定義さんはにっこりと笑い、カウンターの下に手を差し込んだ。


「それでは、本日の答え合わせといこうじゃないか」


 そう言ってカウンターの下から取り出したものは、分厚い国語辞典。

 今までの会話内容を元に、辞典で意味を確認するのが第三ラウンドだ。勉強とも復習とも違う、それこそ「答え合わせ」タイムである。

 ちなみに、第三ラウンドが辞典の確認であるためか、第一~第二ラウンドで辞典を使うことを、定義さんは好まない。


「ふむふむ……なるほど、こういう定義をするか……だが、やはり全て背後に『法則』があるように見える……おっ、この定義なんかまさにそのものじゃないかね! なあコンちゃん!」


 辞書を見て、少年のように笑う定義さん。その笑顔を見ながら、いつか私も、定義さんの話を聞くだけではなく、議論ができるようになるといいな、と思った。

お読みいただきありがとうございます。

辞書のシーンは本物を引用しようと思いましたが、著作権が怪しいのでやめました。。

言葉からの連想とか定義とか最後まで辞書引かないとか興奮度合いとかは、おおよそ著者の脳内そのままです。

あと、書いてて既視感がひどかったので、モロ被りしていたら教えてください。取り下げます。

モロでなくても被っていたら、こっそり教えてください。読みにいきます。

(著者の検索力では見付けられませんでした)


……これ、ジャンルにとても迷ったのですが、[日常]とか付けていいものでしょうかね?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ