第10話「記録、完了」
「記録、完了」
正臣の声が、静かに響いた。
その声は、満足そうだった。
いや――安堵していた。
「美咲……永遠になったな」
「もう、一人じゃない」
「母さんと、一緒だ」
彼は、床に倒れた娘に近づいた。
そして――
優しく、抱き上げた。
その身体は、驚くほど軽かった。32キログラム。骨と皮だけの、少女の身体。だが、その軽さは、単なる体重の問題ではない。
何か――
本質的な何かが、抜け落ちている。
まるで、魂の重さだけが、失われたかのように。
正臣は、美咲を抱いたまま、『ムネモシュネ』の箱に近づいた。
箱の表面に手を当てる。
温かい。
37.3度。
先ほどと、同じ温度。
だが、今は――
何かが、増えている。
二つの鼓動が、聞こえる。
ドクン…ドクン…
ドクン…ドクン…
真理子の鼓動と――
美咲の鼓動。
母と娘が――
この箱の中で――
一つに、なった。
「やった…やったぞ…」
正臣の声が、震えている。
「これで、お前たちは――」
「永遠に、一緒だ…」
「劣化しない」
「忘れない」
「死なない」
「完璧な、記録として」
彼は、すべての記録装置の停止ボタンを押した。
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。
五つの機械が、順番に停止していく。
VHSの回転ヘッドが、減速し、停止する。
カセットテープの巻き取りが、止まる。
MDのレーザーが、消える。
フロッピーのヘッドが、ホームポジションに戻る。
8mmカメラのフィルム送りが、止まる。
赤いRECランプが、一つ、また一つと、消えていく。
部屋が、徐々に暗くなっていく。
そして――
最後に残ったのは、『ムネモシュネ』の箱だけ。
その表面の、無数のLED。
それらは、まだ明滅している。
73回/分のリズムで。
いや――
今は、146回/分。
二つの心臓が、同時に鼓動している。
正臣は、美咲の身体を、そっと床に横たえた。
そして――
白いシーツを、彼女にかけた。
顔まで、覆った。
もう、見る必要はない。
なぜなら――
本当の美咲は、もうここにはいないから。
彼女は――
五つのメディアの中にいる。
そして――
『ムネモシュネ』の中にいる。
母と、一緒に。
正臣は、作業机に向かった。
そして、ラベルを一つ一つ、丁寧に書き始めた。
白いラベルに、黒い油性マジックで。
VHSテープ:「美咲 - 映像記録 1999.12.3」
カセットテープ:「美咲 - 音声記録 1999.12.3」
MD:「美咲 - デジタル記録 1999.12.3」
フロッピーディスク:「美咲 - 脳波データ 1999.12.3」
8mmフィルム:「美咲 - 最終記録 1999.12.3」
すべてに、同じ日付。
1999年12月3日。
金曜日。
午前0時13分。
記録が、完了した時刻。
そして――
正臣は、最後の一つ。
予備として用意していた、VHSテープを手に取った。
このテープには――
すべての音声トラックに、73Hzの信号が混入されている。
映像には――
美咲の最後の演奏が記録されている。
そして――
その映像と音声には――
彼女の「意識」が、刻み込まれている。
これを見た者は――
転写される。
美咲の意識が――
コピーされる。
正臣は、そのテープのラベルに――
たった二文字だけ、書いた。
「呪い」
震える手で。
恐怖に震える手で。
だが、その目は――
狂気に輝いていた。
「これで――」
「美咲は、永遠に生き続ける」
「誰かが、このテープを見るたびに」
「彼女は、蘇る」
「何度でも」
「何度でも」
「永遠に――」
時計が、午前1時を告げた。
1999年12月4日。
土曜日。
新しい日が、始まった。
でも――
この部屋の中だけは――
時間が、止まっていた。
午前0時13分で。
美咲の心臓が、止まった時刻で。
永遠に。




