170話目 老いたメンドリ、もう啼かず
――よく言った、バンビーナ。
私は内心ガッツポーズをとった。
そう、マトモに考えたら、とても逮捕は出来ない。この程度で評議員にケンカをふっかけるなど、報復されるだけ。誰も拘束など出来はしない。
空気を読まぬ、鹿でもなければ。
――信じることを恐れるな、か。
みんなが繋いでくれたバトンを、子鹿に託す。
お膳立てしてくれた最後の一撃は、バンビーナに懸かっていた。
「みなさま」
私がすかさず告げた。
「ここは、彼女の顔を立ててやりましょう。――警官が逮捕した。それだけの事です」
顔の崩れた護衛がニラむが、船長はほほ笑む。
「いいですわ。すぐに間違いと分かるでしょう。――うふふ、若いですね。知らないというのは、怖いことです」
物騒だね、この魔女は。
しかし、賛同しよう。
無知とは怖いものだ。
自分の命のロウソクが、もうすぐ尽きるというのにな。
船長よ。お前はずっと、「残り1日」という死臭がしていたんだぞ?
なのに、誰も気付かないんだ。
ああ……なんて滑稽なのか。
もちろん、船長はクスリをやってないだろう。
では、どこでクスリ漬けになったのか。
【活力奪取】だ。
バンビーナ宅の資料では、能力の転写効果がわずかながら認められると書いてあった。
ならば、マイナス効果も転写されるのだろう。
患者たちは千差万別だったが、ひとつだけ、薬物中毒という共通点があった。
船長は、そんな彼らを連日すすっていたのだ。
クスリ漬けになるのも当然である。
と同時に、死ななかった理由も【活力奪取】であった。
1日も欠かすことなく吸い続けることで、この魔女は生き永らえてきたのだから。
――おや、魔女がフラつきだしたね。
どうやら、予想以上にストレスが掛かっていたらしい。
「船長」
私はサッと体を支える。
「顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」
「ガイさん……。ええ、少し調子が……」
船長が私の耳元で囁いた。
「で、出てきたら……このヘタレ鹿も、親みたいに殺してやるわ……」
――お前だったのかよ。まったく、因果は巡るものだな。
「承知しました、船長。最上の策を練っておきます」
「うふふ、頼もしいわ……ガハッ!」
船長の容態が急変した。
行き先は、警察病院に変更された。
病室は、手前と奥で鉄格子によって仕切られている。
フェリーチャの護衛らは、選挙開始時からいた数名を除き、全員いずこかへ引っ込んだ。いま室内にいるのは、白魔法に長けた警察病院の医師2名と、私だけである。
――新参を近くに寄せて、古参は外で立たせるとか、禍根を残すぞ。まあ、どうでもいいが。
私は、枕元のスツールに腰掛けていた。
あとはこのまま、落語の死神のように、くたばる様子を見守るばかりである。
「はぁっ、はぁっ……」
魔女は、急速に老いさらばえていた。まるで、今までのツケを一度に払っているかのごとく。
「うふふ……あはは……アハハはは……」
時折、目の焦点が合ってないまま笑い出す。
――もはや、戻れないな。
匂いが告げていた。終わりだと。
クスリは、私が仕込んだ。船の借りを、船で返した形である。
ブツは、左下エリアを偵察したさいに入手した物だ。【薬物探知】されたとき大量に渡したが、まさか、まだ隠し持ってるとは思わなかったらしい。まあ、それでもバレたら、後日改めて調達したまでだが。
医者たちが、足元側で作業し始めた。
――頃合いだな。
ぐっと、船長のほうへ顔を近づける。
「船長……あなたは美しかったです。ええ、とてもね」
視線が合った。嬉しそうに笑っている。
「ですが……それは、1人の力では無かった」
そこで、ひときわ声をひそめた。
「1000人すすって、その程度ですか? ――大したことないですね」
その途端、船長は狂ったように喚き散らした。
医者が慌てて枕元に来る。
「おい、君! 何をしたのかね!」
「お別れの言葉を、少し」
悲しそうに呟いてやる。
「すみません……。私にはもう、朽ちていく船長が偲びないです……」
適当なことを言って抜けてきた。
くたばる様子を見たいと思ったが、すまん、ありゃウソだった。
だって、死臭がいよいよキツくなったし。鼻が曲がるって。
喧騒の中を歩きつつ、今回の作戦を振り返った。
私が最も重視していたのは、「セレーナの生存」だった。
そもそも、どんなにセレーナが頑張っても、表選対だけでは勝てないと踏んでいた。新聞と、船長からの票の融通は、それほど強い。そうニラんでいた。
では、なぜ敢行したのか。
もしセレーナが優勢となった場合、毒や不意打ちのリスクが跳ね上がるからだ。
人は、自分の地位を脅かす者は警戒する。
しかし、その心配がない者には、存外優しい。
マスコミやドラッグマネー陣営も、選挙のデータを集めていただろう。
その結果、把握したはずだ。
セレーナは、ディアマンテの票を下回ると。
だからこそ……セレーナは狙われなかったのだ。
醜い魔女よ。ネクロ教団にいながら、美を追求するとは片腹痛い。
真の美は……「死」だ。そうだろう?