9:二トンを負う者、一トンも得ず
9:二トンを負う者、一トンも得ず
「ったく、早く離れてよ」
思い切り押され、深帰人は尻餅をつく。
自分で組んできたくせに、と深帰人は少女を見上げる。絡めていた腕の当たりをはたく少女の仕草は、汚れを振り払うかのようだった。
深帰人が引き連れられて来たのは、高校からほど近い、建設の途中で放棄されたビルがある空き地だ。
「昨日は、ひどい目に遭わせてくれたじゃない」
少女は「翼身」と唱え、堕天の姿を顕わにした。白と黒がまだらに混ざった翼には、物騒なものを放つために空けられたような穴がある。
クルエルが深帰人を見下ろす視線を、何者かが遮った。
「……結果は変わらない」
盧子だった。すでに両手に黒い長剣を持っている。
「やっぱ、あんたがついてくんのね」
クルエルの語調には、予想通りという、というニュアンスが感じられた。
深帰人は立ち上がって、周囲を見る。香菜が空き地の入り口にある壁に隠れるようにして、手を振っている。宣言通り戦う気はゼロのようだ。
深帰人は翼身になって、光の盾を展開する。
「すぐに終わる」と半身に構えた盧子は、姿勢を低くした。
「言ってくれるじゃん!」と笑ったクルエルの翼から、竜巻が時間差で放出される。
だが、盧子は直線的にクルエルに突っ込む。
竜巻はすべて深帰人の光の盾で防ぎ、道を作っていたからだ。
最短距離で懐に突っ込む盧子の手から振り下ろされる黒い剣は確実にクルエルを捉えていた。
取った! 深帰人ですらそう思えた瞬間だった。
「左っ!」
香菜の声が聞こえた。
咄嗟の叫びに深帰人の反応が一瞬遅れた。光の盾が間に合わない。
盧子の左側面から大きく白いブーメランのような形をしたものが飛んできた。
「くっ」と声を洩らした盧子は、左の黒い片翼を展開させ、その攻撃を防ぐ。
だが、衝撃を殺せたわけではない。
盧子は吹き飛ばされ、地面に転がされた。
「盧子さん!」
深帰人は先に盧子の前に光の盾を転移させ、倒れた盧子に歩み寄る。
「大丈夫?」
「問題ない」
「そんなこと言っても……」
盧子の顔面が擦れて、眉の上を切っている。
ナスティのときに聞かされた。翼身化したときに受けた傷は、肉体の傷ではなく魂の傷になる。翼身を解除すれば、見た目としては消えるにしても、魂につけられた傷がいいものであるわけがない。何より、女の子の顔に傷がついているという状況が、深帰人の胸を苦しくさせる。
「それより、今のは……」
盧子に注意を促され、深帰人はクルエルの側方を見る。明らかにあの攻撃は、クルエルのものではなかった。
「ちょっと、なんで仕留めらんないのよ?」
クルエルは苛立たしげに、横を向く。
その視線の先には、男がいた。十メートルくらいの宙空に浮いている。
「うるせえな、ブス。やっぱりてめぇを先にやっちまうぞ。ああ?」
黒いレザーの上下に身を包み、いかにもパンクロッカーといった様相をした長髪の男は、吐き捨てるようにすごみながら、地面へと降り立った。
「水の、翼……?」
思わず口にしていた。その男の背中から出ていた両翼は、噴水のように噴き出し続けている水で出来ている。
「俺は溝口尚吾だ。そいつの口車に乗ってやってよ、まずはお前らを倒すことにした」
「バカじゃないの、本名、名乗ってどうすんのよ、アウトロー」
「ああ? ああ、そういうルールなんだっけか。面倒くせえな」
溝口改め、アウトローを名乗る男は、自分の能力ほどには、この戦いの仕組みを理解してはいないようだった。そのあたりも個人差なのだろう。同時に、ナスティが事前に調べ上げていた「好戦的な堕天使」の中に、その名前があったことを思い出す。
「俺はoutlaw。で、なんだ、そのロストなんちゃらってのは……確か……」
「もういい。こいつはアウトロー。ロストエレメントは、『倫理』よ」
深帰人はアウトローの意味を考える。「倫理」を失くし、残ったものは「非道」。だから「アウトロー」か……。
「あんたらが二人組で動いてるんだから、こっちもそれ相応の対応を取らせてもらったわ。昨日一晩、街中を飛び回って見つけたんだから」
「俺は別に一人でもいいんだけどよ」
「うるさいわね、いちいち。話が進まないでしょ」
傍から見ていても、二人の仲が良くはないのはわかる。クルエルが対盧子用に見つけ、言葉巧みに説得してきたのだろう。二人の共戦関係が急造で刹那的なものである、というのは、アウトローの「まずはお前らを」という言葉からも明らかだった。
深帰人が、どうする? と見たタイミングで、すでに盧子は動き出していた。
言い合いをしていることなどお構いなしに、盧子の剣先がアウトローを狙う。
アウトローは「おっと」と一瞬で空に舞い上がった。
「いいな、その問答無用感。シンプルで嫌いじゃないぜ」
水の翼から刃が繰り出された。
「シールド!」
深帰人が光の盾を盧子の前に転移させ、水の刃を弾く。
「便利だな、それ」
アウトローが口笛を吹いて、深帰人のほうを見る。今初めて認識されたようだった。
「あんたは、そっちの女のほうをなんとかして。こっちは私がやるから」
クルエルが深帰人のほうを向く。
「もともと、あんたは私の獲物だったのよ」
宙に浮いたクルエルが竜巻を発射してくる。深帰人は光の盾を二つに分け、一方の盾で竜巻を凌いだ。
もう一方の盾は盧子のほうに展開させている。
「深帰人」
盧子に呼ばれ、深帰人は「え?」と返す。
「こっちはいいから、自分を守ることに集中して」
「そんなこと言ったって……」
盧子は相手を倒すために、自分が傷つくことを厭わない傾向にある。
深帰人にはそれが嫌だった。
だが実際問題、戦う相手が二人になる以上、集中力は分散してしまう。光の盾の扱いにはだいぶ慣れてきたが、それでも万全とは言い難い。
考えているうちに、第二撃の竜巻が発射される。
深帰人は光の盾で防ぐと、盧子がクルエルのほうへ走り、ジャンプする。
だが、横から水の刃が飛んできた。二つ同時にだ。
「盧子さん!」
深帰人は盧子への攻撃に光の盾を使った。
「もらい」
クルエルの嬉しそうな声を聞いたときには、目の前に竜巻が迫っている。深帰人は、なんとか翼を動かして体を逸らす。だが、かわしきれない。
「ぐっ」
竜巻が横っ腹をかすめた。今まで味わったことのないような痛みが脳まで響く。
それまで打撃的なダメージを直接受けたことはなかった。半零体化していることの影響など関係ないかのように、痛みは現実感を伴って深帰人を襲う。
一気に心が削られそうだった。
「深帰人、こっちはいいから!」
盧子の声に、辛うじて深帰人は意識を保つ。
「別にあんたに攻撃しない、とは言ってないけどね」
クルエルの竜巻が盧子を射程に捉えていた。
盧子はカモシカのように跳ね、俊敏にそれをかわす。だが、そこを狙い澄ましたように、アウトローから放たれる水の刃が襲いかかる。
盧子の肩と太腿から、鮮血が飛んだ。
「盧子さん!」
盧子は持っていた黒い羽根を投げナイフの要領で放つ。
だが、アウトローは水の刃でそれを打ち消した。
どうすればいい? 深帰人は焦りで我を失いそうになる。
相手は、こちらの状況に応じて、攻撃パターンを変えてくる。それに対して、深帰人は防戦しかできない以上、攻撃は盧子に頼るしかない。結果、攻撃が単調になり、相手にも読まれやすくなる。盧子の近接攻撃を警戒してか、クルエルも上空から下りてくることはない。このままでは、いずれ盧子だって体力が持たなくなる。
「あのさぁ」
後ろのほうから気怠そうな声が聞こえてきた。
香菜の声だった。
「『二トンを負う者、一トンも得ず』って言うじゃない」
深帰人に突っ込める余裕はない。ただ、「二兎を追う者、一兎も得ず」を、とんでもない間違い方をしていることだけはわかった。
「二トンは重すぎるから、まずは一トンずつ運べってことよね」
「こんなときに……」
何を言ってんだよ、と香菜に言おうとしたが、「深帰人」と盧子に遮られた。
「アウトローの攻撃だけ防いで」
「え?」
「一分で決着をつける」
何を思いついたのかはわからない。だが、説明を求める時間もない。深帰人は盧子を信じ、「わかった」と応じた。
盧子は黒く巨大な片翼を展開する。次の瞬間には、黒い巨剣に変え、両手に握って斬撃を放つ体勢で構えていた。
「絶闇」
盧子の呟きともに巨大な黒い剣が弧を描き、闇が放たれる。
小さい? それが第一印象だった。
それまで見たことのある盧子の黒い斬撃は濁流のように大きかった。スピードも心なしか遅く見える。アウトローたちの攻撃によって、さすがの盧子も消耗しているのか。
クルエルは「ふっ」と余裕の笑みを浮かべ、その斬撃を自分の片翼に吸収しようとする。
跳ね返される!
深帰人は光の盾を瞬時にクルエルと盧子のあいだに転移させようとした。
「深帰人! 防ぐのはアウトローの攻撃だけ」
どうして? そう問う間もなく、盧子は再び巨大な剣を振りかぶった。
「絶闇」
第二撃の闇が放たれた。今度の黒い斬撃は、それまで見たものと同じ、あるいはそれよりも大きく、速いものだった。
向かっていくのは、クルエルが第一撃を吸収しようとするのと反対側の翼だ。
クルエルの片翼に第一撃が届くときには、第二撃が追いつく。
「くっ」
それはクルエルにとって苦肉の選択のようだった。第一撃に気を取られ、かわすこともできず、もう一方の翼で第二撃を吸収する。
瞬間。
まだらの翼の穴から爆発したような音とともに闇が弾け、クルエルは地面に落下した。
そうか。深帰人は理解する。
以前の戦いでクルエルは盧子の斬撃を一方の翼の穴から吸収し、もう一方の翼の穴から自分の攻撃として放出していた。二つの翼の穴がどのようにつながっているのかはわからない。だが、なんらかの形で連続しているのなら、同時に二つの攻撃が注ぎ込まれれば……試してみる価値はあるだろう。
結果は今、地面に膝をつき、苦痛と悔しさの入り混じった表情を浮かべているクルエルを見れば明らかだった。
香菜の言った「二トンを負う者~」という比喩を深帰人は、クルエルとアウトローの二人を相手にしていることだと解釈した。盧子はそれだけにとどまらず、「同時に二つの攻撃を吸収させようとすればどうなるか」という思考にまで巡らせたのかもしれない。香菜がどこまでを意図したのかはわからないが、彼女も盧子とクルエルの以前の戦闘を目撃しているのだ。
盧子は巨大な片翼をしまい、黒い長剣を右手に持つと、クルエルへ突進する。
「えっ?」
深帰人は自分の目を疑う。
盧子が射程に捉える前に、クルエルの頭上にある堕天の輪が砕かれた。
「なんで? ふざけん……!!」
後ろを振り返るクルエルは、そのまま意識を失い、地面に突っ伏す。
同時に出現した光球は、地面に降り立ったアウトローの堕天の輪へと吸い込まれた。
クルエルに向かって突き進んでいた盧子は、アウトローに向かって剣を振り上げる。
アウトローは水の刃を繰り出して牽制しながら、再び空へ舞い上がった。
深帰人は目の前で起こった一瞬の出来事を、順を追って把握する。
クルエルが地面に落下し、身動きが取れずにいるところに、盧子が追い打ちをかけようとした。だがその前に、上空にいたアウトローから放たれた水の刃によって、クルエルの堕天の輪が砕かれた。信じられない、という表情のまま意識を失ったクルエルをよそに、彼女から出現した光球を、地面に降り立ったアウトローは吸収する。その時点で盧子のターゲットはクルエルからアウトローに変わっていた。だが、盧子の一振りが届く前に、アウトローは上空にその身を移動させている。
「今日のところは、こんなもんでいいや」
アウトローは冷たい笑みを浮かべると、「またな」と言い残して飛び去った。
深帰人は唖然とするほかなかった。敵とはいえ、ほんの数秒前まで共同戦線を張っていた者たちが形勢不利になったと見るや瞬時に裏切る光景は衝撃的だった。
「相手は『非道』のアウトロー。別に不思議はないって」
声をかけてきたのは、ずっと安全圏にいた香菜だった。
「それより、あっちが目覚める前に立ち去ったほうが良くない?」
香菜は倒れているクルエルだった少女をアゴで示す。
「でも……」深帰人は逡巡した。この空き地にわけもわからず放置される少女のことが不憫に思えてきたのだ。本人は目覚めれば堕天使の頃の記憶を失っている。同盟関係にあった者から裏切られたのを知っている深帰人からすれば同情の念が大きい。
「行こう」
感情のこもらない声を発すると、盧子はそそくさと歩き出した。
「この場にいたって、記憶を失くした女子に騒がれるのがオチだって」
立ち尽くす深帰人に香菜が容赦ない正論を告げてくる。
香菜の言葉はもっともだった。
深帰人が優しさから残ったとしても、堕天の記憶を失った少女には説明のしようがない。下手をすれば犯罪者扱いされてしまうかもしれない。
深帰人は後ろ髪引かれる思いで盧子たちの後ろをついて行く。クルエルだった少女が、少しでも早く目覚め、帰路に無事就けることを願うばかりだった。




