表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ムネモシュネの箱 ― 73Hzの永遠 ―  作者: 大西さん
第四章「カセットテープの記録」
91/130

第90話「不完全な記録」

凛は涙を拭いた。手の甲で目元を拭う。


「真理子……」呟く。「不完全な状態で閉じ込められた……」


「生きているとも死んでいるとも言えない……」美波が繰り返した。「それって……」


二人は顔を見合わせた。


真理子は死んだのか。それとも生きているのか。記録の中に存在し続けているのか。


「心拍数、測ってみて」美波が言った。


凛は手首に指を当てた。


ドクン…ドクン…ドクン…


まだ速い。落ち着いていない。


15秒で20回。1分で80回。


「80……変わってない……」


「良かった」美波が安堵のため息をついた。「これ以上上がらなかった」


でも彼女の表情は晴れなかった。眉間に深い皺が刻まれている。


「凛、少し休もう。今日はもう十分だよ」


「ううん」凛が首を振った。「大丈夫。それより、次のこと考えよう」


美波はノートパソコンを開いた。フリマアプリを表示する。


「次は……MD」美波が画面を見ながら言った。「『美咲の日記』」


「美咲……」凛が呟いた。


marie_1985の出品リスト。そこには新しい出品が並んでいる。


「美咲の日記 - MD - 500円」


説明文:「1999年11月から12月の日記。14歳の少女の最後の記録」


凛はその文字を見つめた。14歳の少女の最後の記録。


「買う?」美波が聞いた。


凛は迷った。真理子のカセットテープであれだけ影響を受けた。心拍数が68から80に上がった。


美咲のMDを聞いたら――もっと上がるかもしれない。


でも5つ集めないと上書き消去できない。元に戻れない。


「買おう」凛が決めた。


「でも今日は見ない。明日にしよう。今日はもう疲れた」


美波は頷いた。「そうだね。無理しちゃダメ」


凛は購入ボタンを押した。「ピッ」という音。


「注文が確定しました」


発送予定日:本日到着予定日:12月8日(月)


あと2日。


「その前に」美波が言った。「逆位相音をもっと強化しないと。すべての周波数に対応できるように」


「できる?」


「時間はかかるけど……やってみる」美波が画面に向かった。「73Hzの倍音と約数、すべてをリストアップして、それぞれに対応する逆位相音を生成する」


「カタカタカタ」とキーボードを叩く音。美波が集中している。


凛は窓の外を見た。空は相変わらず灰色。雨が降りそうな空。


時計を見る。午後2時。


長い一日だった。でもまだ半分。


凛は立ち上がった。「コーヒー淹れるね」


「ありがとう」美波が答えた。画面から目を離さずに。


キッチンに向かう。お湯を沸かす。「ゴー」という音。コーヒー豆を挽く。「ガリガリ」という音。


日常の音。生きている音。


でも頭の中ではまだ真理子の悲鳴が響いている。「痛い! 痛い!」という叫び。


そして正臣の絶望的な声。「真理子! 待ってくれ!」


不完全な記録。生と死の間に閉じ込められた意識。


それが真理子の運命だった。


そして美咲も――同じ運命を辿ったのか。


いや、美咲は「完全」だった。フロッピーディスクの被験者リストに「完全」と書かれていた。


ということは――美咲は完全に記録された。


でもそれは本当に幸せなことなのか。


永遠になることは。個を失うことは。


コーヒーが淹れ上がった。香ばしい香り。生きている香り。


二つのカップに注ぐ。美波に渡す。


「ありがとう」


二人でコーヒーを飲む。温かい。苦い。でも美味しい。


味がする。ちゃんと味がする。


逆位相音のおかげ。美波のおかげ。


「美波」凛が言った。「本当にありがとう。あなたがいなかったら、私もう……」


「言わないで」美波が遮った。「私たち、友達でしょ。最後までやり遂げよう。一緒に」


凛は頷いた。涙が出そうになった。


でも今は泣かない。前に進まなければ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ