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ムネモシュネの箱 ― 73Hzの永遠 ―  作者: 大西さん
第一章「フリマアプリの誘惑」
38/48

第37話「73の夢」

午後11時。凛は眠ることにした。


ベッドに入る。掛け布団をかける。電気を消す。


暗闇。


目を閉じる。


でも――眠れない。


頭の中でいろんなことが渦巻いている。


VHSテープ。73Hz。柳沢正臣。父。美月。美波。


すべてが混ざり合って、整理できない。


凛は無理やり目を閉じた。羊を数える。


1、2、3、4……


73。


また、この数字。


凛は数えるのをやめた。


そして――いつの間にか、眠りに落ちていた。


夢を見た。


防音室の夢。


グレーの壁。三重構造のグラスウール。吸音材が音を吸収する。絶対的な静寂。


グランドピアノ。黒い巨体。Steinway & Sons。


そして――ピアノの前に少女が座っている。


白いワンピース。長い黒髪。痩せた身体。骨が浮き出ている腕。


美咲?


いや――違う。


この少女は凛自身だ。


凛がピアノの前に座っている。


「弾きなさい」


声が聞こえた。男の声。低い声。感情のない、機械的な声。


「お父さん……?」


凛が呟いた。声が防音室に吸収される。


でも――振り返ることができない。身体が動かない。金縛りのように。


「弾きなさい」


声が繰り返す。


「お前の意識を記録するんだ。そして――永遠になるんだ」


凛の指が勝手に動き始めた。


鍵盤に触れる。象牙の冷たさが指先に伝わる。死人の肌のような冷たさ。


そして――音が鳴った。


ドビュッシー「月の光」。


美しい旋律。だが、どこか不吉な響き。


なぜ弾けるんだろう。ピアノなんて習ったことも、ないのに。


でも、指が知っている。勝手に動く。筋肉が記憶している。


そして――別の旋律が重なってくる。


「とおりゃんせ」。童謡。


行きはよいよい 帰りはこわい


二つの旋律が絡み合う。不協和音。だが――不思議と美しい。


そして――心臓がリズムを刻み始めた。


ドクン…ドクン…ドクン…


73回/分。


「そうだ」


声が言った。満足そうに。


「完璧だ。お前は記録される。そして――永遠になる」


その瞬間――


凛は目が覚めた。

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