109話目 シブいや、オジさん
通りをひとつ曲がると、何食わぬ顔でオジさんが近付いてきた。
「や~、ガイ君。引き抜きで向こうの会社に行っちゃわないか、オジさん気が気じゃなかったよ~」
当たり前のように盗み聞きしてたんだな。
「そういうオジさんは、なぜ向こうに行かなかったのですか」
「ありゃ、魚さんがナイショ話をしにきたって、分かっちゃう~?」
「ええ、要の1人ですから。結構前に持ちかけられたと考えておりますが、いかがです?」
「ニュホホ、せいか~い」
軽く言っているが、工場にとっては生き死にを分けたハズだ。オジさんが営業で注文を取ってこれなかったら、とっくにエルフの工場は終わっていただろうから。
「私は、前回の工場改革ではあえて無視しましたが、どれだけ生産力が上がっても、注文がなければお金には結び付きません。工場を回す上で、受注は大事です」
「生きていく上でもね」
「ならばこそ、お聞きしたいですね。オジさんが移らなかった理由を」
「んー」
オジさんは、もみ上げを掻いた。
「夢を持ったエルフの若人たちが、バイトしながら夢を追える環境を守ろうとだね~……」
「あ、そういうのいいんで」
手で否定すると、オジさんはほほを膨らませた。うわあ、1周回って可愛くない。
「んじゃま、オジさんにとっては単純な話よ。――ウサンくさい」
「納得しました」
高額で引き抜かれた技術職の人間も、技術だけ抜かれてあとはポイという話をよく聞く。
「ガイ君も、向こうの職場環境が気になったでしょ~? ウマい話で釣り上げるけど、釣った魚にエサやってるのかな~って」
「あまり楽しそうな話は聞きませんね」
正確には、いい話も悪い話もとくに聞かない。――だからこそ、怖い。
たとえば、エルフの工場は、わりと雑談の多い職場である。キューブに魔力を込める作業は、集中したほうが早くなるため、溜まる時間は遅くなる。一見マイナスだ。
しかし、中長期のスパンで見れば、やる気の維持には欠かせないことなのだ。
それですら、不平不満は出る。もちろん、「仕事やだー」とか、「どっかに大金落ちてないかなー」などと言ったぼやき程度だが、これは、どうしても出てくるものだ。
ひるがえって、魚人の工場だが。
黙々と魔力を込めては、フタをする作業現場だという。能率は上がるだろうが……1年中、ずっと。
巷でも、不満の1つや2つ、出回って然るべきだ。――しかし、一切ない。
「あそこは、おさかな地獄でしょう」
「ね~」
「ですが、そちらの会社がたとえ極楽でも、オジさんは断ったでしょうね。今の工場が好きですから」
「え~? オジさんってば、いいお話とかあったら、ホイホイ言っちゃうよん?」
オジさんはどこまでも軽かった。
軽いオジさんと別れ、マルちゃんの店にやって来た。
「ガイちゃん、実は2号店のオープンが年明けになってしまいそうなんザマス」
「おや、なぜでしょう」
「人気のデザイン建築家というんで、注文が殺到してるらしいザマス」
なるほどな。マルちゃんが頼むほどだし、セレブの間で引っ張りだこなんだろう。
「でも、年末年始は稼ぎ時ザマス。ぜひとも年内に完成させてほしいザマス」
「――あの、それなら建築家さんに言うべきでは?」
「アタクシが現場に行くと、『気が散った』とか言うザマス。その点、ガイちゃんなら何とかしてくれるザマス」
気安く言ってくれるなあ。
「分かりました。何とかしましょう」
「さすがザマス!」
ま、気安く答えるんだが。




