150話目 貴族の務め ~ノブレス・オブリージュ~
2人1組で捜索に当たらせたが、芳しい結果は得られなかった。
ふと、鹿ビッチが頭をよぎる。
ああ……船長が、なぜあんなヤツを担ぎ出そうとしているのか分かった。
『鹿人』の候補で、『ノヴェッラ婆さんの孫』という触れ込み。
――婆さんの票を、根こそぎ奪う気だ!
セレーナも同じ結論に至ったらしく、きゅっと唇を噛んだ。
「このまま見つからなければ……島は終わりね」
有力候補が続々と市役所へ入っていく。ガブリエーレは娘と、ジャコモはハーピー男とやってきた。みな手続きを済ませたのち、選挙準備のため速やかに帰還する。
昼になっても、吉報はなかった。
市長が顔を見せにくる。
「どうしたでおじゃる、セレーナ王女殿?」
「マウロ市長。実は……」
ルイーザの酒場で、食事がてら緊急会合を開いた。
「ほほぉ……。子鹿の消息が不明とな?」
「はい、申し訳ありません」
深々と頭を下げる私たちを前に、市長はバジルソースの掛かったパスタを優雅に食べていた。
「――1つ。言っておくでおじゃる」
市長はフォークをセレーナに向けた。
「『信用は命より重い』というヴェスパーの格言でおじゃるが……これの真の意味は、『薄っぺらい信用よりも、さらに命は軽い』……そういう意味でおじゃる」
市長はオレンジジュースを飲んだ。
「おっほっほ……深刻に捉えずとも良いでおじゃるよ。ノヴェッラ婆の権威が地に落ち、我らはもう1人の鹿を支持するダケでおじゃるからのぉ」
「市長……」
「大丈夫でおじゃるよ、セレーナ王女殿。我らファミリーは、この島で器用に生きるでおじゃる」
――ファミリー以外は、守る余裕がなくなる、というわけか。
市長は、ナプキンで口を拭うと、「それではの」と、私たちの食事代も置いて店から出て行った。
「ガイさん。――マウロ市長は、とてもお優しい方ね」
「ええ。猶予を下さいました」
面子をツブした相手には容赦ないと考えたら、破格の対応だろう。
あるいは、魔王様のカゲがチラついたから、事を荒立てるよりはさっさと出て行けと促したのかもしれないが。
私は頭を押さえた。
「今日中ならば、脱出できると愚考します」
「そうね」
市役所に戻ってきたが、依然としてバンビーナの行方は杳としてしれない。
「セレーナ様。今からでも別の候補を立てられませんか」
「お婆様とドン・マウロとキューブ会社を、すべて納得させられるならね」
クソッ。あんなヘタレ子鹿でも、コロッセオの優勝者という箔がついているからな。堂々としてさえいれば、立派に戦える候補だったんだ。
護衛や町の支持者たちも総出で捜索にあたってくれているが、それでも発見の声は聞かれない。
――殺されたかもな。
すぐに頭を思いきり振る。ロクでもない発想だ。
外は寒くなってきたので、候補者受付所の前で待つことにした。
必要事項はすべて記載を済ませている。あとは候補者の直筆サインと、本人がいればいい。
たった、それだけなのに。
「ねえ、ガイさん。この島が落ちたら、どうなるかしら?」
「市民にとっては地獄でしょうね。ヴェスパー全土がクスリでやられるのは時間の問題です。ネクロ教団が今以上に活発化するでしょうし、骸骨王の復活まで早まるやもしれません」
「でもそれは、フェリーチャ船長が狼だったら、の話でしょう? ガブリエーレさんも、反ドラッグ陣営で固まれば……」
「妄想はよしましょう。――船長は狼です」
冬の日差しは、あっという間に陰りを見せてくる。候補者の提出期限が、刻一刻と迫ってきた。
「セレーナ様。【幻覚】を用いて、なりすますというのは……」
「本人確認のチェックで見破られるわよ」
セレーナは苦笑した。
「受付所の目の前で言うあたり、最低のジョークね」
「すみません」
「ガイさん。あなたは何でも出来ると思っていたわ。天だって動かしてみせたじゃない。スラヴェナやエルフの工場を、劇的に改善してきたでしょ?」
「買い被りすぎですよ」
私は肩をすくめた。
「けっして諦めはしません……が、いない者はどうしようもありません。限界です。今は退きましょう」
情勢は大幅に悪化するがな。
「――ねえ。それは、この国さえよければって言ってた議員と、どこが違うの?」
イタい所をつくね。
「私は魔法使いじゃあありませんよ。バンビーナを召喚できない以上、撤退が最善です」
「あら、妥協というのは、最大の諦めよ?」
「空想でなく、現実を見た結果ですね」
私は受付所に背を向けた。
「すみやかに、対策の準備をしましょう。ここでグズグズ迷っているうちに、一生が終わります」
「――そうね。覚悟を決めたわ」
「ええ、すぐにイェーディルへ帰って……」
「違うわよ」
セレーナは、用紙を受付所にバシッと出した。
「候補者を変更。セレーナでいきます」