第91話「MDの到着」
12月8日 月曜日 午前10時。
ピンポーン――
インターホンが鳴った。
凛はドアを開けた。配達員が立っている。いつもの無表情。
「佐々木様ですね」
「はい」
「こちら、お届けものです」
小さな封筒。凛はそれを受け取った。
「ありがとうございました」
配達員が去る。凛は封筒を見つめた。
marie_1985。またこの名前。
中には――MD。美咲の日記。14歳の少女の最後の記録。
部屋に戻る。美波が待っていた。彼女は週末ずっと作業していた。逆位相音の強化。すべての周波数に対応するために。
「届いた?」美波が聞いた。目が充血している。徹夜したのだろう。
「うん。でも美波、ちゃんと寝た?」
「少しは」美波が微笑んだ。でも嘘だとすぐ分かる。
「無理しないで」
「大丈夫。それより、これ見て」美波がノートパソコンの画面を見せた。
複雑なグラフ。無数の波形が重なり合っている。
「逆位相音を強化した。73Hzの倍音と約数、合計15の周波数に対応できるようにした」
「すごい……」凛が感嘆した。
「でも」美波が続けた。「完璧じゃない。柳沢正臣の技術は想像以上に複雑。多分、もっと多くの周波数が隠れてる」
「それでも」凛が言った。「前よりは効くでしょ?」
「うん。多分」
凛は封筒を開けた。中からMDが出てきた。
小さな四角いディスク。透明なケース。ラベルには手書きで「美咲の日記 - 1999.11-12」と書かれていた。
文字は子供っぽい。丸っこい。でも震えている。
「MDプレーヤー、ある?」凛が聞いた。
「実家から借りてきた」美波がテーブルの上を指差した。
そこにはSONY製のMDプレーヤー。1990年代後半の機種。シルバーのボディ。
「準備する?」美波が聞いた。
凛は迷った。昨日の疲れがまだ残っている。頭痛も完全には消えていない。
でも時間がない。明日は12月9日。8mmフィルムが届く予定日。その次はフロッピーディスク。
5つ揃えるまで――あと少し。
「うん」凛が決めた。「でも今度は慎重に。少しずつ聞く。何かあったらすぐ止める」
美波は頷いた。「分かった。逆位相音も最大出力で流す」
二人は準備を始めた。MDプレーヤー、スピーカー、ノートパソコン、録音用マイク。すべてをセッティングする。
「心拍数、測っておこう」美波が言った。
凛は手首に指を当てた。
ドクン…ドクン…ドクン…
15秒で20回。1分で80回。
「80……」凛が報告した。「昨日と変わってない……」
「よし」美波が頷いた。「じゃあ始めよう」
凛はMDをプレーヤーに挿入した。「シュッ」という音。ディスクが収まる音。
再生ボタンに指を置く。
深呼吸。
「行くよ」
凛がボタンを押した。
ディスクが回転を始めた。「ウィーン」という高速回転の音。
数秒後――音が流れてきた。
少女の声。
「11月1日。今日から日記をつけることにした」
美咲の声。14歳の少女。でもその声はどこか悲しげだった。
「お母さんが言ってた。記録しなさいって。あなたの人生を。あなたの思い出を。すべてを記録しなさいって」
凛と美波は息を詰めて聞いた。
美咲の声は落ち着いていた。でもその奥に恐怖が隠れていた。
「私は白血病。末期。余命は2ヶ月」
「お母さんはもういない。1年前に死んだ。いや、死んだというより記録された。お父さんの実験で」
「そして次は私の番」
凛の目から涙が溢れた。14歳の少女。死を目前にして。一人で。
「11月5日。今日、お父さんと話した。記録について」
「お父さんは言った。『美咲、お前は永遠になれる。死なない。お母さんと一緒にいられる』」
「でも私は怖い。本当に私のままいられるの? それとも何か別のものになってしまうの?」
美咲の声が震え始めた。泣いている。14歳の少女が一人で。
「11月10日。学校に行けなくなった。身体がもう動かない。ベッドでずっと横になってる」
「窓から空が見える。青い空。白い雲。私はもうあの空の下を歩けない」
凛は声を上げて泣いていた。美咲の悲しみ。美咲の恐怖。それが凛の心に直接流れ込んでくる。




