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ムネモシュネの箱 ― 73Hzの永遠 ―  作者: 大西さん
第五章「73の意味」
111/135

第110話「臨界点と解放」

20分経過。心拍数:105。


30分経過。心拍数:108。


もう限界が近い。でも凛は言い続けた。


「私は私である。73ではない」


30回。40回。50回。


あと23回。もう少し。もう少しで73回。そうすれば上書き消去が完了する。元に戻れる。


時計を見る。午後5時40分。あと33分。


40分経過。


凛はもう限界だった。心拍数:110。


美波が約束通り停止ボタンに手を伸ばした。


「ごめん、凛。止める」


「待って!」凛が叫んだ。「あと、あと13回! 73回まであと13回だけ!」


美波は凛を見た。


凛の顔は汗でびっしょり。目は充血している。唇は震えている。


でもその目にはまだ意志がある。凛の意志。消えていない。


「お願い……」凛が懇願した。「信じて……」


美波は涙を流しながら頷いた。


「分かった……でも115超えたら本当に止める」


「約束する」


凛はまた言い始めた。


「私は私である。73ではない」


61回目。62回目。63回目。


頭が割れそうに痛い。心臓が爆発しそうに速い。でも止まらない。止められない。


64回目。65回目。66回目。


画面の中で美咲が崩れ落ちた。真理子が悲鳴を上げた。隆が意識を失った。すべての記録が終わりに向かっている。


67回目。68回目。69回目。


あと4回。


凛の視界がぼやけてきた。意識が遠のいていく。でも言い続ける。


70回目。71回目。72回目。


そして――最後。


凛は最後の力を振り絞って叫んだ。


「私は――私である――73では――ない!」


73回目。


その瞬間――すべてが止まった。


5つのメディアが同時に停止した。


VHSデッキが止まった。カセットデッキが止まった。MDプレーヤーが止まった。パソコンがフリーズした。8mmプロジェクターが停止した。


音が消えた。


完全な静寂。73Hzのうなりも消えた。


世界が静かになった。まるで時間が止まったように。


凛は床に倒れた。意識が遠のいていく。闇が迫ってくる。


「凛!」


美波が叫んだ。


「凛! 起きて!」


美波が凛を抱き起こした。


「心拍数――」


美波が凛の手首を掴んだ。脈を測る。


ドクン…ドクン…ドクン…


遅い。さっきより明らかに遅い。


15秒で17回。1分で68回。


「68……」美波が呟いた。「戻った……正常に戻った……」


凛の目がゆっくりと開いた。焦点が定まらない。でも徐々に戻ってくる。


「美波……?」


「凛!」


美波が凛を抱きしめた。涙が止まらない。


「良かった……本当に良かった……」


凛は自分の胸に手を当てた。


心臓。ゆっくりと鳴っている。


ドクン…ドクン…ドクン…


68回/分。正常。


そして頭の中。もう無数の声は聞こえない。真理子も、美咲も、隆も。


ただ静寂。平和な静寂。


「戻った……」凛が呟いた。「私、戻った……」


美波が泣きながら笑った。「うん。戻った。おかえり、凛」


二人はしばらく抱き合っていた。床に座り込んで。窓の外が暗くなっていく。


時計を見る。午後6時13分。


73分間。終わった。


凛は生き延びた。自分を保った。個を失わなかった。


上書き消去――成功。

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