167話目 シニャーデ島のいちばん長い日
マリーノ評議長同様、アンジェロやヴァンダも票の融通を宣言した。いよいよ終盤である。
さすがにその頃には、辻立ちするスタッフたちも声がかすれていた。
「最後の、最後のお願いです! セレーナをどうか使って下さい! カジノ構想で、クスリからの脱却を果たします! よりよき未来のために、セレーナ、セレーナに、1票をお願いします!」
一生懸命な振る舞いは、ゼロかプラスだからな。やればやるだけ得である。
その甲斐あってか、最終盤の情勢で、とうとうセレーナの票が当選確実圏内に入った。
「ありがとう、ガイさん。あなたのおかげで9万票になったわ」
「セレーナ様。まだ結果は出ておりませぬ。気を緩めないように」
「ええ、そうね」
百里の道も、九十九里をもって半ばとす。
選挙とサイコロは、結果が出るまで分からないのだ。
投票日は、朝から騒がしかった。
みな一様に、新聞記事にうろたえている。
――ああ、当日にバクダン投下か。
一面には、「セレーナ、売国奴の確たる証拠発見!」という見出しが載っていた。
内容に目を通すと、その「確たる証拠」とやらは明日載せるという、フザけた締めである。
「やられたわ、ガイさん……」
「問題ありません、セレーナ様。それよりも、決して動揺しないで下さい。本当だと思われます」
汗を拭く回数が多かっただけで、ボロ負けするのが選挙だからな。
「あとは、中央と右上エリアの各投票所前に、人員の配備を。『間違った内容なので告訴を検討している』と、堂々と言わせて下さい」
「分かったわ……。落ち着いて宣言すれば、大ダメージは回避できるわね」
「ええ。多分これが一番少ないと思います」
まあ……やってくれたな。
証拠を載せるのが、「翌日」? 投票は今日なのに?
セレーナを落とすのが目的なのだから、本当にそんなネタがあれば、今日出している。
つまり、もっとも省エネな方法で、勝ちを拾いに来たわけだ。
“あはっ、昨日のアレ、誤報。メンゴ♪”
こんな謝罪記事が、明日の三面に小さく載れば良い方だろう。
――リードは全て吹き飛んだな。
セレーナを含め、投票権のある者は軒並み足を運んだあと、誤報を解くために投票所前に立って呼びかけを始めた。
「へっへ……それぐらいはできるさ……」
ノヴェッラ婆さんも、投票したのち、誤解を解いて回る。
「今までクソババアに入れてくれた奴、ありがとよ。あたしの伝説は終わりだが、これからは孫のセレーナが面白いものを見せてくれるさ」
本当はまだ具合が悪いらしいが、頑として立つと言い張った。人前では弱さを見せず、ふてぶてしいノヴェッラ節を披露してくれる。
――この語り口で、票を入れさせる気になるんだからな。本人にしか出来んワザだ。
長年にわたって議員をやっていたからだろう、しきりに握手やサインをねだられていた。
「へっ、しわしわのババアの手ェ握って楽しいのかよ。お前ら、とんだ好き者だな」
――うますぎる。
私は速やかに中央エリアの別の投票所へ回った。
ちょうど投票する人の波が途絶えた所らしいが、構うことなく呼びかけを始める。
しばらくして、年配の男性と、それを引率する優しそうな若い女性がやって来た。
「はい、おじいちゃん。投票所に着きましたよ~?」
爺さんはヨタヨタと入っていき、しばらくして出てきた。
「ねえ、おじいちゃん? 『フェリーチャ』って書けた~?」
「んあ……? そうじゃったかのぉ……。セレーナと言われたから、セレーナって書いたんじゃが……」
ああ、私が言ったのが聞こえたのか。
その途端。
「はあっ!? おい、クソジジイ!」
女性が豹変した。
「あんだけフェリーチャって書けっつっただろーがぁっ!」
「あ、あぁ……」
「テメー、耳も遠けりゃ頭もよえーな、ボケェ! テメーみてーなカス老人飼ってる理由が他にあんのかよ!! 覚えてろよオメェ、帰ったら……!」
そこで般若は、私の存在に気が付いたらしい。瞬く間に、優しそうな女性に戻った。
「うふっ、おじいちゃ~ん? さっ、帰ったら、楽し~いお話しをしましょうね~」
「あ、いやじゃ……。いや、すまんかった……」
「なぁに~? 大丈夫よぉ、素直に打ち明けてくれたんだし、怒らないから~」
「あ、あぁぁ……」
小柄な爺さんは、女性にガッチリと肩を押さえられて帰っていった。
――選挙は、マクロからミクロまで、人の欲望がむき出しになるな。
食事でわずかに離れた以外はずっと立ちんぼを続けていると、まあ色々な人が訪れてくれた。
マトモな人も多いのだが、明らかにクスリをやってるだろうという奴も投票に来る。
「フヒヒヒヒ……ガイコツ様じゃん。ネクロ教に来ちゃいなよ。フヒヒヒヒ……」
笑いながら去って行く。
――あいつらを止めたいが、それでも1票を入れる権利はある。
私は、この国の住人じゃない。
選対長の立場で色々指示を飛ばしてきたが、それでも外国人だ。
「セレーナ」と書く権利はない。
冬はあっという間に暗くなる。
すっかり日が落ちた頃、投票は締め切られた。




