第50話「美咲の演奏」
画面の中の美咲が演奏を始めた。
凛にはその曲が分かった。
ドビュッシー「月の光」。
美しい旋律。だが、その美しさはどこか狂っていた。
演奏は完璧だった。完璧すぎる。人間の演奏ではない。機械のような正確さ。
一つのミスもない。一つの揺らぎもない。リズムは寸分の狂いもなく刻まれ、音の強弱は計算されたように正確だ。
そして――美咲の表情が変わっていく。
最初は恐怖だった。目を見開いて、唇を噛んで、必死に耐えている表情。
だが徐々に――諦観に変わる。
目の光が失せていく。感情が抜けていく。
そして、何か別の感情に。
それは――恍惚? いや、違う。
これは狂気。
美咲は狂い始めていた。
そして――演奏に別の旋律が混ざり始めた。
「とおりゃんせ」
日本の童謡。子供たちが遊びで歌う、あの歌。
行きはよいよい 帰りはこわい
二つの旋律が絡み合う。西洋と東洋。クラシックと童謡。生と死。
すべてが混じり合って、新しい何かになっていく。
不協和音のはずなのに、不思議と調和している。まるで最初からそう作曲されていたかのように。
凛はその音楽に引き込まれていった。
耳が離せない。目が離せない。
まるで催眠術にかけられたかのように。スクリーンの中の美咲の指が、凛の意識を支配していく。
「凛……」
美波が凛の腕を掴んだ。その手は温かい。だが、その温もりすら遠く感じる。
「しっかりして……もう影響出てる……」
でも――凛は止められない。見続けてしまう。聞き続けてしまう。
そして――心臓がリズムを変え始めた。
ドクン…ドクン…ドクン…
一定のリズム。画面の中の音楽と同期していく。
美波が凛の手首を掴んだ。橈骨動脈に指を当てる。脈を測る。
数秒後、美波の顔が青ざめた。
「やばい……」
美波が呟いた。
「凛の心拍数――73になってる……」




