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第3話

 よく通る看護師の声はもうすぐ隣にいるのではないのかというほど曇りはなかった。

 時間をふと確認すると検査終了の時刻。だが、結果を知らされるわけではない。少女はまた自宅待機となるだけだ。

 検査の結果が、果たしてどのくらいかかるかはわからないが。現代の医療技術を駆使している総合病院で、特定の病気がわかっている状態の患者の検査が一週間かかることはまずないだろう。


 「顔色も良さそうですね、点滴外します。ちょっと痛いかもしれないので我慢してください。」


 少女の返事はない。声を出さず、頷いただけ。

 まだ慣れていない看護師なのか、それとも刺した看護師が悪かったのか、普段よりも少しばかり強い痛みを腕に感じながら先程の死神のことを少女は思い返す。

 何より気になるのは、その面でしかなかった。

 窓からひらひらと花が舞う外を見て見ると、散歩していたお爺さんが往復を終えて病院内に入るところだった。

 桜が全て散り終わるまで、もう二日とないだろう。


 「お兄さんがいらっしゃってましたよ。お迎え来るの、珍しいですよね。」


 歳は二十代後半だろうか。

 少女は窓から言葉を発する看護師の方に目を向ける。もう針は抜かれていた。「押さえててくださいね。」きっとこれはマニュアルにある言葉。


 ───化粧ギトギト、皺の誤魔化しのつもりがケバくなってる。


 素直に傷口に当てられた消毒液を含むガーゼを指先で押さえながらそんなことを、少女は思う。看護師の言葉には返さずに。

 少女には兄はいない。


 「三分くらいかなあ、ちゃんと押さえておかないと、黒血になっちゃいますからね。ある程度血が止まったらシール、貼ってください。」


 テレビで見たことのある、ご当地キャラクター。

 残念ながら少女の頭の中にその地域と、キャラクターの名前なんてものは出てこなかったようだ。


 「あ、激しい運動はダメですよ。」


 ───あれはダメ、これはしなさい、なんて無責任な命令なのでしょう。


 まるで当たり前の事項を背に聞きながら(もしかしたら少女は聞いていなかったかもしれない)当たり前のように杖を持つ。

 コツン。

 カラカラという音から、コツンという音に縛られる。

 コツコツコツ。

 看護師に会釈をしてから少女は病院内を迷うことなく歩く。

 六階から受付に行くまでの病院内。総合病院は、総合というだけあって大きく、そして人も多く、人が多いから音も沢山あった。

 生気を失った今にも倒れてしまいそうなよぼよぼのお婆ちゃん。その横を颯爽と歩くスーツの男性。慌ただしくカルテを持って動き回る新人看護師たち。それを横目に見て面白がっているおばさんたち数名。

 たくさんの人たちを横目に、杖をついてゆっくりと少女は歩く。そろそろ車椅子かな、なんて考えながら。

 受付はいつも混んでいる。少女は暇そうに、受付の前にこんなにいるのだろうか、と些か疑問を持ちたくなるほどに並んだソファにぽつぽつと座る見舞い者や患者をぐるりと見回した。


 〝何かしらあの子、アルビノ?〟

 〝きっと派手に染めてるだけよ。〟

 〝目も赤いわよ、まるで人間じゃないみたい。〟

 〝総合病院に子供一人なんてどんな親なのかしら。〟


 普段から向けられる好奇の目と、畏怖、嫌悪。

 少女に近づいて話しかける人なんて看護師や医者のような、ここでは仕事としての関係だとしても噂好きなおばさんたちにとっては「あんな子と話さなきゃいけないなんて医者や看護師はかわいそう」というただの恰好の餌としかならない。

 と言ってもそこまでひどい人は中々居ないが、いることもまた事実。

 だがそんな中少女に話しかける男性がただ一人いた。

 少女に兄はいない。

 でも少女には、何人か異母兄弟がいた。兄と認めていないだけであって、少女には一応兄という存在自体は、いる。


 「嬢ちゃん遅い。時間過ぎてるよ。」


 一応兄妹だというのに、そのもうすぐ三十路間近で結婚もしている少女の兄は、少女のことを名前で呼ぶことなく嬢ちゃん、と呼んだ。

 片目がない。最初に視界に入るのはきっとそこだろう。

 病院だ。総合病院なのだから、眼科や内科がある。片目がない人なんて、毎日通っている人ならもしかしたら会ったことがあるかもしれない。

 でも少女の兄はそれを抜きにしても、〝通常の人が関わってはいけない側〟にいる人間だというのが、雰囲気でとれる人間だった。そういう、雰囲気があった。


 「目立つから私、来るなと何度も言いました。学習能力のないアメーバか何かです

か?」


 ピシ、と少女はついていた杖を持ち上げて兄の顔にその先端を向ける。はっきりと

憎悪が浮かぶ声音だった。

 少女は知っていた。

 目の前にいる自分の異母兄弟は、単細胞生物と比べて良いほど頭が弱いわけではない。よく頭が回る多細胞生物だから、少女は少し、言い返したくなって見たのである。


 「相変わらず冷たいね嬢ちゃん。俺が迎えに来て楽なの嬢ちゃんだろうに、」

 「運転したのは貴方ではなく、貴方の部下。小さな子もいるんだからあまり来ないでください。」


 少女はどうやら、自分が目立ちたくないから辛辣な言葉を浴びせていたわけではないらしい。

 そもそも目立っている。


 ───まあ、居てほしくないだけですけど。


 少女のそんな思いもつゆ知らず。


 「ああ、やっぱり嬢ちゃんは優しいねえ。」


 感慨ふける、兄。

 そんな会話をしているうちに受付は少女の番。

 手っ取り早く、そしてそれがさも日常の一部であるかのように慣れた動き、口調、言葉で手続きを済ませていくアルビノの若干一五歳の少女は、慣れていない患者にとっては驚くものだっただろう。

 それも隣に、雰囲気のある富豪が居たら、尚更。


 「終わりました。」


 コツ、とやはり杖を鳴らしながら改めて少女は兄をじっと見る。


 「ウンウン、じゃあ行こうか。家まで送ってあげよう。」


 ───だから送るのは、貴方じゃなくて貴方の部下。


 そう、心の中で突っ込みながら、少女は自分よりも随分背の高い兄を追って病院を後にした。

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