第55話「解析の開始」
二人はしばらく黙っていた。
窓の外では、冬の午後の光が斜めに差し込んでいる。時刻は午後3時を回っていた。
そして――美波が口を開いた。
「凛」
「うん?」
「これから私がやること、聞いてくれる?」
「何?」
美波がノートパソコンを開いた。画面が明るくなる。
「さっき録音した音声データ。これを詳しく解析する。73Hzの信号の構造を調べる。そして――それを打ち消す方法を見つける」
「打ち消す……?」
「うん」
美波が説明し始めた。専門家の顔になる。
「ノイズキャンセリングって知ってる?」
「ああ、イヤホンの」
「そう。逆位相の音波を出すことで元の音を打ち消す技術。それを応用する」
美波が画面に波形を表示させる。鋭いピークが立っている。
「73Hzと逆位相の音を作れば、理論上は影響を防げる」
凛の目が輝いた。
「本当に?」
「たぶん」
美波が少し自信なさそうに言った。
「理論的には可能。でも、実際に効くかどうかは、やってみないと分からない」
「それでも――」
凛が言った。
「やってみよう。何もしないよりずっといい」
美波が頷いた。
「じゃあ始める。時間かかるかもしれないけど」
「大丈夫。私も手伝う」
「ありがとう」
美波は音響解析ソフトを起動した。プロ用の高度なソフトウェア。
周波数スペクトラムが表示される。
そこには鋭いピーク。73Hz。
そして、その倍音。146Hz、219Hz、292Hz、365Hz、438Hz……
すべて73の整数倍。完璧な倍音列。
「すごい……」
美波が呟いた。
「こんなに完璧な倍音列、自然界には存在しない。人工的に作られたものだ」
彼女はさらに詳しく解析していく。
位相。振幅。周波数の揺らぎ。
すべてを数値化していく。マウスが動き、キーボードがカタカタと音を立てる。
凛はその作業を黙って見守っていた。
美波の集中した横顔。真剣な目。動き続ける指。
この人は本当に助けようとしてくれている。凛のために。命を懸けて。
「ありがとう、美波」
凛が呟いた。
美波はちらりと凛を見て微笑んだ。
「当たり前でしょ。友達だもん」
友達。
その言葉が凛の胸に温かく響いた。
美月を失ってから、ずっと一人だった。
でも今――また友達ができた。
美波という大切な友達が。
部屋の中で、ノートパソコンのファンが「ヴーン」という音を立てている。
CPUがフル稼働している音。
二人の戦いが、始まった。




