166話目 アンタッチャブル
セレーナが唇を噛んだ。
「敵の買収票は、岩盤ね……」
「ご安心を。打開策はございます」
「どうする気? 票のやりとりをしている現場を襲うとか?」
「いいですね。ついでに買収の仕組みも逆用しましょうか」
ニラまれた。
「ジョークです。しませんよ」
どうせマスコミに猛バッシングされるだろうしな。
「正解は、市長に連絡です」
『おっほっほ……テロリストへの厳戒態勢という名目で、ポケットに手を入れるなという通達でおじゃるか』
「はい。これは投票所内だけで構いません。紙とペンを渡したあと、速やかに書くだけというのを徹底させて下さい。船で爆弾騒ぎに巻き込まれた我々からの、お願いです」
『OKでおじゃる。そして、当日イキナリの宣言でおじゃるな?』
「ええ。代替案のスキを与えないことが重要ですので」
それらしい理屈をつければ、完全拘束は打ち破れる。
『しかし……依然、ドラッグマネーに靡く輩は多いであろ?』
「逮捕できない以上、これが限界です。あとは、『セレーナ』と書きつつ『ジャコモに入れました』と言う島民が多いことを祈りましょう」
100人程度の村だと、筆記のクセと最終結果を照らし合わせれば、余裕で投票先が読めるからな。
まあ、敵陣営にも、これぐらいのスリルは味わってもらおうじゃないか。
『ガイ殿、他には何かないでおじゃるか?』
「ええ、実はですね……」
私はドン・マウロに、今後の選挙戦を話しておいた。
選挙はやることが目白押しで、瞬く間に日にちが過ぎていく。有力者の葬儀には黒い服を着て、結婚式には青のドレスなど、場面ごとに早着替えだ。
「いや~、アンちゃん。ワテもごっつ忙しいわ~」
伝令役のピルヨが、バサバサッと降り立った。
「この時期、めっちゃ知り合いが増えるんやで~? おかんは、『ディアマンテ候補やな、分かった』とか、『アンジェロ? おお、はいはい。分かったでー』って票を請け合うけどな」
選挙あるあるだな。
「せやけど、おかんに言わせると、『分かった、言うただけやで?』ってなるんや。ほんま、ズルい女やわ~」
これまた、あるあるだ。投票行動は自由なのだから。
意見は聞くが、最終的には自分の意志で決定。正しい選挙である。
「ところでピルヨさん。お忙しいあなたが、何の御用で?」
「あ、せやせや! 号外が出てんねん!」
なるほど。新聞記事は見せるように指示していたからな。
早速、1部を見せてもらった。
「む」
見出しには、「マリーノ前評議長、引退!!」の文字が躍る。
これは……思い切ったな。
以下、彼の言葉が綴られていた。
“このマリーノに投票しようと思っていたヴェスパー国民よ、ありがとう。なおも支持してくれる気持ちがあるならば、自分の個人ナンバーを3で割ってほしい。割り切れた者はサルヴァトーレに、1余った者はロッセッラに、2余った者はテレーザに投票してくれ”
――北の投票行動は南に影響がないから、マリーノ前評議長の引退は確定か。この号外は、花道というわけではなく、翻すことのないよう、バシッと出したわけだな。あるいは、クビでも挙げたつもりなのか。
中間情勢の数字と見比べてみた。
◆中間情勢
マリーノ 120000
クリスティアーナ 60000
セコンド 60000
マッダレーナ 60000
トビア 60000
【当落ライン】
ロッセッラ 50000
サルヴァトーランジェロ 50000
テレーザ 50000
反ドラッグ陣営の3人は各5万。そこにマリーノ議長の12万票を割り振ると、各9万となる。
ドラッグ陣営は4人いて、各6万。3人に減らしても、各8万だ。
つまり……北の議員構成は、3対2になった。
「アンちゃん。議長、スゴない?」
「ええ……スゴい方です」
――スーパープレイだな。身を賭しても、国民のためになる道を選ぶか。
マリーノ議長……あなたのおかげで、私も覚悟が決まりましたよ。
私は、北の方角に向かって拝礼した。
新聞で嬉しかった記事はこの号外ぐらいで、他の政治関連は、軒並みセレーナに悪印象を与えてきた。
ヴェスパーの国民は、個人主義である。そのせいか、新聞を信用しない人は7割ほどだそうな。
だが、「どのように信用しないのか」は、人それぞれだ。
記事を見ている限り、影響は多かれ少なかれ受けているのである。
選挙終盤、移動中のセレーナがサッと手で制した。
「呼び掛けを止めて」
護衛らは一斉に沈黙する。
通りの先では、眠る赤ん坊を抱いた母親が見えた。
セレーナが頭を下げると、母親も会釈してくれる。
「みんな、しばらく静かに行って。1ブロック過ぎたら、活動を再開しましょう」
護衛たちは黙ってうなずいた。
――こういう配慮は、とても地味だ。
だが、これを実践できる候補は、強い。
私は護衛に図書館の本を借りてきてもらい、夜中に読み込んでいた。
――セレーナ。お前を勝たせる。
たとえこの身が、地獄に落ちようともな。