第68話「大学院での一日」
午前10時。
凛と美波は大学に向かった。
凛は大学院生。修士課程1年。専攻は心理学。特に記憶と意識の研究。
皮肉なことに、今自分が直面している問題と同じテーマだった。
研究室に着く。ドアを開ける。
「おはよう、佐々木さん」
指導教官の山本教授が声をかけた。60代の女性。記憶研究の第一人者。白髪混じりの髪を後ろでまとめている。
「おはようございます」
凛が頭を下げる。
「最近様子が変だったけど、今日は元気そうね」
「はい、少し体調を崩してましたが、もう大丈夫です」
山本教授は凛をじっと見て、そして頷いた。
「そう。良かった。ところで、研究進んでる?」
凛の研究テーマは「記憶の転写可能性について」。
まさに――柳沢正臣の研究と同じ。
でも凛は、それを知らずにこのテーマを選んでいた。
運命? それとも、何か別の力?
「はい。文献調査を進めています」
「そう」
山本教授が言った。
「実は、面白い論文を見つけたの。あなたの研究に関係あるかも」
教授は一枚のコピーを渡した。
凛はそれを受け取った。手に取る。ザラザラした紙の感触。
タイトルを見る。
『音響パターンによる意識情報の記録と転写の可能性』
著者:柳沢正臣
1997年発表。
凛の手が震えた。紙がかすかに揺れる。
「これ……」
「知ってる?」
山本教授が不思議そうに見る。
「いえ……」
凛は嘘をついた。
「初めて見ます」
「そう。この論文はね、学会で完全に否定されたの。疑似科学だって。でも、理論自体は面白い。読んでみるといいわ」
「ありがとうございます」
凛はその論文を握りしめた。
父が研究していた、あの理論。その元になった論文。
これを読めば、もっと詳しく理解できるかもしれない。




