第32話「美波の専門知識」
「あの――」
凛は思い切って聞いてみた。
「意識を音で記録するって、可能なの?」
美波が驚いた顔をした。目を見開き、フォークを持つ手が止まる。
「え? なんでそんなこと聞くの?」
「ちょっと、ネットで見たから」
「ああ、そういうの――」
美波が少し考え込んだ。視線を上に向け、記憶を探るような仕草。
「理論的には、完全に不可能とは言えないかも」
「え?」
凛は驚いた。否定されると思っていた。
「脳波って電気信号でしょ。電気信号なら音波に変換できる。そして、音波なら記録できる」
美波が指を折りながら説明する。その説明は論理的で、説得力がある。
「でも――」
美波が首を振った。黒髪のポニーテールが揺れる。
「それを再生して他人の脳に転写するなんて、SFの世界だよ」
「だよね」
凛は安堵した。やっぱり疑似科学。ただのオカルト。
でも――美波が続けた。
「でもね、昔そういう研究してた人が実際にいたらしいよ」
凛の心臓が止まりそうになった。ドクンという大きな鼓動が、胸の中で響く。
「誰?」
「えっと――」
美波がスマートフォンを取り出した。画面をスワイプし、検索する。
「柳沢正臣。音響工学者。1990年代に『意識の音響記録』っていう理論を提唱した」
美波が画面を見ながら読み上げる。
「でも、学会からは完全に否定されて、研究資金も打ち切られて、最終的には失踪したって」
凛は黙って聞いていた。自分がさっき調べたのと同じ情報。
「なんでそんなこと聞くの?」
美波が不思議そうに凛を見る。その目には、純粋な好奇心がある。
「実は――」
凛は少し迷ったが、話すことにした。
「フリマアプリで変なVHSテープ買っちゃって」
「変な?」
「1999年の記録らしいんだけど。出品者がmarie_1985って人で、評価コメントが全部『73』って数字だけで。なんか怖くて」
美波が真剣な顔になった。笑顔が消え、眉間に皺が寄る。
「見せて」
凛はスマートフォンを美波に見せた。marie_1985のページ。出品リスト。評価コメント。
美波はじっと画面を見つめた。スクロールしながら、一つ一つ確認している。
そして――顔色が変わった。血の気が引いたように、頬が青白くなる。
「これ――やばいかも」
「え?」
「73って――」
美波が囁くように言った。周りに聞こえないように、声を落として。
「もしかして、73Hzのこと?」
「え?」
「特定の周波数。73Hzの低周波は脳波と共鳴しやすいって、論文で読んだことがある」
美波の目が、凛を真っ直ぐ見つめる。
「そして――柳沢正臣の研究も、73Hzがキーだったって」
凛の背筋が凍りついた。




