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竜医師ジルドの見届ける先  作者: メル=シフォン


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第5章 未治療という判断

それは、依頼としては曖昧なものだった。


麓の村から届いたのは、

「竜に似た、鱗の形が違う生き物が動けなくなっている」という走り書きの文書。

怪我の有無も、契約の有無も分からない。


ジルドは、その紙切れを見つめてから、そっと畳んだ。


「……行ってくる」


中庭に向けてそう告げると、緑の竜の黄金の眼が、ぎょろりとこちらを向いた。


「今回は、私も行く」


「観察者として?」


「その枠を超えて、だ」


理由は語られない。

だが、ジルドは拒まなかった。


森を抜け、岩場を越えた先。

崩れた古い神殿の跡に、それはいた。


竜ではない。


だが、翼を持ち、魔力を宿し、人と契約して共にある生き物。

かつては“竜に準じる存在”として扱われていた。


――剥竜。



横たわる身体に、致命的な外傷はない。

呼吸もある。

魔力反応も、極端には乱れていない。


それでも、立ち上がれない。


「……これ、診たことがある」


ジルドの声が、わずかに低くなる。


緑の竜は、数歩距離を保ったまま、じっと見下ろしていた。


「記録か」


「師匠の……整理してない資料に」


翼の付け根。

心臓と魔力核の中間。

そこに、僅かな“空白”がある。


生まれつきの欠損ではない。

損傷でもない。


調整され、止められた痕。


ジルドは、喉が乾くのを感じた。


「治療、できる」


思わず口に出た言葉だった。


「魔力を流し直せば、動けるようになる。

 時間はかかるけど、完治も……」


「やめろ」


緑の竜の声が、低く響いた。


否定ではない。

警告に近い。


「それを“治療”と呼ぶなら、あの男もできた」


ジルドは、動きを止める。


「……じゃあ師匠は」


「治さなかった」


鋭い口調で答える。


竜は一歩、近づく。

巨大な影が、剥竜を覆う。


「これは“壊れた”のではない。

 壊れきる前に、止められた」


はっと息を呑む。


「限界を超えれば、暴走する。

 暴走すれば、討伐対象になる」


竜の声は淡々としている。

だが、その奥に、長い時間が沈んでいた。


「だから、あの男は“治し切らなかった”。

 動けなくすることで、生き延びさせた」


ジルドの指が、わずかに震える。


「……それは、医療なのか?」


「分からん」


緑の竜は否定しない。


「だから私は、観察者になった」


沈黙が落ちる。

剥竜が、微かに尾を動かした。


生きている。

だが、もう以前の姿には戻れない。


深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「……俺なら」


言葉を探しながら、続ける。


「暴走しないように調整して、

 それでも、少しずつ動ける余地を残したい」


竜の黄金の眼が、鋭く光る。


「それは、“あの男の先”だ」


「同じじゃ、だめだと思った」


正直な言葉だった。


しばらくして、最低限の処置を終えたあと。

完全な回復ではない。

だが、呼吸は楽になり、魔力の詰まりも緩和されている。



帰り道、竜は何も語らなかった。


塔に戻り、中庭に落ち着いてから、ようやく口を開く。


「未治療とは」


竜は、空を見上げたまま言った。


「“諦め”ではない」


ジルドは、黙って聞く。


「未来を閉じないための、停止だ」


それは、治療の否定ではない。

時間を残す行為だ。


「動けなくなった存在は、戦場に戻されない。

 だが、生きていれば、次の選択肢が生まれる」


ジルドは、師匠の資料を思い出していた。


――治るが、戻らない。

――だが、終わりでもない。


「師匠は……」


「お前に、続きを任せた」


竜の視線が、初めて真正面からジルドを捉える。


「治すか、止めるか、待つか。

 その選択を、お前自身の意思で下すために」


未治療は、欠落ではない。

引き継がれる判断の余白だった。


ジルドは、ゆっくりと拳を握る。


半人前の竜医師と、観察者の緑の竜。

その関係は、少しずつ変わり始めていた。


なんとなく緑の竜の、呼吸の「間」が少し変わった気がする。

観察は続く。

だがそれは、もう“遠くから見る”だけではない。


師匠が残した未治療は、

今、確かに次の手に渡った。


――選択を誤れば、命を奪う余白として。

――選び続ければ、未来を繋ぐ余白として。


その重さを知った上で、

ジルドは初めて“後継者”になりつつあった。

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