第28話「講義後」
午前10時30分。講義が終わった。
「では次回は、感情と記憶の関係について話します」
教授が資料を片付ける。学生たちがぞろぞろと教室を出ていく。友達同士で、グループで。笑いながら、話しながら。
「昨日のドラマ見た?」
「見た見た!超面白かった!」
「あのシーン、やばかったよね」
若者特有の、軽快な会話。
凛も立ち上がった。鞄にノートを入れる。筆箱を入れる。
教室を出ようとした時――
「佐々木さん」
声をかけられた。
振り返ると、同じクラスの女子学生。田中美波。情報工学専攻。成績優秀で、明るくて社交的。凛とは正反対のタイプ。
黒髪のポニーテール、大きな目、いつも笑顔。今日も明るい色のセーターを着ている。
「うん?」
凛が答える。できるだけ表情を変えずに。
「あのね――」
美波が少し躊躇しながら言った。その目には、本物の心配が宿っている。
「最近、大丈夫? なんか元気ないなって思って。授業もたまに休んでるし」
凛は少し驚いた。美波が自分のことを気にかけていた?
「大丈夫」
凛は答えた。作り笑顔を浮かべながら。
「ちょっと疲れてるだけ」
「そっか」
美波が心配そうに見る。その視線が、まっすぐ凛を見つめている。
「無理しないでね。もし何かあったら、いつでも話聞くよ」
「うん、ありがとう」
凛は微笑んだ。いつもの仮面。感情を隠すための、防御壁。
「じゃあ、また」
美波が手を振って去っていく。明るい足取りで、友達のグループに合流する。
凛はその背中を見送った。
優しい人だ。でも――その優しさを受け取ることができない。
深く関わることが怖い。また失うことが怖い。
美月を失った時のように。
親友を事故で失った時、凛の心の一部が死んだ。それ以来、誰とも深い関係を築けなくなった。
凛は一人でキャンパスを歩いた。次の授業まで1時間空いている。
図書館に行こう。そう決めた。




