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Wofagi

彼がまだ、子供だった頃(Wofagi)

作者: Wofagi

 昼下がりをすぎた頃。出窓から、西日が差し込んでいる。セピア色の、くすんだ光。

 おもちゃの電車が、青いレールの上でモーターの音をひきずって走り回る。何週も、同じ路線を廻りながら。レールの横には、たくさんの電車が転がっている。のぞみ、こだま、ひかり、それから、テレビの中のヒーローたち……。無くさないように、名前を書かれたおもちゃたち。 





 

 そろそろろくじになる。もうくらい。ほしがみえる。ぼくはじっとテレビをみつめていた。

 「パンっ、しゅううううん……キランッ!」

 オープニングがはじまった。ぼくがどようびのたのしみにしている、テレビばんぐみだ。ようちえんでは、べつのテレビばんぐみがはやっていて、みてるともだちはあんまりいない。きのうもリョウにからかわれた。それでも、ぼくはこのヒーローが、シリーズがだいすきだ。ビデオはなんほんもみたし、ソフビにんぎょうもいくつももっていた。へんしんアイテムも、ひこうきのおもちゃも。たたかいごっこも、いっぱいする。ぼくはヒーローで、パパはかいじゅうだ。かいじゅうだってだいすきだった。ヒーローもかいじゅうもうちゅうじんも、ほんとうにいると、どこかにすんでいるのだと、ぼくはしんじている。

 おいしそうなにおいがしてきた。タマネギのにおいかな、きょうのばんごはんはシチューだったっけ…そんなことをかんがえながらぼくはエンディングをみていた。きょうはあたらしいひこうきがでてきた。でも、ぼくにはまえのひこうきのほうがずっとかっこよかった。あたらしいひこうきは、でっぷりしていて、そらをとびそうになかった。あと、どうしてオープニングとエンディングには、ひとのなまえがいっぱいでてくるんだろう。ふしぎ。パパやママにきいてもいつも、わからない、っていわれる。

 きょうのばんごはんはシチューとやさいいためだ。やっぱり、ぼくはピーマンがきらいだ。こういうのを、にがてっていうのかな。

 「ピーマンはのこしてもいいよ」

 ママがそういってくれた。ぼくはうれしかった。ぼくがのこしたたべものは、パパがいつもたべてくれる。でも、きょうはパパはいない。しごとでおそくなる、って。さいきん、ばんごはんをいっしょにたべてないきがする。

 きょうはデザートがでてきた。ママのつくったロールケーキだ。ママはロールケーキのしょくにんさんだ。きょうのロールケーキはしさくひんっていってた。

 おいしい。なかにフルーツがたくさんはいっている。いくつでもたべられそうだ。でも、おみせではいろんなことわいわれるみたい。ぼくがおいしいっていっても、みせでは「なまクリームが……」とか「きじが……」とか、むずかしいことをいわれてるって。でもぼくは、このろーるけーきにわるいところはないとおもった。




 小池清吾は佐藤那奈と、車の中にいる。やっと面倒な土曜出勤、ひいては一週間が終わって明日からは貴重な連休だったが、家には帰りたくなかった。いや、家には居たくない、というのが正確かもしれない。家に帰ったところで、何の刺激もない単調な家庭生活が待っているだけだ。子供が生まれてからは、本当に毎日が退屈になった。そんなときに、この那奈が現れた。那奈と逢瀬を重ねて快感を得る日々、一人の男として見られることに清吾は悦びを覚えた。那奈にも夫はいた。しかしそのことに背徳感が生まれ、自分の家庭を裏切る背徳感とともに、更なる刺激を清吾にもたらした。落ち着いた家庭生活よりも、遥かに性分にあっていた。

 ただ、家族に対して愛がないわけではなかった。もしこの事が明るみにでたとしてもどうにか息子と暮らす方法はないものか、と思っていた。

 しかし今は彼にそんな事を考える事は、出来ない。これから那奈と過ごすひとときに対する悦楽と、これから味わう快感に対する期待とで、彼の心は埋め尽くされていた。




 そとは、かぜがびゅうびゅうふいている。あしたは、クリスマスだ。ほんとうはもっとおきていてサンタさんがくるのをみたいけど、ママがサンタさんはねないとこないっていうから、しかたない。ママは、もうねてしまった。

 パパはまだいえにかえってきてない。ひょっとしたら、パパはサンタさんにあうかもしれない。もしパパがサンタさんにあってたらどんなひとだったかきいてみよう。

 サンタさんには、L800けいのせっとをたのんだ。ちゃんともってきてくれるかなあ。




 二人はホテルの駐車場にいた。もうそろそろ、日が変わろうとしていた。これから那奈を家に送って自宅に帰る事が、清吾にとってはとても億劫な事に思えてきた。明日は十二月二十五日。また家の中で、何の刺激もない家族サービスに時間を費やさなければならない。後部座席には、クリスマスのプレゼントとして息子に見つからないように隠しておいた、電車の玩具。清吾にはそれが、彼の退屈な、否これから感じる事になる退屈な心情を象徴しているように見えた。

 車は走る。夜の都市高速を、橙色の光と吹き荒む風に包まれて。雪が降っているのも、ちらほらと見える。二人は無言のままだったが、幸福感に包まれていた。そして名残惜しさを噛み締めていた。清吾も那奈も、明日からは平凡な日常に戻らなければならない。

 那奈の家に着いた。那奈が尋ねる。

 「次はいつ?」

 清吾は答えに詰まった。これからは年始まで長い連休があり、年末は妻の実家がある秋田まで、家族で里帰りをする事になっている。

 「年明けまでは会えそうにないけど……」

 そして、清吾は苦し紛れにこう言った。

 「年が明けたら、二人で旅行なんかどうかな?」

 どうにか急場をしのぐための、苦渋に満ちた返答。実際、こうなることは予想していた。ただ今日この時までにいい答えを思いつく事が出来なかった。

 「どこに行く? 冬だからスキーとか? でも、清吾くんの事だから、外には出ないで、ずーっと二人でベッドにいることになるかもね。一月っていつが連休だったっけ?」

 清吾は那奈のこの天真爛漫な返答に、冗談でも旅行を提案したことを、後悔した。那奈の夫は単身赴任中で、那奈自身はかなり自由に動ける。けれども自分はどうだ。妻がそばにいて、子供もいる。連休は、そう自由に動けるものではない。

 「まあ、細かい事はまた時間があるときに考えようよ。あと言い忘れてたんだけど、年末年始はあんまり連絡してこないで。俺も色々忙しいから……」

 清吾は早くこの場を切り上げたい。

 「楽しみにしてる……」

 那奈はそういうと清吾の唇に自らの唇を押し当てて、ねっとりと舌を絡めてくる。まるで、那奈自身の存在を清吾が忘れてしまわないように、清吾に那奈の触感を刻み込むかのように……

 愛撫のリフレインの中で、清吾は自分の家に向かって車を走らせる。家に着くと、二時を過ぎたあたりだった。息子の寝顔の横に、そっと電車の玩具を忍ばせる。ついさっきまで、那奈を弄んでいた手で。そして着替えて、布団に入る。まどろみながら、引き下がるための橋が無くなってゆく速さに驚きながら……




 「やったぁ! ママー、パパー!」

 サンタさんからL800けいが、ちゃんととどいた。きょうはパパとせんろをくみたてて、L800けいでいっぱいあそぶんだ。ママはおきて、

 「よかったねぇ、でもちゃんとおへんじもかかなきゃだめよ」

っていった。でもパパはなかなかおきてくれない。

 「パパはしごとでつかれてるから……ゆっくりさせてあげて。」

 ママはそういった。そうして、あさごはんのじゅんびをはじめた。ぼくはL800けいをはこのなかからだした。レールもセットになってる。ふつうのレールはあおだけど、ついてるレールはグレーだ。えきやてっきょうもついてきた。サンタさん、ありがとう……パパとはやくあそびたいなぁ。

 それからぼくは、ママとサンタさんのはなしをしながらあさごはんをたべて、レールをくみたてた。L800けいがはしってるのみせて、パパをおどろかせようとした。ママはしごとにいった。




 ジー……

 清吾は、モーターの音で目が覚めた。体が重い。時計を見ると、九時五十二分。唇には、まだ昨日の感触、いや今日の朝方の感触が残っている。太陽の光が鬱陶しい。

 しばらくしてリビングルームに降りると、

 「台所に朝ごはんがあるから食べてください」

 という妻の書き置きがあり、息子の

 「パパはやくこっちきてよー」

 という声とモーターの音が聞こえる。

 「ごはん食べたら行くねー」

 息子にそう言うと、冷めたトーストとスクランブルエッグ、コーンスープを温めなおした。なんでこんな日に仕事に行くんだ、と妻を恨めしく思う。何も考えたくない。パチンコにでも行って、誰の事も気にせずに過ごしたい。しかし今日はクリスマスだ。『いいお父さん』を演じきらなければならない。

 食器を片付けてリビングに行くと、たくさんのレールが敷き詰められていた。そしてその中に息子がいる。その姿を見ると急に息子が愛おしく思えてきて、息子とは何としても離れたくないと、改めて感じるのだった。

 「あしたからはおばあちゃんち、たのしみー!」

 ぼくはパパに、おひるごはんをたべながらそういった。パパは

 「ああ、そうだね」

 っていったけれど、なんだか『わざとらし』かった。ほんとうにいきたいのかな。ほんとうは、あんまりいきたくないんじゃないかな。さっきは、あんまりせんろをつくるのをてつだってくれなかった。ずっとけーたいのがめんばっかりみてた。なにしてるの、ってきいてもおしごとってしかこたえてくれなかった。




 那奈からのメールが来ている。いつなら会えそう、と。連絡はしないよう別れ際に釘を刺しておいたはずだった。返信するにも内容に困ってしばらく画面を見つめていると、早く返信が欲しい、と来た。こんな調子で携帯電話を鳴らされていたのでは、秋田にいるときに何がおこるかわからないし、妻の実家で携帯電話の画面ばかりを見続けるわけにもいかない。しかし、ここで那奈を冷たく突き放したくもない。

 清吾は重い心持ちで伝えた。少なくとも二週間弱は会えそうにないということと、年末年始の間だけはとにかく連絡をしないでくれということを。

 那奈からは、いかにも名残惜しそうな内容が返ってきた。清吾は迷い、ある決断をする。




 パパは、おひるからきゅうにしごとになったっていって、どこかへでかけちゃった。




 「ゴメン、急に仕事が入っちゃったんだ! 明日からはちゃんといっしょに遊んであげるから。ね、今日だけは許して! ママには遅くなるかもって言っておいて!」

 清吾はそういうと、車のキーと財布を持って、家を出た。那奈に会うために。待ち合わせは春吉のホテル。清吾はもうどうしていいのかわからなくなっていた。

 那奈はもうホテルに着いていた。二人でチェックインを済ませて部屋に入ると、

 「しばらく待ってて」

 と言って、那奈はシャワーを浴びにいった。

 一人で待つ間、清吾は苦悩していた。できるだけ素早く事を済ませて、家に帰りたい。しかしここで那奈のことをぞんざいに扱ったらどうなることかと、怯えていた。別れることにならなかったとしても、後々まで、特に秋田にいる間にそうした理由を問いつめてくるかもしれない。そうなると厄介だ。秋田にいる間は、思考に那奈を挟みたくなかった。どこから足がつくか、全くわからないのだから。

 やがて那奈はシャワーからあがってきた。白い肌、小さく丸いお尻、引き締まったくびれ、形の整った胸、そして清吾に那奈を刻み付けた、魔性の唇。

 最初は、体を重ね合わせるだけで良かった。退屈しのぎのつもりだった。少なくとも休日を潰していっしょに過ごすような関係になるつもりは、全くなかった。それが今は息子を騙してまで、会うようになっている。

 清吾は高揚感と背徳感の中の後悔。しかし絶頂とともに押し寄せる快感には、抵抗できない。



 ママがかえってきた。もうおそとはくらい。

 「パパは?」

 ママがそうきいてきて、

 「おしごとにいったよー。おそくなるかも、って」

 ってぼくがいったら、

 「あしたはいそがしいのに……だいじょうぶかな。おなかすいたでしょ? いまからじゅんびするから、まっててね。」

 ってママはいって、ばんごはんのじゅんびをはじめた。パパはまだかえってこない。




 快感と高揚のほとぼりが冷めつつある頃。

 「旅行は、建国記念日の三連休なんかどう?」

 那奈から、そう提案があった。日程的には、まだ一ヶ月以上の余裕がある。妻には、学生時代の友人と旅行に行くことになった、とでも伝えればいい。清吾はすんなりと受け入れた。

 「ああ、細かい日程は年明けにまた決めよう。今日はもう遅いしね。それから、何回も言うようだけど、年末年始の間は俺には連絡してこないで……」

 「うん、わかった」

 那奈は柔らかい口調でそう言うと、清吾の胸の中に潜り込む。那奈の髪の甘い香り。それを嗅ぐと清吾は自分の中の本能が再び活発になるのを感じた。しかし、那奈との悦楽に溺れるには遅すぎる。清吾は焦っていた。そろそろ家に帰らなければ、不審がられるかもしれない。それに、明日は朝からのの大移動だ。極力早めに寝て、それに備えたい気持ちもある。それでいて抑えられない、快感への衝動が湧きあがる。




 ばんごはんがおわって、おふろにはいっても、パパはかえってこなかった。あしたははやいしつかれるから、もうねなさいってままにいわれた。

 もっとあそびたかったのに。でも、あしたからおばあちゃんちにいけばしごとはなくなる。おおみそかもおしょうがつも、いっぱいいっしょにあそぶ。パパはもう、ぼくのものだ。



 ホテルにはどれくらい居たのだろうか。車に乗り込んで携帯電話の画面を見ると、十一時五分。その日のうちには帰りたかった。幸い妻からの連絡はない。別れ際に、キスをした。軽くふれあう程度。そのときに、互いが互いを求め合うことはない。存在の確認。

 家に帰ると妻と息子は寝ている。自分も早く寝なければ、と清吾は感じた。妻の両親や親戚の前で、さも眠たそうな態度を取るわけにはいかない。

 歯を磨いて床に就くと、清吾はすぐに眠りに落ちる。


 それからというもの、那奈からは何の音沙汰もなかった。秋田に居る間、清吾は驚くほどものの見事に『家族想いのいいパパ』を演じきった。否、本当にそうだったという方が正確かもしれない。事実、年末年始は清吾の思考の中のどの一片にも那奈は居なかったと言ってよいほどだ。年が明けて、那奈と再会したときに清吾の見えざる欲求は全て蘇ったけれど。




 おばあちゃんちにいるあいだ、パパはいっぱいあそんでくれた。いつもはいえのなかばっかりであそぶけど、おばあちゃんちにいるあいだは、そとでいっぱいあそんだ。こまをまわすのが、いちばんたのしかった。パパもたのしそうだった。こどものときにもどったみたい、って。なつかしい、って。おばあちゃんのおぞうにはおいしかった。おもちをかむのはたいへんだったけど、のびてやわらかくなったところがすごくおいしかった。

 あしたでふゆやすみはおわり。でも、つぎのにちようびはパパとえいがにいくことになってる。ずっとたのしみにしてた、ヒーローのえいがだ。あたらしいかいじゅうもでてくる。えいがのあと、パパのともだちのさとうさんっていうひとにあうらしい。どんなひとなんだろう。




 「今週の日曜日、時間ある?」

 那奈にそう訊かれて、清吾は少し考える。

 「お昼過ぎてからならいいよ。あと、子どももつれてっていい?」

 今の妻と別れることになったら息子は自分が引き取ろうと考えていた清吾にとって、那奈と息子を対面させるいいチャンスだと考えた。前々からその機会を探りはしていたものの、なかなかいいタイミングがなかった。

 「ごはんどうする?どっかで予約とる?」

 「そうだね……まかせていいかな。子どもも食べられるようなところで」

 そろそろこれからの具体的な計画を考えなければならない。




 えいがはおもしろかった。かいじゅうがみっつにわかれたのはすごかった。それに、まえのテレビにでてたヒーローたちがきたのが、いちばんわくわくした。ぼくはいまのヒーローよりふたつまえのヒーローがいちばんすきだから、うれしかった。

 えいががおわったあと、パパとさとうさんとぼくのさんにんでごはんをたべて、さとうさんのいえにいった。ジュースとゲームをもってきてくれて、

 「すこしのあいだ、パパをかしてね」

 っていったら、パパとにかいのへやへはいっていった。パパも

 「こっちにはいってきたら、ダメだよ」

 っていって、さとうさんといっしょにいった。




 

 「一緒に暮らすことになったら、あの子もついてくるの?」

 「気に入った?」

 「もちろんよ。だって私、子ども産めないから……」

 「そうだな。じゃあ決まりだな。三人で暮らそう」

 「ところで、旅行のことなんだけどさ」

 「なに?」

 「そこで、これからのお互いのこと決めちゃわない?」

 清吾も全く同じことを考えていた。お互い既婚者であり、入念な準備が必要だ。

 「そうしよう。そのときがいちばんたっぷり時間があるからね。それより……」

 清吾はそう言うと那奈の唇を自らの唇で塞ぐ。

 無意識のうちに欲求不満になっていた。そのことが、那奈と再会したときに清吾の中に発現して、自己認識された。とりわけ、今日は那奈とその夫の寝室。背徳感と、優越感。




 えいがのパンフレットをよんだり、ゲームをしたりしていたら、パパとさとうさんがにかいからおりてきた。ぼくがしてたゲームは、そのままさとうさんがぼくにくれた。

 きょうのことをママにいったら、ママはすこしかなしそうなかおで

 「おれい、いっておかなくっちゃね。それと…ママとパパだったら、どっちがすき?」

 ってきいてきた。

 「どっちもすきだよ、ずっといっしょにいてよ」

 「そっか……ありがと。ずっとさんにんいっしょにいれたらいいね」

 ママはわらった。でも、さっきよりもかなしそうだった。




 それからの毎日は特に大きい出来事がおこるわけでもなく過ぎていった。幼稚園に通う。職場で働く。時々、逢瀬を重ねる。日常が帰ってきた。




 パパはあしたからスキーにいくって。だいがくっていうところのともだちといくらしい。

 「ぼくもつれてってよー」

 「またこんど、おまえがおおきくなったらつれてってやるから。ママとさんにんでいこう。それまで、たのしみにしてて」

 「はーい」

 「かえってくるまでは、ママとなかよくおるすばんしててね?」

 「はーい」

 「じゃあ、そろそろあがろうか」

 パパがそういうと、ぼくはからだをふいてもらって、おふろからあがった。

 さいきんは、まえよりもパパがいっしょにあそんでくれるようになったきがする。



 空港から、飛行機が飛び立った。新千歳行き。そこには、大勢の客の中に二人の仲睦まじい男女が乗っていた。二人の名前は、小池清吾と佐藤那奈。




 清吾と那奈は、ホテルについた。もう夕方になっていた。リミットは二日を切った。あさっての昼には帰るから、それまでに全ての話をつけておかなければならない。

二人とも、移動でかなり疲労していた。その日は、食事をとって温泉に入ると、二人はすぐに寝ついてしまった。

 朝が早い。清吾が太陽の光で目を覚まして時計を見ると、まだ六時前。軽くシャワーを浴びていると、那奈が起きた。清吾が浴び終えると那奈が交代で入り、那奈が浴び終えると二人はそのまま朝食のために、ビュッフェへと向かった。

 「ここのごはん、結構おいしいね」

 「たまにはこうやって家の外で朝ごはん食べるのもいいよね。結婚してからはずっと家でたべてたから……」

 「二人で朝ごはんって、これが初めてじゃない?」

 「そうだね。そういえば、那奈の朝ごはんってまだ食べたことないなぁ」

 「さすがに、次の日の朝まではね。でも、これから毎日、飽きてもずっとそれだよ?」

 「ははは、楽しみにしてる……」

 二人はこれからの毎日に対する期待とともに、この上なく幸せな朝を迎える。




 パパがスキーにいったあと、ママはずっとさみしそうだった。ごはんのときも、おふろのときも。きょうのあさごはんのときも、なきそうなかおだった。




 「あしたの夜、うちに来て話つけない?」

清吾がそう提案すると、話は一気に進んだ。あしたの夜、妻を交えて三人で話すこと、それが済めば那奈の夫と三人で話すこと、息子の親権は清吾が引き取ること……その他、様々なことまで。そうして昼食をとって、午後からはスキーをした。夕食を終えるとナイタースキーをして、そのまま温泉に入って、床についた。

 三日目は二人とも遅めに起きた。朝食をとり、清吾は息子への土産を購入してホテルを出た。

 そしてそのまま飛行機に乗り、いったん空港で解散した。




 パパがかえってきた。おみやげにキーホルダーをくれた。それからパパは、かいものにいこう、っていった。ママはでかけたくないっていったから、ぼくとパパはヒーローショーをみにいくことになった。




 このまま息子を連れて、逃げ出してしまいたい。清吾はそんな気持ちに駆られていた。

 怖くなった。

 ヒーローショーをみて、いろんな店に入っているうちに、日は暮れて約束の時間は近づいている。那奈からは何回も連絡がくる。家の前に居る、と。だが今更、帰ってくれとも言えない。

 しばらく自分を後悔しながら車で走った後、家に帰った。家の前には那奈が居た。




 パパとかえると、いえのまえにさとうさんがいた。それからさんにんでいえにはいるとぼくはすぐに、ぼくぼへやにつれていかれて、だいじなはなしをするからでてこないように、きがえてすぐねるようにいわれた。

 ママがなくこえがきこえた。




 「私に清吾くんをください」

 「どうしてそんなことが言えるの?」 

 「どうして、って……清吾くんが私といっしょになりたいって言ったから」

 「…いつからそんな感じなの?」

 「もう半年くらいは……それに、私のおなかの中には清吾くんの赤ちゃんがいるかもしれないんです」

 「……ふざけないで! それに、私たちがこれまで育んできた愛の結晶は、うちの子はどうなるのよ!」

 「私と清吾くんが親権を引き取りたいと……」

 「何を言ってるの…!」

 涙ながらに、妻の平手が那奈に飛んだ。その後も会話が続いたが、俺は黙って観ていることしかできなかった。

 「あはははははははははははははははははは…………………………!!!!!!!!」

 狂った笑いが、いまでも頭に鳴り響く。




 「ママ、まってよ! いかないでよ!」

 「あなたのあたらしいママはさとうさんなの。だから、ママにはもういかせて?」

 「やだよ! パパとママとずっといたいよ!」

 「パパはママよりも、さとうさんといっしょにあなたといたいんだって」

 「そんなのやだよ!」

 ぼくはママをいっしょうけんめいとめようとする。なんかいもはじかれた。ママはずっとないていた。なきながら、でていこうとしていた。パパはなにもしてくれない。そうしてぼくが

 「ぼくもママといっしょにいきたい!」

 そういうと、ママは

 「いっしょにいこっか」

 といって、にっこりしてくれた。パパは、ぼーっとたったまんまだった。

 まどからオレンジいろのひかりがはいってきた。パパのかおはよくみえなかった。

 それからぼくはおばあちゃんちに、ママといった。






 先日、母の葬儀がありました。ずっと僕といっしょにいた、唯一の人。最期を看取られるまで。

 僕のよく知っている秋田の親族は、数少なくなりました。いまでは、顔と名前が一致しない人がほとんどです。家庭を持つことに対して、自分も父と同じ道を辿るのではないかという思いが未だにあり、結婚はしていません。

 父は葬儀には来ませんでした。来たところで、僕にとって父は無視する存在に過ぎませんが。

 父と佐藤さんは、長くは続かなかったようです。きっと二人とも安定した生活に、退屈してしまったのでしょう。しょせん、人を裏切る背徳感や刺激を楽しんでいただけなのです。

 

 あれから僕は、一度も故郷には帰っていません。


 父と別れてすぐ、僕はおもちゃや服を全て秋田に送ってもらいました。しかし祖母夫妻が、新しいのを用意してやるからと全て処分してしまいました。

 ただ、不思議なことにL800系の電車だけは、残っています。僕の名前が書かれた、唯一のおもちゃ。

 いまでも僕はそれを見るたびに思い出します。青いレールの上を、モーター音を引きずって走る電車。そばに転がっているたくさんの電車。のぞみ、ひかり、こだま……、それから、テレビの中のヒーローたち。

 でも、そこに差し込むセピア色のくすんだ西日のせいで、一緒にいた人の顔は、よくわからなくなってしまいました。

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 無邪気な息子の独白部分と不倫に溺れる父親たちを描いた三人称の部分を織り交ぜた構成が物語の最後まで緊張感を持続させていて良いです。 息子の独白が無邪気であればあるほど、父親たちの罪深さとい…
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