2:唯永盧子
2:唯永盧子
一瞬、寒気を感じた深帰人は身震いし、箒を動かす手を止めた。
「どうした? 大丈夫か?」
放課後の教室で、塵取りを構えていた如月雅武が訊いてくる。
「今日、ずっと、調子悪そうじゃない? 本当に保健室行かなくて平気?」
近くで同じように箒を操っていた柏木真理も歩み寄ってくる。
「あ……うん。もう大丈夫、ちょっと寒気がしただけだから」
「風邪の引き始めかもしれないぜ。早く終わらせて帰ろう」
深帰人の苦笑に、雅武が労いを返す。真理は「賛成!」と声を上げた。
「ありがとう。じゃ、じゃあ僕は、ゴミを出してくるよ」
雅武が「俺が行くから休んでろよ」と気遣ってくれるのを、「少し外の風に当たりたいんだ」と深帰人は受け流す。教室内のゴミ箱から袋を取り出し、その口を結ぶと、所属する一年C組の教室から出た。
「深帰人」
廊下を歩いている最中に、声をかけられた。
「爽太兄……」
爽やかさを絵に描いたような少年がいる。
深帰人の家の隣に住む、三年生の鎌成爽太だった。
鎌成爽太は長身で細身だが筋肉質な肉体、さらにアイドル顔負けのルックスをしている。スポーツも勉強も優秀で、欠点を探すのが難しい完璧超人だ。生徒や教師からの人望も厚く、当然のように、深帰人たちが通う翆玲高校の生徒会長のポストに収まっている。
普通に考えれば、深帰人のようなモブキャラがお近づきになれる存在ではない。
だが、家が近所ということと、爽太の分け隔てなく人と接する人徳が相まって、幼い頃からずっと仲良くしてもらっている。
「……それで、なんらかの答えは出たのか?」
答えと問われて、思い浮かぶようなものが深帰人の頭にはない。
「ほら、今朝言っていた夢の話だよ」
「ああ……」
今朝、生徒会の所用で早くに登校したらしい爽太と出くわした。そのとき深帰人は、不思議な夢を見た、と話していたのだ。
爽太はいつでも、深帰人のバカげた話もちゃんと聞いてくれる。
「ううん。別に何も。たぶん、いつも悪い夢ばっかり見ている僕に、神様がちょっとしたご褒美をくれたのかもしれない」
「ハハハ、そういうのもあるかもしれないね。僕もちょっと考えてみたんだけどさ」
爽太はそう前置きして、「深帰人の前世の記憶だったりしてね」と言った。
「前世?」
「そう。深帰人にはその場所に行った記憶はない。だとしたら、記憶が作られるよりも幼いときに行った
場所かもしれない。だけど、そこに言いようのない懐郷の念を感じたのなら、それは深帰人の魂に刻まれた記憶なのかもしれないってね」
「カイキョウ……?」
「故郷を懐かしむ気持ちさ。しかも、深帰人の前世の故郷ね」
深帰人は唐突な解釈に、何も言葉を返せなかった。
「まあ、前世なんてあるのかどうかもわからないけどさ」
爽太が苦笑したときに、遠くのほうから「鎌成! ちょっといいか?」という声が聞こ
えた。教室のほうから顔を出した教師が、爽太に手招きしている。
「お呼びがかかった」と笑った爽太は、「じゃあ」と手を振った。
自分が見たしょうもない夢について、真面目に解釈をしてくれた爽太に礼を述べ、深帰人はゴミの集積所へと歩き出す。
女子たちの笑い声が聞こえたのは、深帰人がゴミの集積所に、袋を置いたときだった。
印象からして、嘲笑と呼べるような声だ。
なんとなく気になり、声の発生源である校舎裏のほうへ回る。
目の前の光景に、深帰人は息を呑んだ。
一人の少女が、校舎の壁を背にして、座り込んでいる。
自らの意思ではなく、なんらかの強制力によって、転ばされた結果のように見えた。制服を着ているのだから、同じ学校の生徒なのだろう、と推測はつく。
地べたに尻餅をついている少女は小柄で細身だった。
それを見下ろすように、同じ制服を着た三名の少女が笑っていた。深帰人が聞いた嘲笑が、この三人ものだというのは、すぐにわかった。
「さーて、じゃあ、お次は……」
三人のうちの一人が、地面に置いてあるバケツを手に取った。水が入っているバケツは、女子の腕力では重そうで、他の二人がそのバケツを持ち上げるのを手伝っている。
「「「バッシャーン!」」」
女子たちの掛け声とともに、勢いよくバケツがひっくり返された。
地べたにいる少女が水浸しになる。その水がけして綺麗なものではないのは、遠目からでもわかった。三人の女子たちは、まるでくだらないコントを見ているかのように、腹を抱えて笑い声を上げる。
ブレザーを着ておらず、ワイシャツにスカート姿だった当の女子生徒は、下着が透けているのに、恥じらいを見せるどころか、石のように動かない。
そんな少女の無表情が、癇に障ったのだろう。三人はポケットからスマートフォンを取り出し、「これ、男子の奴らにばら撒いてやろ」「需要ないかもね」「いや、こういうのヲタ共には、いいネタなんだって」とか言いながら、下着の透けた彼女にカメラモードになったスマートフォンを向けようとした。
さすがにまずい。
校舎の陰に隠れていた深帰人は、そう思いながらも、一歩を踏み出せずにいた。
足が石のように動かない。教室に戻って雅武たちを呼んでくるか? そんなことをしたら間に合わない。いや、もっとエスカレートしているかもしれない。
なんでいつも自分はこうなのだ。
深帰人は、自分の弱さを呪う。困った人や助けが必要そうな人を見かけても、即座に動くことができない。勇気よりも怖さが先に立ってしまう。変わらなければ、という思いはずっと持っていた。しかし、そう思ってからの十数年、いまだに深帰人はこの有様だ。
一瞬。
ほんのわずかな瞬間だったが、座り込んでいる少女と目が合ったような気がした。その双眸に光は宿っていなない。すべてを諦めているような、死んだ魚のような目をしていた。
「……め……ろ」
やめろ。そう言いたかったのだが、うまく音声にならない。
嘲笑とも嬌声ともつかない声を上げていた女子生徒三人がこちらを向く。
「誰? あんた?」
それが、自分に向けられた言葉だとわかったとき、深帰人は、校舎の陰から自分が出ていることに気づいた。
足が小刻みに震えている。震えを止めようと思っても、止められない。
何か言葉を発しなくては、と無理矢理口を動かす。
「こ……こんなこと、して、良いと思って……お思いなんですか? 先生が、き、来たら……そち、そちらも、ただでは、済まない……のでは、ないでしょうか」
三人のうちの二人が、「ああん?」「何言ってんだかよくわかんないんだけど」と、深帰人に蔑みの目線を投げる。
「そろそろ飽きたし、カラオケにでも行こうか」
リーダー格に見える女子生徒が気怠そうに言うと、他の二人を引き連れて深帰人の前を通り過ぎて行く。すれ違いざまにわざと肩をぶつけられた。
深帰人は三人の女子がいなくなったのに安心すると、水をかけられて座り込んだままの女子生徒に駆け寄る。持っていたハンカチを取り出し、「だ、大丈夫?」と跪いて、濡れたショートの黒髪に当てた。濡れた体に触れる勇気はなく、透けた下着から目をそむけるのに必死だ。
女子は「……もう平気」と、深帰人の手を静かに払いのけ、ゆっくりと立ち上がる。
「あの……」
深帰人は口を開こうとして、言葉に詰まる。少女がずっとこちらを見ていたからだった。なんの光も宿っていないような瞳に、深帰人の姿が像を結んでいた。
「……見たのね?」
「え?」
深帰人は、少女の言葉の意味が即座に理解できなかった。
反芻して、「見たのね?」と訊かれているのだとわかり、それがいじめのシーンを目撃したことを訊かれているのだと察した。
「あ、いや……ごめん、なさい。すぐに止めに入れなくて」
深帰人が頭を下げる。しかし、女子生徒からの返答はない。
顔を上げると、歩き去ろうとする女子の後ろ姿があった。
「あ……あの……!」
深帰人は思わず、呼び止めていた。無視されることも覚悟したが、少女はゆっくりとこちらを振り返る。
「ぼ、僕は悠木……一年C組の、悠木深帰人です」
少女は小さく頷いた。まるで、知ってるけど、だから? と返されているような気分だ。
「君……あなたの、名前は?」
「盧子」
「は?」
耳慣れない言葉に、思わず問い返してしまう。
「唯永盧子。一年A組」
それだけ言い残すと、唯永盧子と名乗る少女は再び、背を向けて歩き出した。この一週間分くらいの勇気を前借したような感覚に陥った深帰人は、これ以上、盧子に声をかけることができなかった。
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