93話目 木を見て森を見ず
昼休みは終わったが、ここが工場の分水嶺である。
機械を動かすモブエルフと、キューブの充填がお気に入りのテオ君以外は、みな私たちの推移を見守っていた。
セレーナは、魚人の大女を付き従えて、余裕の表情である。
“何を言われても反論してやるわ――”
そんなツラだな。
なので、相手にしない。
「セレーナ様の理論はカンペキです」
さらりと告げると、青白いコイは早くもパクパクした。
「あ、あの……ガイさん? それなら、変えなくてもよろしいのでは?」
「残念ながら、それはA班のみの話でしてね。全体の効率は、むしろ下がったのですよ」
その途端、セレーナは吹き出した。
「ガイさん。あなたはもう少し賢いと思っていたわ。いい? A-3という機械は、1時間に300個のキューブを作れるの。2時間で600個、紫キューブは2つ使うわ。対して、A-5という機械は、2時間で1000個作れるの。紫キューブは1つで済むわ。どちらの方が効率がいいかしら?」
「後者ですね」
「そう。コストを削減すれば、当然お金は稼げるの。あなたには難しいかもしれませんけどね。お分かり?」
おやおや、言われたよ。
数字がお好きでございますか、ハマチ様は。語感もハウマッチに似てますな、はっはっは。
「お言葉ですがセレーナ様、A-5はご承知の通り巨大でしてね」
「ええ、それが何か?」
「工場では現在、あふれたキューブを貸倉庫に入れております。そのため、『A-5のせいで余分にかかっている倉庫代』も考慮すべきなのですよ」
私は工場長を見た。
「マケールさん。A-5がどけば、その空きスペースに貸倉庫のキューブは全部入りますか?」
「え、ええ」
「では、月の倉庫代は現在いくらでしょう? 紫キューブに換算して下さい」
「え、えぇっと……300個です」
「つまり、1日10個ですね。これが、A-5を置いているだけで垂れ流しになっている状態なのです」
セレーナは眉を寄せた。
「その程度なら、A-5をフル回転させればスグ取り戻せますわ。効率が良いですから」
「おや、これは異なことを」
私は優雅にキューブを示した。
「A-5を動かす必要はないのですよ? すでにキューブはあふれておりますゆえ」
「――お待ちなさい、ガイギャックス」
ふむ、呼び捨てか。早くも気分を害したらしい。
「キューブの生産ぐらい、止めれば良かったでしょう?」
お前、さっき「フル回転」とか言ってただろ。
私は肩甲骨をすくめた。
「左様でございますね」
「だいたい、わたくしの改善によって生産力は上がったはずでしょう。怠けていたのではなくて?」
「お姉様!」
すかさずお嬢様が詰め寄った。
「工場の人たちは真面目に働いていたわ!」
すかさず大女が割って入るので、私もお嬢様を押さえる。
「落ち着いて下さい、お嬢様。お怒りはごもっともですが、セレーナ様はそれでは納得しません」
私はしゃべるコイを見た。
「セレーナ様? 僭越ながら、あなたのおやりになられた事は、一部の改善にすぎません」
「一部だけでも改善したら、絶対に良くなりますわね。あなたも認めましたでしょう? わたくしの理論は完璧だと」
「A班だけですがね」
「ならば、1つずつ完璧にしていけば良いのです。そうすれば、いずれ全てが完璧になりますわ」
「いいえ。それぞれを最適にしても、全体の最適にはつながりませんよ」
「――ガイさん」
セレーナは睨みつけてきた。
「全体、全体と、少々ウルサイですわよ? そんなに言うなら見せて下さいな。それぞれをカンペキにして、なおも全体が悪くなった例を」
この工場だよ、ハマチの干物。
――ああ、分からんか。
「分かりやすい例をお見せしたら、ご納得いただけますか?」
「天動説だって地動説になりましたわ。わたくし、変化は柔軟に受け入れますの」
この世界にも、天動説、地動説の騒動はあったらしい。
「セレーナ様。つまらぬ差し出口ですが、変わったことを受け入れたのは、私たちよりずっと前の人々です。私たちは、地動説という『より強固になった常識』を受け入れているにすぎませんよ」
セレーナは鼻白んだ。
「おっしゃることが、よく分かりませんわね」
「たとえば、いま私が天動説の正しさを説いたら、どう思われますか?」
「変な人だと思います」
「納得できる理論の裏打ちがあったら?」
「もちろん受け入れますわ、納得できればですが」
おっと、ガイコツの耳はスゴいな。「まあ無理でしょうけど」って空耳が聞こえたよ。
私は周囲を見回した。
「では、エルフのどなたか、キューブを4個渡して下さい。それと、机の配置も少し変えましょう」
「ガイさん。あなた、何をなさる気?」
そりゃ決まってるだろ。
「天を動かします」