149話目 始まる前に終わる
私はノヴェッラ婆さんの選挙事務所にて、過去の新聞を見せてもらった。
「――これはヒドイ」
紙面では、マリーノ評議長を巧みに貶めるような論調が展開されていた。ノヴェッラ婆さんについても、「老害よ去れ」、「後継者に変われ」などといったコラムで、たびたび槍玉に挙げられている。1つ1つは小ネタだが、ネチっこくやられると凶悪だ。
そんな中、フェリー女についてだけは褒める記事が頻発していた。――敵と認定していいな、クソッ。
島出身の護衛に尋ねる。
「この新聞、島のどこで刷られてます?」
「左下だよ」
クスリのエリアか。――見事なハッコウ具合だことで。
机に新聞を叩くようにして置いたら、一回転して下のゴミ箱に落ちた。
選挙用のポスターや立て看板などはないため、国側の準備はそれほど必要ないらしい。そのため、立候補者の届け出を行う公示日は早く、その分、投票日までの期間が長く取られているそうだ。
――にしても、公示日が3日後というのは早すぎるだろう。現職議員が全員揃ってると、こんなにスピーディーなのか。
陣営は、バンビーナを「魚の穴」で叩き直してから大々的にスタートを切るそうな。
私はそれまでの期間、島の政治情勢や選挙関連について、ひととおり叩き込んでおいた。
そして公示日。
「だ、だいじょうぶ、です……」
まだ顔色は悪いが、なんとかマシになったらしいバンビーナが、護衛らとともに出てきた。
ノォ婆さんは、眼帯ごしにボリボリ掻いている。
「セレーナ、しっかり頼んだよ」
「分かりましたわ、お婆様。――さ、行くわよ、バンビーナ」
「は……はい」
バンビーナは、胸のブローチをぎゅっと押さえて歩き出した。覚悟が決まったようで何よりである。
しかし、受付場所である市役所までの道中で、子鹿がモジモジし始めた。
「あ、あの……すみません。キンチョーして、おトイレに……」
しまらない奴め。
市役所にほど近い場所で、ちょうど公衆トイレがあったため、そこでトイレに行かせた。もちろん、扉の前に護衛を立たせている。
――うっ!?
不意に、強烈な死臭を感じた。
「ガイさん。どうしたの?」
「セレーナ様。――向こうから、死臭がします」
「え、誰もいないわよ……? あっ」
角を曲がって、船のかぶり物をした女が歩いてきた。
「あら、おはようございます、セレーナ王女」
「フェリーチャ船長……。ええ、おはようございます」
向こうもお供の護衛が数名いる。
――このうちの、誰から死臭がしてるんだ?
バンビーナに似た鹿人の女が、フェリーチャの袖を引っ張った。
「ねぇ~、船長~。早く行こうよ、うぇーい」
「あらあら、ディアマンテったら、せっかちね」
その言葉に、セレーナは耳ヒレをぴくりとさせた。
「ディアマンテ……? あなた、クスリに手を出したっていう、従姉妹のディアマンテ!?」
「おぅ? そんなアンタは、セレーナ姉ぇ~? うぇーい、チョリーッス」
――軽いな。鹿ビッチと呼ぼう。
「そ~そ~、アタシィ~? 議員に立候補すっから~、ヨロシク~」
「はぁ!?」
思わずフェリー女を見るセレーナ。
「本当ですか、船長!?」
「ええ、もちろん。彼女はキチンと更生しましたよ。人は立ち直れるんだということを、身をもって証明してくれているんです」
「で、ですが、実力が……」
「たしかに、まだ途上ですね。――なので、私が面倒を見ます」
「うぇ~い! 見られま~す!」
ウルセェ、鹿ビッチ。
2人とその護衛らは、そのまま市役所の方へと去っていった。
「セレーナ様。あのディアマンテとかいう女性は、どなたですか?」
「――お婆様の孫よ」
マジか。
「勘当した長男の娘なの。たしかに、船長の更生プログラムに入ってるとは聞いてたけど……まさか出馬だなんて」
いま会っただけでも、ありえなさは分かったよ。――おっと、そうそう。
「セレーナ様。死臭を出してる人間が特定できましたよ」
「そう。誰?」
「フェリーチャ船長です」
「――ウソでしょ?」
だよな。自分の鼻でなかったら、とても信じられん。
「ですが、本当です」
「ピンピンしてたわよ?」
「私も、そこは疑問ですね」
「はあ……間違っても船長の前では言わないで」
セレーナは額を押さえた。
「ところで、バンビーナはいつまでトイレに入ってるの? 誰か、様子を見てきてちょうだい」
丁度そのとき、焦った様子で護衛が出てきた。
「た……大変です! バンビーナ候補の返事がありません!」
「なんですって!?」
トイレの裏手に回ると、窓が開いていた。どうやら、そこから出たらしい。
「逃げたの!?」
「あるいは……襲われたのかもしれません」
おいおい、非常にマズいぞ……。
候補が消えたら、どれだけ戦略を立てようとオシマイだ!