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護国課の女

 改稿しました。

「篠山、ちょっといいか」


 篠山 弓子は上司の篝 仁に呼ばれ、手を止めた。手元には大量の紙があり、そこにはチラホラと[護国課]の名前が書かれている。


「はぁ、なんでしょうか」


 篝の元へ行き、弓子は呼ばれた理由を思案した。最近は特に呼び出されて怒られるようなヘマはしていないし、理由も見当たらない。となれば、新しい仕事だろう。

 弓子は目の前の男を見た。体は細長く、肌の色は雪のように白い。顔つきは整っており、メガネの奥の眼光は鋭く、髪を後ろに撫で付けている。スーツが似合い、いかにもエリートといった感じだ。そしてその見た目通りでもある。某国公立大学を主席で現役合格し、主席で卒業。この経歴だけでも凄いのに、三十前半だという若さにして課長なのだから、エリート以外何者でもない。

 篝は弓子に視線をやり、一枚の紙を手にとった。


「資料まとめは片手でいいから、やって欲しいことがあるんだ」

「えっ、資料まとめもやれってことですかそれ?」

「資料まとめなんて簡単だろう?」


 弓子は内心頭を抱えた。この男は自分ができることは他人にもできる、と考えている天才である。詰まる所、迷惑な天才系上司なのだ。部下からしたら迷惑以外のなにものでもないのだが、上司に言われた以上そうするしかないのが部下の悲しい運命というものである。


「で、仕事とは一体なんでしょうか」


 これで面倒な仕事なら資料まとめはストライキしてやる、と心の中で言い捨てて、本題に入ることにした。

 弓子は仕事ができるというわけでもなく、極端にできないというわけでもない、所謂どこにでもいるような、しかし少々特殊(・・)な生まれの人間だ。その為それほど大きな仕事が転がり込んでくるわけではないが、面倒な仕事はよくある。それはその特殊な生まれに関する仕事であり、できる人が少ないため受けざる負えない。


「そんな大層な仕事じゃない。普通(・・)の護国課の仕事だ」


 護国課。それが篝と弓子など、計十八名が所属する文化庁の一課である。以前までは宮内庁所属の一課であったが、終戦後の日本国憲法の施行の際に文化庁へと移る。仕事の内容は性質は以前のものと多少変わるものの、宗教の監視であるという点に変わりはない。

 現在は反社会思想の宗教団体を監視し、犯罪を未然に防ぐことが主な仕事である。が、先の某宗教団体の毒物犯罪を防げなかったため評価は下降、予算は大幅に減らされ役員もカット。おかげで彼らはまさに馬車馬のように働いているのである。とはいっても以前より多少は良くなった方だ、と当時からいた先輩たちはよくそう呟いている。

 しかし、それらは表の話。周りの目をごまかす皮に過ぎない。


普通(・・)の、ですか」


 篝は五枚ほどの紙が纏められている紙を弓子へと伸ばす。


「あぁ、普通(・・)のだ」




「聖上に仇なす、クソッタレどもの掃除だよ」




@@@




 十数分後、弓子は篝から渡された書類を持ちながら課長室から出ていた。浮かべる表情は憂鬱なもので翳りを帯びている。その表情を見た先輩方は、直ぐ様仕事に取り掛かった。つまり、"面倒事を押し付けられたな"と皆々そう思ったわけである。


「よう弓子ちゃん、課長に何呼び出しくらったの?」


 席に着けば、隣の軟派な先輩がそう声をかけた。彼なりの気遣いであったが、しかしそれが更に彼女の欝を進行させるとはこの時は想像だにしていなかった。


「いえ、ちょっと出張を任されまして」

「へぇ、出張かぁ。そういえば君はそっち(・・・)側の人だもんね。どこ?」

「久豆市です。でも初めてなんで先輩に同行願いたいと頼んだんですが――」

「ダメだった、と。この時期は宗教団体が活発に動く時期だからね、あちこち見張らなきゃいけない。

 しかし久豆市か」


 ギィ、と年季の入ったデスクチェアにもたれる。両手を後頭部に回し、斜め上の天井を見上げた。声に込められた感情は、非常に複雑なものだ。


「久豆市はちょっと、新人には手が余るよなぁ。実際見たわけでも行ったわけでもないけど、書類を見ているだけであそこはおかしいって、そう確信できるとこはないし。一等危険地に認定されているんだっけ?」

「えぇ、なんせ課の方針が"非常事態のみ介入せよ"ですから相当です。あの最終鬼畜課長様ですらそれに則ってますし」

「あー、実際それに甘んじているのには裏があるんだけど……」


 彼はなにか言いたげな顔をして、同時に凄く嫌そうな表情をして、口を噤んだ。

 その光景を見た弓子は疑問を浮かべた。いつもなら言わなくてもいいようなことでもなんでも口にするその先輩が、口にするのを止める。その事実が疑問以上に驚愕に値するものであり、それを訪ねようとして、


「で、何があったの?」


 先の表情はどこへ行ったのやら、顔に笑みを浮かばせながら彼女に顔を寄せた。この先輩の野次馬的な、物凄く庶民感を感じさせる点において彼女は好感を持てるが、しかし当然ながら時にはそれは苛立たせるものとなる。この時は後者であった。

 とは言え、イラッとくるものはあったが、口外禁止でも、職場において話すことを自重するような内容でもなかった。いや、正確には一点ほどあったが、それ以外は大丈夫である。

 口にすることすら面倒だ、と言わんばかりに溜め息を吐き、


「この間の件です。ちょっと有名になったでしょう」

「? あぁ、前畑(まえはた)さんのことか。そのことについての?」

「……えぇ、そうです」


 正直な話をしてしまってこの先輩も道連れに、と一瞬そんな思考をして、止める。きっと一人でやる以上に面倒になるであろうことを、すぐに気付いてしまったからだ。しかし、この不自然な間に、きっとあの口うるさい先輩は食いかかってくるであろうと心構える。


「ふーん」


 しかし、意外なことに質問ではなく相槌だけであった。この一瞬の間で何か良からぬ事を察したのか、彼女の言を信じたか。不明ではあるが、どちらにしても返答は短いものであった。


「……」


 その事実に、少し苛立ちを覚えた。いつも場を引っ掻き回すというのに、こういう時は首を突っ込まない。日々の行いと危機回避能力の高さがあまりにも釣り合わない事実に、弓子は理不尽なものを感じたのだ。とはいえ彼に罪はなく、勝手に彼女が一人苛立っているだけであって、それに相乗するように今回の出張がその苛立ちを助長させた。怒りをどこかにぶつけるわけにもいかず、再び溜め息を吐く。

 しかし、まさか怒りを向けられる対象ができるとは知らずに。

 その先輩とは逆側に座る先輩が、イヤらしい笑みを浮かべながら言った。


「弓子ちゃん、今日生理?」


 ドゴンと一発。重量感のある音が一つ。

 問答無用で、腰の入った一撃が決まった。



@@@



 その重い音に顔を上げて外の様子を見て、数秒経って視線を戻した。どうやら大の男性がか弱い女性に一撃で伸されたようだ。男を一撃で倒す時点でか弱いとは言えないが、彼からしてみれば十分に弱い。

 そして、その女性とも関係のある資料を、彼は今目にしている。

『平成十×年 第十五回久豆市報告書』。それがこの資料の名前である。

 用紙の削減の為、見やすさより書き込み量を優先されたそのレポートは、びっしりと文字が敷き詰められており、文字を嫌うものが見れば卒倒するであろうものが四枚。活字を好むものだとしても、読み解くには相当の努力を必要とするそれをスラスラと篝は読んでいく。

 だが、その軽快さとは対照的に、彼の眉間には深い皺が刻まれていた。不機嫌とも取れるその表情は、そうであると同時に事態の深刻度を表している。

 彼は椅子にもたれない。それは一種のポリシーというか、こだわりというか、何故そうするかと言われても自分がそうすると決めたからとしか言い様はないが、しかし彼はそれを絶対視していた。

 ギシリという、体とともに心ももたれさせるような、あの見えない重みも感じさせる音は響かない。

 投げ捨てるように、資料を机の上に置く。忌々しいことに、この報告書に書かれていることは、きっと真実であろう。明記されていることが一つでも違えば、この資料の論理は全てが破綻するからだ。それでは、これはあまりにも無意味なものになってしまう。いつもなら価値の有無、その二択を考えていただろう。

 だが、今はできない。このレポートの価値を、如何に役に立ったかを証明しなくてはならない。そのような状況が出来ていた。

 しかし、動かせる(部下)一つ(弓子)のみ。それ以外は掛かり切りだ。残った一つは未熟で、しかし期待を任せられる駒。利用できる可能性は、非常に高い。


「ならば、」


 四枚のレポートが、まるでそれを覆い隠すように、しかしキチンと見えるように配置されている。そしてそれに書かれているのは。


「命令を。駒の全てに意味を持たせるように」


 命令書。久豆市の調査こそ、彼女に与えられた、今、彼女しか成せない命令。

 その役は、彼女にとって非常に酷であることは重々承知している。その命は、彼女にとって理不尽であることは易易理解できる。

 しかし、遊びのない、余裕のない彼らにとって、それは当然の結果であるとは皆が知っていた。

 篝は、自分の部屋を見る。あまりに飾り気のない、無骨な部屋。置物の類はなく、あるのは精々木製の本棚とこのデスクのみ。彼にとって有用性のないものは廃するべき対象だ。その結晶こそ、この部屋であろう。


 気持ちが少しも入り込めないような部屋。それは善意も悪意も一緒にして捨てたような、そんな天使も悪魔も入り組めない部屋であった。

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