151話目 鹿? いや、まさかな
私が唖然とするなか、セレーナは候補者チェックを無事パスし、供託金を預けていた。
1人の護衛が、息を切らして走ってくる。筋肉ダルマだ。
「す、すみません、セレーナ様……。見つかりませ……んんっ!?」
提出に気付いたらしく、慌てて詰め寄る。
「も、もしや! セレーナ様!?」
「ええ、ダルマツィオ。――わたくしが出馬します」
「そ、そんなっ!?」
だよな。仰天だ。
「わたくしは、今から市長に挨拶に行きます。捜索は警察に任せて、あなたたち護衛はお婆様へ連絡して」
「は、はい!」
ダルマ、再び猛ダッシュ。――山ほどの疑問を封じ込めたか。護衛の鑑だね。
「ガイさん、市長室へ行くわよ」
ドン・マウロの居城ということもあり、私以外の護衛は全て捜索に当たらせていた。1人でも魚人がいたら止めたかもしれない。
しかし、この場にいたのは私だけだった。
「セレーナ様。なぜ、提出したんですか?」
「勝手だったかしらね」
「ええ、少々は」
「臨機応変よ」
――それで片付けるか。
しかし、ウルトラCであった。
セレーナが立候補したことにより、反ドラッグ陣営で2議席確保というプランが蘇ったのだから。
「着いたわ」
SPのチェックを受けて入室する。
「市長。このたびは、わたくしが出馬いたします」
「ほほぉ」
マウロ市長は、盗聴防止装置をオンにした。
「我は、バンビーナ候補を認めただけでおじゃるが……代わりの候補が更に良くなるのであれば、変更を受け入れるでおじゃるよ?」
「寛大なご配慮、痛み入りますわ」
「おっほっほ……ただし、1点だけ頼みがあるでおじゃる」
「なんでしょう」
「王女殿は、2重国籍であろ? イェーディル籍を抹消してほしいでおじゃるよ」
「どちらが軸足という懸念ですか。おっしゃる通りですわね。――魔具をお借りしても?」
「短時間ならOKでおじゃる」
セレーナは、イェーディルに連絡を取った。暗号のやりとりをして本人確認をしたのち、国籍離脱の手続きを済ませる。
「マウロ市長。完了ですわ」
市長は満足げに笑った。
「セレーナ殿は、信頼の重みをよくご存知でおじゃる。願わくば、長い付き合いにしたいでおじゃるな」
「ありがとうございます。では、選挙準備に入りますので、これで」
「うむ。ではの」
部屋の扉をゆっくり閉めたのち、セレーナは自嘲気味に笑った。
「ガイさん、お聞きの通りよ。イェーディル国の第1王女は3分で消えたわ。ここにいるのは、ただのセレーナね」
「いえ。――あなた様は、やはり王女です」
厳しい教師は、自分に1番厳しかったか。ご両親の育て方が、大層よろしかったんだな。
いま、イェーディルの実質トップはブリジッタか。離脱決定のハンコを母親が押す……ご愁傷様だ。
「セレーナ様」
「なあに?」
「不肖私めが、全力で議員にさせてみせます」
「あら。どういう風の吹き回し?」
「簡単な話ですよ。セレーナ様がヴェスパーで生きるのであれば、次世代のイェーディルは、スラヴェナお嬢様の天下ですからね」
「あぁ、納得したわ」
セレーナはくつくつと笑った。
「では、スラヴェナのためにも当選しないとね」
「はい」
ちなみに、バンビーナは右下エリアの墓地で寝ていた。
まるで死んでいるかのような言い草だが、本当にグースカ眠っていたダケである。
「あ……あぁぁ……」
亡き両親の墓前で運命を嘆いたのち、いつしか泣き疲れて夢の国へ。ふと目覚めたら、タイムリミットを過ぎていたそうな。
「ず、ずびばぜんっ……! ホンットーに、申し訳ございません……!」
――お前、絶対ウサギだろ。泣いてて目も赤いしな。
ほとんど引きずられるようにして連れて来られた子鹿は、セレーナを前にして、泣きながら土下座していた。
「こ、こんなつもりじゃあ……あぁぁ……セ、セレーナ様……!」
「あら、何を怖がってらっしゃるの? 大丈夫よ、立ち上がって」
慈愛に満ちた表情のセレーナは、立った子鹿の頭を優しくなでた。
「今まで、わたくしの『迷彩』の役目、ご苦労様でした」
「へっ……?」
「わたくしが出馬することは、最後の最後まで伏せておきたかったですものね。良い囮だったわ」
セレーナは周囲を見回した。
「捜索してくれた皆様、隠していて申し訳ありませんでした。本当の候補者は、わたくしセレーナですわ」
――この女。
土壇場で差し替えたことなど微塵も匂わせず、笑みすら浮かべてみせるか。
「バンビーナさん。あなたはたしか、警察から出向という形でいらしたわね?」
「は、はい……」
「大変な任務でしたね。明日からは、元の職場にお戻り下さいませ」
「あ……あ、ありがとうっ、ございます……!」
バンビーナは、またもや涙を流していた。
おそらく、死よりも恐ろしいギャングの吊し上げを覚悟していたのだろう。――当たりだよ、セレーナがこう言わなければ、物理的か社会的か、あるいはその両方でお前は終わっていた。
かくして、ムダに空気を読まない眠り鹿が、1人の王女を消したのであった。