7:美少女から「次の駅で降りて」と言われる。
7:美少女から「次の駅で降りて」と言われる。
深帰人は学校帰りの電車に揺られていた。電車の振動とは関係なく心も揺れている。
岸見理恵の件があってから、数日が過ぎた。
そのあいだ、深帰人の不安とは裏腹に堕天使に遭遇するような事態は起きていない。
だが急展開が……深帰人にとっては驚くような出来事があった。
盧子が持っている携帯電話の番号を手に入れたのだ。
何かがあったときに連絡できるよう携帯電話の番号を交換しておこう。
そう盧子から提案されたのは、深帰人にとって意外だった。盧子のキャラクターなら携帯電話を持っていない、ということもあり得る、と思っていたからだ。
「一人暮らしだから、一応、持たされている」
有事の際に学校へ連絡をする場合などを見越して持たされたのだという。
一人暮らしの部分をもっと突っ込みたかったが、人のプライバシーに易々と踏み込めるほど、深帰人の神経は分厚くできていない。
堕天使として覚醒したとはいえ、深帰人にはその前からの人生が存在した。それと同じように、盧子にもそれまでの生活があるのだ。ただ、盧子の性格や一人暮らしという環境から察するに、けして親との関係などは恵まれたものではないように思えた。
盧子が持っている携帯電話は、いわゆるガラケーだ。メールと電話という最低限の連絡手段を目的としたものゆえ、スマートフォンの必要はないらしい。
深帰人はそのときにした盧子とのやり取りを思い出す。
「堕天使と遭遇したときは、一人で戦おうとしないで、わたしを呼んで」
「どういうこと?」
「深帰人には攻撃能力がない」
言われて、納得する他ない。確かに深帰人が「シールド」と名付けた光の盾は、ナスティの攻撃を防ぐことはできたが、ナスティへの攻撃はすべて盧子が担っていた。
「わかった」と受け入れた深帰人は、「その代わり」と盧子に返す。
「もし盧子さんが堕天使と遭遇したときも、僕に知らせてほしい」
「必要ない」
「確かに、僕に攻撃能力はないけど、でも盧子さんを守ることはできる」
「必要ない」
「僕が守りたいんだ」
一瞬、盧子の黒い瞳が揺れた。ような気がした。
「できれば、君とは対等な関係でいさせてもらいたいんだ。そうじゃないと頼れない」
深帰人の言葉に、「仕方ない」と盧子は了承の意を示した。
そこで深帰人は、不意に思った疑問を口にする。
「あのさ……一つ、訊いてもいいかな?」
「何?」
「その……僕らだって、敵同士になるかもしれないよね」
「……いつかは、そうかもね。でも、今じゃない」
「なんで、こんなに良くしてくれるの?」
深帰人のシンプルな問いに、盧子は一瞬押し黙る。
そして、顔を俯けながら盧子は言った。
「あなたには、助けてもらったから」
深帰人は、岸見理恵たちに盧子が水をかけられているところに止めに入ったときのことを思い出した。
「あんなの別に、助けたうちに入らないよ……」
無様な仲裁しかできなかった自分が、今でも恥ずかしい。
「それは、あなたが決めることじゃない」
そんな対話を経て、深帰人は今、電車のシートに揺られながら、スマートフォンを祈るように抱え、盧子に打つメールの文案を練っていた。
かれこれ二日間、盧子に送る最初のメール文を考えている。
学校でも会うし、話もできる。だが、あくまで堕天使関連のことについてだ。
深帰人はどうにかして、堕天使の話題以外でメールを盧子に送りたい、と思っていた。盧子の性格だ。有り体な友達メールでは、無視されることもあり得る。
せめて二往復くらいのやり取りを、などと淡い期待をしながら思案を始めると、答えのない問いに当たったときのように、深帰人の思考は袋小路へ突入してしまった。
電車が止まり、十数人の乗り降りがある。
その中に杖をついて、よろよろと歩く高齢の男性が見えた。
電車は混んでいないものの、席は埋まり、立っている乗客もちらほらといる。
深帰人には面と向かって、「どうぞ」と言える勇気はない。老人が座れるようにシートを空けるべく、席を立つだけに止める。
次の瞬間、老人を突き飛ばし、深帰人が空けたシートを埋めた者がいた。
驚いたことに、そこに座ったのは女子高生だ。
世間ではお嬢様高校と定評のある女子高の制服に身を包んでいる。
クールビューティと言えば聞こえは良さそうだが、どちらかと言うと、雪女という表現のほうがしっくり来そうな冷たい印象の少女だった。
さすがに深帰人も、老人に「大丈夫ですか?」と声をかけ、肩を貸して抱き起こす。それを見ていた会社員風の男性が、「こっちへ」と空けたシートへ誘導し、座らせた。
そこで再び、深帰人は少女のほうを見る。
目が合った。瞬間にわかった。
この人は堕天使だ。
なんとも言えない感覚だった。目が合った瞬間、今は出現していないはずの、堕天の輪から頭頂に向けて小さな雷を落とされたような感じを覚える。
盧子が深帰人を見たときに得た感覚も似たようなものだったのかもしれない。
深帰人を見据えた少女は、せっかく座った席から立ち上がり、歩み寄ってくる。
「ねえ、次の駅で降りて」
少女は深帰人にだけ聞こえる声で囁く。外見に違わぬ冷たい声だった。
「私は、cruel。ロストエレメントは『慈愛』よ」
深帰人は、「クルエル」の意味を想起する。「冷酷」だと思い至り、彼女が先ほど老人に対して取った態度に納得した。
クルエルの「アンタは?」という投げかけに、深帰人は「フィア」と返す。
「フィア……『恐怖』ね。ホント、見た目通り、弱そうだわ」
クルエルは冷笑を浮かべた。
深帰人たちは今、途中下車した駅から歩いて数十秒のところにある駐車場にいる。数台の車が停まってはいるが、人通りの気配がない場所だった。
「さあ、とっとと始めよ」
クルエルの言動と挙動には淀みがない。すでに戦闘を経験しているのか、あるいは、ナスティと同様に堕天の戦いに関する理解の早いタイプなのだろうと深帰人は推測した。
そこで深帰人は一つの可能性を思いつく。
「もしかして……岸見さんを倒したのは君なの?」
「は? 誰、岸見って?」
クルエルの問いかけを聞いて、岸見理恵がなんのエフェクトを受けているのか、自分も知らなかったことに思い当たる。
「えっと……うちの生徒の女子で、茶色いロングヘアの……」
「知らない。てゆーか、戦うの、あんたが初めてだし」
「え?」
「どうやったら同類と出会えんのかわかんなかったからね。でもまあ、こうやってお互いが認識できるなら、あとはタイミングの問題だわ」
深帰人はナスティの言葉を思い返し、クルエルは堕天使の感覚を隠す方法を知らないのだろう、と推測する。今さらだが、ナスティが持っていた情報を得るだけで、相当のアドバンテージを得ているのだ、と思い知る。
「目覚めてから、早いとこ誰かを倒してみたかったのよ」
自分が勝つこと前提か。そういう自信を、深帰人は羨ましいと思う。
クルエルは「翼身」と唱え、堕天使の姿を顕現させた。
翼の大きさはナスティと同じくらいで、一枚の翼で人間二人分くらいのサイズがある。盧子のように片翼ということもない。
色は白と黒、そしてグレーのまだらな柄だ。何より特徴的だったのは、その翼の中心に大きな穴が空いていることだった。向こう側が見通せるような穴ではない。穴の向こうには亜空間とでもいうような名状しがたい空間が見える。
「なんか、この穴のせいで、あんまり高くは飛べないんだけどさ……」
忌々しそうに言いながら、クルエルは宙へと浮き上がる。
「ただまあ、その代わりがコレなんだよね」
クルエルがそう言い終える前に、翼に空いた空間から竜巻のようなものが射出された。
深帰人は咄嗟に「翼身」と発する。
目の前に現れた光の盾が、竜巻を受け止める。強烈な衝撃に、深帰人の体は浮き上がる。
「ふうん、それがあんたの力なの」
クルエルの問い答える余裕はない。深帰人は左手に光の盾を構えながら、体勢を立て直す。この数日間で背中の両翼も少しは意思でコントロールできるようになっていた。だが、一気に遠くまで飛び去れるような力はない。良くて十数メートルを飛び回れる程度だ。
「これならどう?」
クルエルは再び、翼から竜巻を噴出させた。今度は一つではない。両翼から、二つ同時に繰り出された。
「シールド!」
深帰人は光の盾を二つに分け、竜巻を受け切った。
「何よ、結構、硬いわね、それ」
クルエルが深帰人の盾を見ながら口惜しそうに言った。だが、それとは裏腹に浮かべる表情は余裕めいている。
当然だ。深帰人は防戦一方で、クルエルは一度も攻撃を受けていない。
まるでクルエルは新しく手に入れた、銃の試し打ちをするかのように、次から次へと竜巻を放ってくる。深帰人は辛うじて凌いでいるものの、明らかに体力を絞り取られていた。
「そろそろ、決めたいわね」
何かを閃いた様子のクルエルが、片翼から竜巻を射出した。
だが……その竜巻は、的となる深帰人から大きく外れている。いったい何が? と思ったとき、その竜巻がブーメランのような軌道を描いて深帰人の背後から襲ってきた。
背の両翼を懸命に動かし、深帰人はそれをかわす。
深帰人を捉えられなかった竜巻は、まっすぐにクルエルのほうへ向かっていく。
「これで終わりかと思うじゃん?」
その竜巻は、冷笑を浮かべたクルエルの片方の翼にある穴へと吸い込まれた。
次の瞬間。
竜巻を吸い込んだほうとは反対の翼から、先ほどよりも大きく苛烈な竜巻が放出される。
襲いかかる大竜巻に対しても、深帰人はバカの一つ覚えのように光の盾で受けるしかない。経験はないが、ダンプカーに衝突されたような衝撃だった。
深帰人は大きく跳ね飛ばされる。
「へえ……」と感心したようにクルエルは深帰人を見下ろす。
深帰人は今の攻撃で地面に転がされた。しかし、光の盾は顕在だった。
「なんなの、その盾。絶対防御的な感じ?」
深帰人は「わかんないよ」と言いながら、やっとの思いで立ち上がる。
「別にいいけど」「どうせこっちは」「質より量で」「あとは時間の問題みたいだし」
クルエルがひと言発するたびに、竜巻が飛んでくる。
深帰人は光の盾でなんとか受けた。だが、いつまで続くかはわからない。光の盾がどれほどの強度と耐久性を持っているかは未知数だ。それよりも前に、深帰人の心が削られていく。意識が飛んでしまえば、光の盾だって消失するだろう。
「いい加減、帰りたいんだけど……」
冷たく言い放ったクルエルは、両翼から竜巻を放つ。だが、その二つの竜巻は、どちらも深帰人を大きく逸れていた。
放出した竜巻を再び翼に吸収して放つことで、さらに強力なものを放てるらしい。先ほどの攻撃でそれはわかっている。つまり、今度の攻撃はそれの二倍だ。
だが、深帰人にできることは一つしかない。
「もう死んで」
クルエルの両翼から、より強大な二つの竜巻が飛んでくる。
――絶闇。
どこかで呟く声が聞こえた。
同時に、深帰人の前に迫ってきた二つの竜巻は、一つの巨大すぎる闇に呑み込まれる。
「はああ?」
突然のことに、クルエルはそれまでにない驚きの表情を浮かべ、巨大な闇が放たれてきた方向を振り返る。
深帰人にはわかっていた。
情けないことは自覚している。だが、自分にできるたった一つのこと。
それは盧子の到着を待つことだった。
「なんなのよ、あんた?」
巨大な黒い剣を構えた盧子に、クルエルが怒鳴り声を浴びせる。
盧子は答えの代わり、と言わんばかりに、再び巨大な黒い斬撃を飛ばした。
舌打ちをかましたクルエルは、体を逸らすと片方の翼の穴に盧子の斬撃を吸い込んだ。
深帰人が目を丸くした瞬間には、もう一方の翼から黒い闇が盧子に放出されている。
盧子はそれに動じることなく、第二撃で相殺した。
どうやらクルエルの翼は、自分の攻撃だけでなく、相手の攻撃さえも吸収して跳ね返すことができるらしい。
「何? あんたら組んでるわけ? ずるくない?」
ナスティなら「知ったことか」と返すところだろう。深帰人は「ごめん」と謝った。
「そういうことなんだ」
深帰人はクルエルから「次の駅で降りろ」と言われ、後ろをついて行くあいだに、場所を盧子の携帯電話にメールしていた。記念すべき初メールの件名が、「堕天使遭遇」となったのは深帰人にとって残念なことだった。
「ごめん」
目の前に歩いてきた盧子に、深帰人は詫びた。
「何が?」
「迷惑かけて」
「一人で頑張って、勝手に負けられるほうが迷惑」
盧子らしい返答だと思った。まだ出会って十日も経っていないというのに、旧知のようなやり取りに深帰人は懐かしさすら覚える。
「相手の能力を教えて」
盧子はすでに斬撃を放つ体勢に入っている。
「翼に空いた空間から、竜巻みたいなものを飛ばしてくる。それに、どうやらこっちの攻撃もあの穴から吸収して跳ね返せるみたいだ」
盧子は「そう」と口にすると、持っていた巨剣を翼にして、背中へ収めた。
盧子の背中にある、漆黒の巨大な片翼は、いつ見ても壮観だ。
「どうしたの?」
「放出系の技は相性が悪い」
盧子の回答に深帰人は納得する。
「なんなのよ、そのバカでかい翼は。つーか、なんで肩羽?」
クルエルが突っ込むように声を挟んでくる。さっきまでの余裕が感じられない。
クルエルの言葉に答えることなく、盧子はロケットスタートを切っていた。
それまでずっと一定距離を保って攻撃を放っていたクルエルは、面食らったように「ちょっ、何?!」と声を上げる。
盧子の両手にはいつの間にか黒い長剣が握られていた。
一瞬で間合いを詰めた盧子は、間隙なく、左右の二連撃を繰り出す。
防衛本能か。クルエルは両翼を動かし、咄嗟に後ろに退いた。
盧子の双剣の切っ先が、クルエルの体をかすめる。
「痛っ! 何これ、超痛いんだけど!」
堕天使として、初めて攻撃を受けたのだろう。かすり傷程度の痛みに、クルエルは悲鳴を上げると同時に、苦し紛れのように翼から竜巻を放った。
「シールド!」
盧子の前で竜巻が弾ける。
光の盾が盧子を守っていた。
深帰人の光の盾は、数メートル離れた盧子の前に存在している。
これは検証済みだった。
深帰人の能力である光の盾は、自分を中心に半径十メートル程度の距離までの遠隔操作をすることが可能だった。距離が離れるほど、コントロールがしづらくなる感はあるが、そのあたりは慣れと訓練次第だろう、と深帰人は思う。
深帰人に攻撃の力はない。だが、これなら盧子の隣に立てる。役に立てる。
深帰人が唯一、盧子に対してできるのは、守ることなのだ。
「もう、なんなの!」「マジ、ムカつくんだけど!」「あんたら超ズルい!」
クルエルは悪態とともに、竜巻を乱発する。
それをすべて光の盾で防ぎ切ると、クルエルの姿は消えていた。
どうやら攻撃の乱発に乗じて、翼を使い逃避したらしい。
飛ぶことのできない盧子にも、飛ぶスピードの遅い深帰人にも追い駆ける術はなかった。
「ありがとう。来てくれて」
深帰人が礼を述べると、「別に」と答えながら盧子は翼身を解除する。
「ん?」
深帰人が翼身を解除したとき、視線を感じた。
深帰人が目を向けると、盧子ほどではないが、小柄な女子高生が遠巻きにこちらを見ている。間違いない。盧子と同じ翆玲高校の制服を着ていた。
目が合った瞬間、眼鏡をかけたボブカットの少女はその場から走り去る。
「深帰人」
「うん……」
盧子に呼ばれ、深帰人は頷いた。二人とも同じものを感じたのだろう。
「……彼女は、堕天使だ」
五人目の堕天使と戦った夜、深帰人たちは六人目を目撃したのだ。




