6:岸見理恵が堕天使であるかの考察、あるいは乱暴な確認
6:岸見理恵が堕天使であるかの考察、あるいは乱暴な確認
「おっはよ!」
もうすぐ翆玲高校の正門、というところで、思いっきり肩を叩かれた。
深帰人は、「いぎっ」と変な声を出して、振り返る。
クラスメートの柏木真理がニコニコしながら立っていた。その横で、同じくクラスメートの如月雅武が苦笑している。
「なんだ、真理と雅武か……おはよう。あんまり驚かさないでよ」
「ちょっと小突いただけじゃん。ホント、深帰人はビビりだね」
真理の軽口に、深帰人は返す言葉もない。
「珍しいな。いつもならもう、教室にいる時間だろうに」
雅武の感想には、「あー、うん……」と曖昧に返す。
昨日の夜からずっと不安でたまらなかった。自分がどこで他の堕天使と出くわすことを考えると、動悸が収まらない。その結果、深帰人にしては珍しく、一時間も寝坊してしまったのだ。それでも、そもそも起床時間が早すぎるので、登校には間に合う時間だった。
すでに学校には自分以外の堕天使が、二人いるのはわかっている。盧子はまだ大丈夫にしても、岸見理恵のほうは不確定要素が多すぎる。何より、学内に他にも堕天使がいない、とは限らない。それを考えるだけで肩に力が入ってしまう。
「顔色は昨日ほど悪くはないね。体調は大丈夫なのか?」
雅武の問いに、「ああ、お蔭さまで」と深帰人は上辺の微笑みを浮かべる。あれが覚醒の兆候であったことも、そのあとに起こった盧子やナスティとの戦いも話すことはできない。仮に話したとしても、真理に「どうしたの? 遅れて来た中二病?」とからかわれ、雅武に苦笑されるのがオチだろう。
「あ……」
不意に声を上げていた。
校門に差しかかる唯永盧子が見えたからだ。
「じゃあ、また教室で」
深帰人は慌てて真理と雅武に告げると、盧子に駆け寄った。
「おはよう」
「……」
どうやら自分の声が届いていないらしい。
「お! おふぁ、よう!」
声を張ろうとして、噛んでしまった。慣れないことはするものではない。
声が届いたらしい盧子が、振り返る。相変わらず死んだ魚のような瞳をしていた。
「……よう」
唇の動きが、おはよう、という形で動いていたが、深帰人に訊き取れたのは、終わりの二文字だけだ。昨日、あれだけの大立ち回りをした者とは思えない、覇気のなさだった。
「昨日はありがとう」
「お礼を言われることはしていない」
深帰人と盧子は昇降口でいったん別れ、上履きに履き替えて再び一緒に廊下を歩く。「一緒に」という表現は適切ではない。のろのろと緩慢に動く盧子に、一方的に深帰人が合わせる格好だ。
ニヤニヤしながらこちらを見る真理と雅武に追い越されていく。あとで追及されるだろうなあ、と軽い憂鬱を感じながら、深帰人は盧子に「あのさ……」と切り出す。
「何?」
「どうするの?」
「なんのこと?」
「岸見さんのこと」
盧子は言われるまで忘れていたかのように「ああ」と小さく頷いた。
「い、一緒にA組まで行っていいかな」
「その必要はない」
「なんで?」
「向こうから来た」
盧子の言葉に驚き、深帰人は前を見る。
確かに昨日、盧子をいじめていた三人組の女子が前方からこちらへ歩いてくる。
「岸見さんて、どの人?」
「真ん中」
三人組の中でリーダー格のように振る舞っている茶色いロングヘアの女子生徒だ。深帰人は昨日、すれ違いざまに肩をぶつけられている。
岸見理恵を中心とする三人組は、盧子の顔を見ると、露骨に陰口めいたことを呟き、深帰人にも冷笑を向けながら、二人の横を通り過ぎて行った。
唐突に「どう?」と盧子から訊かれた。
「どうって……?」深帰人は返答に困る。
「何も感じなかった?」
「え? わかんないよ。君は、何か感じたの?」
「何も感じない」
「は?」
深帰人は肩透かしを食らった。
「あなたを見たときは、感じるものがあった」
深帰人は「え……」と、盧子と校舎裏で会ったときのことを思い出す。
盧子は、「見たのね」と訊いてきた。あのときは「いじめの現場を見たのね」という意味で問われていたのだと思った。しかし、今の言葉を聞いて、あのときの台詞は「懐郷の夢を見て覚醒したのね」という意味を込めていたのかもしれない、と深帰人は思い直す。
それに盧子は、ナスティに「堕天使は互いを認識できるのか」と訊いていた。それは深帰人のことを見て、堕天使だとわかったからだろう。
深帰人が、どうしよう、と目で問いかける。
「昼休み……」と盧子が呟く。
「わたしが水をかけられていた校舎裏へ来て」
「少しあげようか?」
深帰人は弁当箱にある卵焼きを示した。自分だけまともな食事を摂るのが申し訳ない気がしたからだ。
盧子は「いらない」と答えて、パックの牛乳に刺さったストローを咥える。
深帰人は盧子に言われた通りの校舎裏へ来た。
昼休みゆえに昼食を持参したが、いたるところにゴミが落ちていて、食事に向いている場所とは思えない。そのせいか、今のところ深帰人と盧子以外に、この場へ来る者はいなかった。
「それで、岸見さんの話なんだけど……」と深帰人は語尾を曖昧に濁す。
「やっぱり彼女からは感じ取れなかった」
「教室にいるあいだ、岸見さんのことを見ていたけど、『堕天使だ』と感じる瞬間がなかったってことでいいのかな?」
盧子の言葉は省略され過ぎている。深帰人は理解が曖昧にならないよう、言葉を足して問い返す。間違っていれば盧子は容赦なく「違う」と切り捨てる。
「そう」
今回は合っていたようだ。
「じゃ、じゃあ……」
深帰人は今のところ、相手が名乗る前に堕天使であることを認識した経験がない。その感覚がわからない分を思考で補おうとした。授業の合間を縫って、ずっと考えていた。盧子が岸見理恵から、堕天使の感覚がしない仮説について。
「一番初めに考えられるのは、岸見さんが堕天使じゃなかった、という可能性だよね」
盧子は、続けて、とでも言うように小首を傾げる。
「彼女が堕天使かもしれない、というのを僕らが知ったのは、ナスティからの情報だった」
「それが嘘だった?」
「その可能性もなくはない。だけど、その前に、ナスティが持っていた人脈から集まってくる情報というのは、玉石混交だったんじゃないのかな。それをナスティが精査していくことで、僕や、他の何名かを見つけることができた。ただ、もちろん玉の情報もあれば、単なる石の情報もある」
「よくわからない」
「えっと……つまり、確かに岸見さんは昨日、覚醒のときに現れる身体症状に似た体調不良を起こしたけど、それは本当に、ただの体の不調だったのかもしれない。結果、ナスティの情報網に一次的に引っかかっただけだった、と」
これが深帰人にとって一番あって欲しい仮説だった。
盧子は無表情に、「次は?」と訊いてくる。どうやら一つ目は、納得を得たらしい。
「二つ目は、岸見さんが覚醒していることを隠す技量を持っている」
「ナスティと同じ、ということね」
実例がいたので、すんなり通った。だが、深帰人にとっては、あまり歓迎できない説でもある。いずれ岸見理恵と戦わねばならない可能性が出てくるからだ。
「あとの一つは、ちょっとややこしいんだけど……」と深帰人は前置きをする。
「岸見さんは覚醒した。でも、それから今日学校に来るまでに、堕天の輪を砕かれていた」
ナスティは覚醒直後の深帰人を狙ってきた。同様のケースがないとも言い切れない。
「何がややこしいの?」
盧子の問いに、深帰人は「だって……」と答える。
「もしそうなら、誰か他の堕天使が、岸見さんを倒した、ということじゃないか」
岸見理恵が堕天使でなくなったとして、別の堕天使が自分たちの近くにいる、という可能性を疑わなければならなくなる。それは、臆病な深帰人にとって胃の痛くなるような話だった。
「そんなの切りがない。これから先、何度だってある」
深帰人の心配は、身も蓋もない盧子の正論で切り捨てられた。
「フィア」
一瞬、考える素振りをした盧子が声を発した。
自分のことだという認識が遅れ、深帰人は「え?」と声を上げてしまう。
「一つ、頼みたい」
盧子の頼みごとは、難しいことではなかったが、深帰人にはそれなりにハードルが高いものだった。だが、盧子の考え――説明が面倒らしく教えてはもらえない――によると、それでなんらかの解決が図れるらしい。
深帰人は渋々だが了承した。
「それであの……僕からもお願いがあるんだけど……」
「何?」
「その……『フィア』って呼ぶの、止めてもらえないかな。どこで誰に聞かれてるかもわからないし……」
「なんて呼べばいい?」
「友達とかからは、深帰人って呼ばれてるから……」
「じゃあ、深帰人と呼ぶ。それでいい?」
「あ、うん……それで君は……なんて?」
もちろん学内で――いや、学外でも――「ホープレス」とは呼びづらかった。
「なんでもいい」
「えっと、他の人からはなんて呼ばれてるの」
「『おい』とか『ねえ』、あとは『お前』とか……」
あっさりとした物言いだが、その内容にショックを受けた。盧子の存在を軽視した呼び方であることだけはわかる。普段の盧子は、周囲からどんな風に扱われているのか心配になった。
深帰人にとって盧子は恩人だ。なんとか深帰彦は、その気持ちを呼び名に込めたかった。
「も、もし、嫌じゃなければ……『盧子さん』でいいかな?」
「じゃあ、それで」
盧子のあっさりとした了解で、お互いの呼び名が決まる。
そして、二人はある作戦を実行に移すために放課後を待つことになった。
「ねえ、ホントに山﨑がここに来いって言ったわけ? なんで?」
後ろを歩く岸見理が不服そうに声を上げる。
「さ、さあ……僕はたまたま先生に捕まって、指示されただけだから……」
放課後。一年A組に行った深帰人は、岸見理恵を呼び出し、盧子と示し合わせた校舎裏へと誘導している。今はまさにその最中だ。
自分の呼び出しはもちろんのこと、盧子が呼んでいる、といっても無視されると予想が出来た深帰人は、学内で最も怖い教師である「山﨑」という名前をダシに使って、なんとか岸見理恵を目的の場所へ近づけている。罪悪感で心が軋んでいた。
「ここって……って何、あんた?」
深帰人と一緒に止まった岸見理恵は、周囲を見回す。そこで、盧子が立っているが視界に入ったのだろう。
「何? 私のこと騙したわけ?」
威圧的に問うてくる岸見理恵に対し、「ごめんなさい」と謝ろうとしてしまう深帰人の声を、「わたしが頼んだ」という盧子の声が制した。
いったい何をやろうとしている?
深帰人がそう思った瞬間には、盧子は岸見理恵の懐へと飛び込んでいた。
「ちょっと! 何!」
驚き喚く理恵に構うことなく、スカートのウエスト部分を掴み、盧子は相撲の上手投げに似た要領で投げ倒していた。理恵は突っ伏すように、雑草の生えた地面に倒れる。
盧子の攻勢は続く。
理恵ともつれるようにして倒れた盧子はすぐに起き上がる。事態が呑み込めず、伏している理恵の背に馬乗りになると、彼女の後ろ髪を掻き分けた。
「あった」
盧子が声を上げたのに乗じて、深帰人もそこを覗き見る。
確かに、首の後ろには、小さく黒い星形の痣があった。
それは、ナスティの頭上にあった堕天の輪を破壊した際に、彼の首の後ろに浮き上がってきたものと同じだった。
盧子が確かめようとしたのは、これだ。
ナスティとの戦いで、敗者には烙印のような「★」マークの痣が、首の後ろに発生するのを深帰人たちは目撃している。
昼休みに深帰人が話した三つの可能性のうち、この「★」マークだけは、ただの人力で確認することができるだろう。そう考えた盧子は、岸見理恵を他人の目の届かない場所へ連れ出す役割を、深帰人に与えたのだ。
「いい加減、降りてよ!」
岸見理恵の悲鳴に似た声に、深帰人は我に返る。
星形の痣を確認して気が抜けていたらしい盧子は、そのまま理恵の背に乗っている。深帰人は慌てて、
「も、もういいでしょ」と盧子の脇を抱えて、理恵から引き放して立たせた。
「いったい、なんなのよ、もう……」
そう言って立つ岸見理恵は涙を流していた。女子グループの中心人物だが、別に腕力が強いというわけではなかったのだろう。突然の出来事にびっくりしてしまったに違いない。
「あんたら、こんなことしてただで済むと思ってんの?」
理恵が遠吠えのように問うてくる。
「そ、それは、こここ、こっちの台詞だよ」
売り言葉に買い言葉だった。だが、声を震わせながら、深帰人は今閃いた主張を述べる。
「き、岸見さんたちが、この前、盧子……唯永さんにやったことのほうが、よ、よ、よっぽどひどいんじゃないかな。今日のことを問題にするって言うなら、きっと困るのは岸見さんのほうだよ」
深帰人の言葉には一定の説得力があったようだ。理恵は悔しそうな顔をして押し黙る。
「ごめんなさい」
不意に盧子が謝りながら跪き、理恵の制服についた砂埃を払う。
「もうあんたらとは二度と関わんないから。絶対に私に話しかけてこないでよね!」
捨て台詞を吐いて、岸見理恵はその場から走り去った。
理恵が校舎の中に消え去るのを見て、これで盧子へのいじめはなくなるのかもしれない。結果論だが、それならば今回の行動は良かったのだろう。そう深帰人は思った。
「……誰かにやられてた」
盧子の声に、深帰人は自分が置かれていた状況を思い出す。今回の行動は、盧子のいじめを止めるのではなく、堕天使の存在の確認するために起こしたものだった。
岸見理恵は堕天使だった。それはすでに過去形で、もう彼女に翼身化する力はない。
これで深帰人たちは、四名の堕天使の存在を明らかにしたことになる。
自分たち二人とナスティ、そして、岸見理恵。だが……
「いったい岸見さんは誰に……?」
堕天の力を奪うことができるのは、同じ堕天の力を持つ者だけだ。
つまり、深帰人たちの近くに、自分たちの知らない五人目が存在することになる。
ここから先の手がかりはない。盧子には「切りがない」と言われてしまったが、深帰人にとっては胃がきりきりと痛む状況だった。
「感心しないな」
唐突に、涼やかな風のような少年の声が響く。
声のほうを振り返ると、立っていたのは、深帰人の幼馴染で、翆玲高校の生徒会長でもある鎌成爽太だった。
「爽太兄……」
「二人で、一人の女子をいじめているように見えたけど」
爽太の言葉が、深帰彦の心に突き刺さる。
確かに言われてみれば、そう捉えられなくもない。
「ち、違うんだ……爽太兄。実は……」
深帰彦は先ほど理恵に語ったのと同じような説明をする。
盧子が、岸見理恵たちのグループにいじめられていた。深帰人はその現場を目撃し、なんとか止めさせたいと思い、リーダー格である理恵と盧子の直接対話の場を用意した。結果的に盧子が怒りに任せた行動にでてしまったが、理恵はそうされても仕方がないくらいの仕打ちを盧子にしていたのだ、と。
急造の割には、なんとか筋の通る理屈にできたように思えた。
それを聞いた爽太は「なるほど……」と考える仕草をする。
「いろんな防止策を張っているつもりだけど、すべてを防ぎきれるものではないね」
すると爽太はいきなり、盧子に向かって深々と頭を下げ「すまなかった」と言った。
完璧超人の爽太が、人に頭を下げる姿を、深帰人は初めて見た気がする。
「この学校の生徒を代表して謝る。今回の件は、生徒会長である僕の力不足だ」
「爽太兄、そんな……」
爽太の発言は、まるで学校運営の全責任を負っている者のような言い方だった。確かに爽太が生徒会長になって、学校の雰囲気や運営は、より良く、過ごしやすくなった、というのが学内全般の評判だ。だからといって、いじめ行為の一つを防げなかったことに対して、責任を感じるのは、背負いすぎではないか、と深帰彦は思う。
「どうでもいい」
爽太の誠意ある謝罪に対する、盧子の答えはあまりにも投げやりだった。
「どこに行くの?」
歩き去ろうとする盧子に深帰人が問う。
「教室。帰るのに鞄が必要」
盧子は、生徒会長が頭を下げているという状況になんら思うところはなく、どうやらもう帰る気でいるらしい。盧子らしいと言えば、そうなのかもしれないが、二人のあいだに立っている深帰人としては、複雑な葛藤がある。
盧子はその後、こちらに一瞥もくれることなく、校舎内へ姿を消した。
「深帰人」
「え?」
頭を上げた爽太に呼ばれ、深帰人はあれこれ盧子のフォローをしなくては、と考える。
「彼女の名前を教えてほしい」
「え? ……と、唯永さん」
「下の名前は?」
そう問われて一瞬、深帰人の心にチクリとするものがあった。今、盧子のことを名前で呼んでいるのは自分だけだ。教えてしまったら、「自分だけ」ではなくなるのかもしれない。そんな浅はかな気持ちがあることに気づく。
「……盧子。唯永盧子さん」
「タダナガヒトミコ……」
「うん」
「彼女、なんというか、素敵な目をしているね」
爽太がポロッと洩らした言葉に、深帰人は衝撃を受ける。深帰人から――他の者たちからも――見れば、希望を失った、死んだ魚のような目が、爽太には「素敵」に見えたのだという。
個人の感性をとやかく言うつもりはない。
だが、盧子のことを褒める爽太の存在が、今の深帰人にとって、不安の種を植え付ける。その種は、すぐにでも発芽し、深帰人の心を取り囲む蔓のように成長していった。
いつの間にか、堕天使のことよりも、盧子に対する爽太の関心のほうが気になっていた。
拙い物語をお読みいただき、ありがとうございました。
もしよろしければ、応援いただけますと幸いです。
少しでも価値を感じていただけたら、
リアクションをいただけると、
続きを書くモチベーションになります。
どうぞよろしくお願いいたします。




