魚の頸斬り/世の綱渡り
書き直す予定ですが、じゃんじゃん感想・批評下さい。お願いします。
「――遅ぇぞ、新入り! そんなにチンタラしていたら日が暮れちまうぞ!」
「すみません!」
年下ではあるが、バイトの先輩に怒鳴られて多々良は手の動きを早くする。手に持っているのは、魚。死に絶えた、只の肉塊ではあるものの、それでもそのヌルヌルとした感触と海特有の魚の死臭とが未だ残っており、それに内心嫌悪しながらも、しかしすぐさま頭を切り落とし、そこから刃で一気に身を切り開く。見えた内蔵を手で毟り取り、木箱の中に並べる。この一連の動作を何度も連続する。
あの後、無事にバイト先に到着した多々良はこの仕事に取り掛かった。最低限の説明だけであったものの、問題なく仕事に専念できていた。
単純な仕事であるものの、刃物を扱う為に非常に危険なものである。この仕事中に誤って指を切り落としたものもいたと説明中に脅されてもいるし、実際に起こったことなのだろう。そのお陰か、魚を捌くのに慣れている者だけが出来る仕事になってしまい、時給が割高なバイトへともなっている。明日の食事にも悩む彼にとってはありがたい話ではある。
それから無言の時間がしばらく続く。具体的な時間を言えば、叱責を受けて約一時間と言った辺りか。手馴れてきたのを自覚しながらひたすらに魚を捌いていると、バイト長が「30分間の小休憩だ」と声を上げた。その声で疲れを声に出したり、伸びをしたり、飲み物を買いに行ったりと、各々が自分勝手に行動し始めた。
無論、漏れる事無く多々良も乾いた喉を潤そうと立ち上がった。その時、不意にトントン、と肩が叩かれる。後ろを振り返れば、隣にいた少年であった。ニコニコと活発そうな笑みを浮かべ、髪は茶色に染め、ソバカスのある、出っ歯の少年だ。胸にあるネームプレートには、『バイト 曽根川 健太郎』とプリントされている。
「新人さん、凄く早いっすね。漁師の家の人ですか?」
突然声を掛けられて一寸声を詰まらせるものの、「いや、毎日自炊しているから、少し慣れているんだ」と返す。それに驚いてか、目を見開くリアクションを取る。
「へぇ、そうなんですか! スッゲー! コツ教えてくれませんか? 自分、何時まで経っても早くならないんですよ」
と声を上げる。多々良は頷いて、
「いいよ、何か飲みながら話そう」
と誘った。曽根川は是非ともといった感じで多々良についていく。程なくして自販機にたどり着き、飲み物を買って、多々良は魚の捌き方を曽根川に教え始めた。意外にも、曽根川は真面目に多々良の話を聞き、質問も投げかけたりと、充実した時間を送っていた。多々良の説明と曽根川の飲み込みが相成って、4、5分ほどで解説が終わる。「ありがとうございます」と曽根川は一礼して、軽快に笑った。
「いやぁ、自分家、この町の人に嫌われているから、いくら話しかけても無視されるばかりで……本当に助かりました」
多々良はその言葉に驚きを感じた。この曽根川という少年は確かに軽快そうな雰囲気を持っており、近寄りがたく感じる人もいるだろうが、しかしその実、知的で、しかも人当たりのいい感触を感じる好青年なのだ。寧ろ町の住人たちに嫌われる要素が見つからない。
「驚いた。君はとてもいい人だと思うんだけどなぁ」
「それは嬉しいなぁ」
寂しそうに微笑みながら、はぁ、とため息を吐いた。それを見て、実はこの少年は自分に話しかけたいから適当な質問をしてきたのだろうか、と考える。その線は濃厚に思えた。
「この辺りの人って、外から来る人を嫌っているんすよ。別に観光とかならそんなんでもないんですけど、定住しようとする人とか、とても嫌っていて。そのことをついつい知らずに引っ越してきちゃったもんだから、もう堪ったもんじゃないっす。こう言う風に話せるのも、外の人だけっすよ」
そう言う曽根川に、多々良は同情を抱いてしまう。確かに、思い当たる節はあった。この町の住人が自分に向ける表情は、そう変わったところはなかった。しかし、視線は違った。全く笑っていない、まるで観察するような、警戒するような目。執着とはまた違う、監視するような、感情のこもっていないものだ。それこそこの地の住人の本性というものなのだろうか。
「それは、大変だなぁ」
彼には、そう言う他なかった。この町の住人でない以上、何故余所者が嫌われるのかという理由が分からない。それなのに、この町民の考え方を一辺倒に否定することは出来なかった。優柔不断な回答であり、しかしこの場においては最善の発言であった。
「本当にそうですよ」
曽根川は、そう言って手に持っていた缶コーヒをぐいっと一気に飲み干す。まるで愚痴を飲み込んで我慢するかのように。
@@@
休憩が終わり、再び多々良は黙々と魚を切り捌くこととなる。無論、その場に話し声はなく、部屋の中には夏の湿気と男の熱気、魚の臭気が充満している。
汗が蟀谷から頬へ、頬から顎へと伝わっていく。極度の集中力の必要性とこの職場環境の悪さから察するに、実際のところ能力よりもこれらの理由から時給を上げているのではないだろうか、と考える。そのせいか、手元が狂った。
「うおっ」
思わず声を上げる。ギリギリのところで止められたからいいものの、刃がゴム手袋に少しだけ食い込んでいた。あと少しのところで、指が切れていたなぁ、とほっと安堵する。再び作業に戻ろうと、刃を構えた。
すると、多数の視線を感じた。顔を上げれば、作業場の殆どの人たちがこちらを見ている。当然のことだ。静かな中、大声とも取れる驚声を上げたのだ。驚きに見る者、阻害されたと怒る者。それらの視線を感じ、多々良は謝罪の声を上げる。
「す、すみません」
軽く頭を下げれば、周りは作業を再開し始めた。先ほどより深い溜め息を吐いて、刃を魚の首に当てた。
当てたところで、再び視線を感じた。先ほどとはまた違う、ねっとりとした、粘着質な視線。全身を嬲るような、そんな生理的嫌悪を催させる視線だ。そして同時に、あまりにもおかしな感覚ではあるが、まるで、どこか懐かしさを感じさせる、そんなものが脳裏に写った。
チラリと、目だけを動かしてその方向を見れば、バイトの前に詳細な説明をしたチーフである男と、初めて見る、自分が知らない背が小さく、小柄な多分女性だと思われる人物。
目星一五〇cmほどの身長だろうか。その人物は深く麦わら帽子を被り、黒くて艶のある、長い髪が帽子から出て腰辺りまで届いている。僅かに見える肌の色はとても白く、その白さは青白さを思わせる、しかし不健康さを思わせないような、あまりにも黒とは逆の色。高級そうなトートバックを握る白い両手は、遠くから見ているからだろうか、触れれば折れてしまういそうな繊細さがある。足首まで覆い隠している、長袖のワンピースは深紫に染まっている布で作られていた。
きっとその人物、きっと彼女こそその視線の持ち主なのだろう。僅かに帽子の影に隠れた視線が、こちらを向いているように思えた。
どこか懐かしげに感じる存在は、彼女であった。何故だかは知らない。あの体型と該当する知り合いの女性を思案するが、矢張り思い当たりがない。感覚と記憶に矛盾を感じる。そのことに疑問を覚え、視線を無視しようと心の中で強く念じながら、魚の頸に刃を通す。力が込められた包丁は、銀に鈍く光る刃が赤色に染まった。
濁った目玉は、ただ多々良を見ていた。
@@@
一体何匹目の魚を捌こうとした頃か。腹を裂いて並べようとした時、チーフがパンパンと手を叩いた。
「お疲れ様、時間だ。各自上がっていいぞ」
その言葉を聞き、皆はノロノロと立ち上がりながらお互いに慰労の声を掛け合った。多々良は固まった腰を揉みながら、ゆっくりと立ち上がった。ふぅ、と立ち上がって工場に付いている時計を見る。まだ午前の十時だ。とはいえこの後にも多々良はバイトを入れている。一休み出来るか出来ないか、微妙な時間に、少し悩む。
頭を傾げていると、肩を叩かれた。振り向けば曽根川がニコニコと笑いながら佇んでいる。
「ん、なんか用か?」
「この後時間とかありますか? ちょっと飯食いませんか?」
「あー、悪い。この後他のバイトがあって――」
「――多々良君! 少しいいかね?」
曽根川に断りの返事を返そうとすると、大きな声で多々良が呼ばれた。呼んだのはチーフであった。クイクイと手を動かし、こちらに来るようジェスチャーしている。
「――そういう訳だから、今日は無理なんだ。悪い」
「まぁ、しょうがないっす。今度暇な時にでも」
少し残念そうに頬を掻きながら曽根川は言う。
「そうだなぁ、明後日はバイト間の時間があるから、明後日食いに行こう。金が無いから、あんま高いものは頼めないけど」
「ハハハッ、その時は奢りますよ」
「じゃあ、楽しみにしているよ」
少し、軽く会話をして別れ、チーフの元へと足を向ける。
「それで、用事とは……?」
「あぁ、着いて来てくれ」
そう言われ、頭を傾げながら多々良は作業場の奥へと行く。打ちっぱなしのコンクリで出来た廊下を進めば、接客室と銘打たれた部屋の前でチーフは止まった。
彼は振り返り、多々良の耳元に口を寄せた。
「この中に、君に会いたいと言われた人がいる。ここのオーナーのお孫様だから、粗相のないように」
「はい……はい?」
チーフの言葉に、多々良は惚けたような声で聞き返す。言われたことを理解するのに、二、三秒の間、思考がそのことに割かれた。
「いや、さきほど作業上の方にいた方なんだがね、君も見たろう? 紫の服を着て、麦わら帽子を被ってた、僕の隣にいた人。どうやら君に興味を持ったらしくて、呼ぶように言われたんだよ。まぁ、よくある事だから、そんなに緊張しなくてもいい。粗相をしなければ、だがね」
首に巻いていたタオルで額の汗を拭いながら、彼はアセアセと説明をする。その姿は、追い詰められているような、罪悪感のような感覚を醸し出していた。多々良としては雇われている側のため、断りたくても断れず、それ以前に特に断る理由もなかった。
「突然で驚きましたけど、分かりました」
一つ頷いて了承の意を表せば、チーフは少し暗い表情をして、ありがとう、と呟く。
「それじゃあ」
一言断りを入れて、ノックをする。
「どうぞ」
ドア越しに聞こえるくぐもり声であったが、しかし高いソプラノ調の声色の見事なこと。少し驚きにも似た期待感を育ませながら、多々良は戸を開いた。
その時、ポツリと小さな、チーフの声を聞いた。あまりにも小さく、弱々しいものであったため、多々良は正確には聞き取れなかった。しかし、確かに何か声を発したのだ。
多々良には、「ごめん」と言っているように聞こえた。
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