第59話「隆のその後」
「あなたのお父さんは――」
母が言った。その声は遠くを見つめるような響きがあった。
「実験の後、5年間意識不明だった」
「5年……?」
「そう。1999年から2005年まで。ずっと病院で眠り続けていた」
凛は計算した。2005年。凛が生まれた年。
「でも――」
母が続けた。
「2005年6月、あなたが生まれた日に、突然目を覚ましたの」
凛の心臓が止まりそうになった。
「私が生まれた日に?」
「そう。不思議でしょう。まるで――あなたの誕生を待っていたかのように」
母の声が柔らかくなる。
「そして、最初に言った言葉が『凛』だったの」
凛の目から涙が溢れた。止められない。
父は知っていた。記録された状態でも、娘の誕生を感じていた。そして、名前を呼んだ。
「でもお父さん――」
凛が聞いた。鼻声になっている。
「私に会いに来なかったよね」
「来られなかったの」
母が悲しそうに言った。
「彼は――もう元の隆じゃなかった。記録の影響で人格が変わっていた」
母が言葉を選ぶ。
「時々、隆じゃない誰かが話しかけてくるの。柳沢正臣や、他の被験者たちの意識が混ざっていた」
凛の背筋が凍った。
「だから、彼は決めたの。あなたに会わないって。影響を与えたくないって。普通の子として育ってほしいって」
凛は声を上げて泣いた。両手で顔を覆う。
父は娘を愛していた。だから会わなかった。守るために距離を置いた。
「そして――」
母が続けた。
「2015年、あなたが10歳の時、彼はまた失踪した。最後に一通の手紙を残して」
「手紙……?」
「そう。あなたに宛てた手紙。私、それ持ってる。でも、まだ渡してなかった」
母が深呼吸する音が聞こえた。
「今、渡すべき時が来たのかもしれない」




