第75話「進行する侵食」
凛は怖くなった。全身に鳥肌が立つ。
逆位相音があれば大丈夫だと思っていた。
でも、まだ進行している。ゆっくりと。確実に。
「美波」
凛が震える声で言った。
「私、このまま記録されちゃうの?」
美波はしばらく黙っていた。数秒間の沈黙。
そして言った。
「分からない。でも、まだ諦めない」
彼女はノートパソコンを見た。
「逆位相音をもっと強化する。周波数を微調整する。必ず止める」
美波はすぐに作業を始めた。音響解析ソフトを起動する。
凛の脳波パターンを再分析する。そして新しい逆位相音を生成する。
午前1時。午前2時。午前3時。
美波はずっと作業を続けた。画面の光が彼女の顔を照らしている。
凛はその隣でぼんやりと座っていた。
頭の中ではまだ声が聞こえる。
「凛……こっちに来て……お父さんが待ってるわよ……」
凛は耳を塞いだ。でも聞こえる。内側から。脳の奥底から。
「できた」
美波が言った。
「新しい逆位相音。これを試してみよう」
凛は頷いた。
美波が再生ボタンを押す。「カチッ」という音。
スピーカーから音が流れる。人間の耳にはほとんど聞こえない。
でも確かにそこにある。空気の振動として。
凛はじっと耳を澄ました。
頭の中の声。少しずつ小さくなっていく。
「凛……」 「来て……」 「……」
声が消えた。完全に消えた。
「効いてる……」
凛が呟いた。
「本当に?」
「うん。声が消えた」
美波が安堵のため息をついた。
「良かった……心拍数も測ってみて」
凛は再び脈を測った。
ドクン…ドクン…ドクン…
15秒で17回。1分で68回。
「68……」
凛が言った。
「戻った……」
美波が微笑んだ。でもすぐに顔が曇った。
「良かった。でも、これは一時的かもしれない。記録の影響は時間と共に強くなる。だから早く5つのメディアを集めて、根本的な解決を見つけないと」
凛は頷いた。
「フロッピーディスク、明後日届く。それまで待とう」




