第04話「ムネモシュネの箱」
フロッピーディスクドライブ――柳沢正臣が自ら改造した、特注の高密度記録仕様。
磁気ヘッドがトラック00に戻る「ガリガリガリ」という機械音が、まるで獣の喉を掻くような不吉な響きを立てた。
「お父さん、これに私の何を記録するの?」
「思考だよ、美咲。お前の美しい思考を、全て」
8mmフィルムカメラ『Bolex H16』――スイス製の、ゼンマイ仕掛けの精密機械。
父が、ぜんまいを限界まで巻き上げる「ジジジジジ」という金属の擦れる音。そして、フィルムを一コマずつ送る爪が動く「カタカタカタ」という規則正しいリズム。秒間24コマ。現実を、永遠に固定するための音。
「私の姿も、永遠に残るの?」
「そうだ。お前の美しい姿を、一秒も逃さない」
そして、部屋の中央、ピアノのすぐ横に鎮座する、黒い直方体の箱。
高さ2メートル、幅1メートルの、まるでモノリスのような存在。その表面には無数の電極とセンサーが取り付けられ、赤いLEDが不規則に明滅している。側面には、真鍮のプレートがリベットで留められていた。
『PROJECT MNEMOSYNE』
ムネモシュネ――ギリシャ神話における、記憶の女神。
その黒い箱からは、微かな熱が放射されている。手をかざすと、37.3度。微熱を帯びた、病人の体温。
そして、箱に耳を近づけると、中から聞こえる。
ドクン…ドクン…ドクン…
心臓の音?
いや、違う。これは、内部に設置された磁気ドラムが回転する音だ。だが、そのリズムは、なぜか生き物の鼓動と全く同じに聞こえた。
「お父さん、この箱の中には、何が入ってるの?」
正臣が、初めて振り向いた。
その目は、狂気に輝いていた。
「お母さんだよ」
美咲の血が、一瞬で凍りついた。
「え…?」
「正確には、お母さんの記録の失敗作だ。でも、まだ生きている。不完全な形でね」
美咲の目から、大粒の涙が溢れ出した。
「お母さんを…箱の中に閉じ込めたの?」
「違う。保存したんだ。完璧ではなかったが、ゼロではない。そして、お前と合わせれば、完全になる」
「私と…お母さんを…合わせる?」
「そうだ。お前の完璧な73Hzの周波数と、お母さんの不完全な記録を合成する。そうすれば、二人とも永遠になれる」
美咲は、恐怖で震えが止まらなかった。
「お父さん…お父さんは、狂ってる…」
「狂ってる? いいや、美咲。これが愛だ。失いたくないという、純粋な愛だ」
「それは愛じゃない! エゴだよ!」
美咲が叫んだ。防音室の壁が、その感情の爆発を全て吸い込んでしまう。
正臣は、静かに娘に近づいた。そして、優しく頭を撫でた。
その手は、氷のように冷たかった。
「美咲、お前にはまだ分からない。でも、いつか分かる。記録された後でね」




