ダメなりに生きている
「汚いって言うより、本の量がおかしい」
ベッドの上で読み掛けの本を捲っていると、部屋の扉がノックもなしに開かれて、冒頭の一言。
高校入学と同時に引きこもりと化した私に、飽きもせずに会いに来る自称担任。
よっぽど暇らしい。
「女の子の部屋って、もうちょっと色とりどりで可愛いものばっかりが多いと思ったんだけど。本が部屋の大半を占めてるよなぁ」
私が一瞥してから、何も言わずに本に戻ったのが不愉快だったのか、一人でベラベラ喋りながらベッドに腰を下ろして来る。
ちょっと詰めて、とか、どんだけ自分勝手なんだろうか。
独り言を延々と続ける自称担任は、気だるそうにスーツの上着を脱ぎ、私のお尻辺りに掛ける。
片手でスルリと外したネクタイも、同じようにスーツの上に置いて人の部屋で寛ぎモードになっていた。
あぁ、コイツは本当に聖職者なのか。
「学校、来ない?そろそろ、出席日数ヤバイよ?補習とか面倒だけど……」
本に栞を挟んでから閉じて、ベッドの脇に寄せれば、ぐるり、体が反転させられる。
仰向けになれば、視界を占めるのは自称担任と薄暗い天井のみ。
着古して首周りがヨレヨレのTシャツに腕を差し込まれる。
思ったよりも冷たい手の平は、ゴツゴツと骨張っていて、皮も厚いし、マメの痕がざりざり、肌の上を滑っていく。
「勉強は?してる?……て言うか、ちゃんと下着つけた方がいいぞ。形崩れる」
ふにふに、手の平で女特有の柔らかさを堪能しながら、僅かに難しい顔をする。
そのくせ手元はふにふに、さわさわ。
最早、勉強がどうとか、学校がどうとか、そんなことは耳に入らない。
学校は苦手だ。
狭い空間に集められて、団体生活はどうだ、協調性がどうだ、しつこいくらいに集団意識を埋め込もうとする。
それに違和感を感じて、どうしようもなく気持ち悪くなるのだ。
中学の頃からお腹の辺りに、何か、良く分からない感情が溜まって、それでも受験をしてみた。
受かって、入学して、気持ち悪くなった。
全く違う学校から、沢山の人が集まって、馬鹿みたいに集団に溺れていく。
そこに馴染めない自分が浮き彫りになるのを感じて、その日から引きこもりを始めてみた。
一人部屋にいられて、パラパラペラペラ、本を捲るだけでいい。
ほら、幸せ。
ほら、平和。
予想よりも体温の低い唇が下りてきて、舌が私の口内をまさぐった。
引っ込めた舌を追いかけて、唾液を流し込まれる。
噎せても、唇の端からそれが溢れても、止める気は一切ないらしい。
日に当たらないせいで、まともに焼けない不健康な白さの肌に、ぽつぽつ、赤い跡が残される。
時間が経てば赤どころじゃない、青痣みたいになるので、正直好きじゃない。
お腹の辺りに出来る歯型に至っては、犬歯が突き刺さった場所に血が滲む。
ベッドのスプリングと荒い息と水音だけ、自称担任の担任らしい、聖職者らしい言葉は聞こえない。
このまま、自主退学とかしたらもう来なくなるんだろうなぁ、なんて溶けかけの思考で考えてみた。
退学なんてしたら、その学校の生徒じゃないから当たり前だけれど。
あぁ、でも、どうせ自称担任の飽きるまで。
どうせいつか来なくなる。
伸びた爪で自称担任の背中を引っ掛けば、楽しそうに歪められる顔。
教師向いてないんじゃない、この人。
ガクガク震える足腰と突き上げてくる波のせいで、目の前が白く弾ける。
チカチカ、カチカチ、意識を繋ぎ止めるために、思い切り背中に爪を立てた。
そのまま、短く息をして上から降ってくる視線から逃げるように目を逸らせば、視界に入る読み掛けの本。
革の表紙に掛けられた液体。
あぁ、ダメだ、あれ。
もう読めないし、触りたくもない。
「……新しいの買ってやるって」
上からそんな声が降ってくるが、買ったら買ったで更に引きこもり度が上がることを知らないらしい。
短い溜息を吐けば、汚れた本は自称担任の手でゴミ箱に吸い込まれていき、空いたスペースに滑り込む体。
シングルベッドなんだから、狭いのに。
ギシギシ、ミシミシ、先程の反動か、悲鳴を上げるベッドが可哀想だ。
程よく焼けた肌に広い背中、その肩周り――肩甲骨付近に出来た赤い線が痛々しい。
そんなもん見せるなよ、目を閉じて目の前の光景をシャットアウトする。
本を読んで、引き込もれて、こんな私を気にかける人がいる。
それがいつまでなのかは知らないけれど。
心地いい倦怠感も貰えて、別の体温に包まれて眠る。
学校も行かずに自室にいるだけで、私は満足なんだろう。
「……我ながら、クズ、だなぁ」
枕に顔を埋めれば、ふんわりと撫でられる頭。
そうして私はダメになる。