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ムネモシュネの箱 ― 73Hzの永遠 ―  作者: 大西さん
プロローグ「記録された夜」
19/53

第18話「73分目の告白」

1999年12月3日 金曜日 午前2時43分


録音開始から、正確に73分が経過した。


隆の声は、もはや彼のものではなくなっていた。


感情が完全に抜け落ちている。機械的な音の羅列。だが不思議なことに、その声には奇妙な美しさがあった。まるで、人間の声帯という楽器が、最も純粋な音色を奏でているかのように。


「そして――」


隆が言った。


「僕には、一つ秘密があります」


正臣の目が鋭くなった。コントロールルームのスピーカーから流れる隆の声は、異様に明瞭だった。NEUMANNマイクが拾う音は、もはや普通の人間の声ではない。それは、記録装置そのものが発する声のようだった。


「研究室に――一人の女性がいます」


隆の口が動く。その動きは機械的で、まるでプログラムされたロボットのようだ。だが、そこから発せられる言葉には、確かに感情が込められていた。


「彼女の名前は――結城香織ゆうき かおり


その名前を口にした瞬間、すべてが変わった。


心拍数のモニターが急上昇する。


73回/分 → 85回/分 → 92回/分


警告音が鳴り響く。ピーピーピーという電子音が、実験室に響き渡る。


だが正臣は、実験を止めなかった。


「僕は――彼女を愛しています」


隆の声が裏返った。それまでの機械的な平坦さが崩れ、生々しい感情が溢れ出す。


「でも――彼女には言えませんでした。なぜなら、僕は臆病だから。いつもそうでした。真由美の時も。そして今も」


隆の目から涙が溢れ出した。


透明な涙が頬を伝い、顎から落ちて、白いシャツに小さな染みを作る。NEUMANNマイクは、その涙が布地に落ちる「ポタッ」という音まで拾っている。


「だから――せめてここに、記録として残します」


隆が、マイクに向かって真っ直ぐ顔を向けた。


「香織」


その呼びかけは、まるで彼女が目の前にいるかのようだった。


「愛してる」


シンプルな、三文字。


だが、その三文字には、25年分の思いが込められていた。


「もし――もしこの記録を、いつか誰かが聞いたら――彼女に伝えてください。僕は――ずっと、君を愛していたと」


その瞬間――


すべての記録装置が、最大出力で動作し始めた。


VHSデッキの回転ヘッドが激しく唸る。毎分1800回転。ヘッドとテープの摩擦が、金属的な高周波を発生させる。


カセットデッキのリールが高速で回転する。テープが巻き取られる速度が異常に速い。規定値の3倍。このままではテープが切れる。


MDレコーダーのレーザーが激しく明滅する。光学ピックアップが高速でトラックを移動し、データを書き込んでいく。


フロッピードライブの磁気ヘッドが狂ったように動く。ガリガリガリという金属音が、まるで何かが壊れる音のように響く。


8mmカメラのフィルムが高速で送られる。毎秒24コマではなく、毎秒48コマ。ゼンマイが悲鳴を上げている。


そして――


『ムネモシュネ』の箱が激しく振動し始めた。


ドクンドクンドクンドクンドクン――


複数の心臓が、同時に鼓動している。


美咲の心臓。 真理子の心臓。 そして――隆の心臓。


三つの鼓動が重なり合い、干渉し、新しいリズムを生み出している。


146回/分 + 73回/分 = 219回/分


三つの魂が、一つの箱の中で融合していく。


「記録――」


正臣が呟いた。その声は震えている。


「完了」


すべての機械が、同時に停止した。


赤いRECランプが、一斉に消える。


部屋が暗闇に包まれる。


そして――隆は椅子から崩れ落ちた。


糸が切れた人形のように。意識を失って。


彼の最後の言葉が、5つのメディアに刻まれた。


「香織…愛してる…」


その声は、永遠に消えない。

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