第107話「決行の時」
午後4時30分。あと30分。
凛は最後の準備をしていた。5つのメディアを各デッキにセット。すべての機器をスタンバイ状態に。心臓が激しく打っている。手のひらに汗が滲む。
美波が最終チェックをしている。「VHSデッキ、OK。カセットデッキ、OK。MDプレーヤー、OK。パソコン、OK。8mmプロジェクター、OK。音声ミキサー、OK。録音システム、OK」
「逆位相音――」美波が少し悩んだ。「どうする? 流す?」
凛は考えた。逆位相音は73Hzを打ち消す。でも今回は5つすべてを同時に再生する。打ち消してしまったら上書き消去の効果もなくなるかもしれない。
「流さない」凛が決めた。「今回は記録をすべて受け入れる。そして音声コマンドで上書きする」
美波は不安そうだったが頷いた。「分かった。でも私がずっと側にいる。心拍数を監視する。73を超えたらすぐ止める」
凛は心拍数を測った。
ドクン…ドクン…ドクン…
15秒で23回。1分で92回。
「まだ92……変わってない……」
「よし」美波が時計を見た。「午後4時55分。あと5分で開始」
凛は部屋の中央に座った。5つの画面が見える位置。VHSのテレビ、8mmのスクリーン、フロッピーのノートパソコン。カセットとMDは音だけ。
すべてが凛を取り囲んでいる。まるで記録の海に沈んでいくような。
「怖い……」凛が呟いた。
「大丈夫」美波が凛の肩を抱いた。「一緒にいるから」
「ありがとう……」
窓の外は完全に暗くなっていた。12月の夕方。午後5時でもう真っ暗。
午後5時。
時計のアラームが鳴った。「ピピピピ」という電子音。
「始める……」凛が言った。声が震えている。
美波が各機器の再生ボタンを同時に押した。
5つのメディアが同時に動き始めた。
VHSデッキがテープを回す。「ウィーン」という音。
カセットデッキがテープを送る。機械的な回転音。
MDプレーヤーがディスクを読む。高速回転の音。
パソコンがフロッピーを読み込む。「ガリガリ」という音。
8mmプロジェクターがフィルムを回転させる。「カタカタカタ」という音。
そして――音が聞こえてきた。
最初はノイズ。
ヒス――
ガリガリ――
ザー――
様々なノイズが混ざる。不協和音。混沌。
そして映像が現れた。
VHSの画面に美咲が映る。防音室。ピアノの前。白いワンピース。頭に貼られた電極。
8mmのスクリーンにも美咲。同じシーン。でも角度が違う。別のカメラ。
パソコンの画面には脳波データ。リアルタイムで変化する波形。上下に激しく揺れる線。
そして音。
真理子の声。カセットテープから。
「私の名前は柳沢真理子。42歳。ピアニスト」
美咲の声。MDから。
「11月1日。今日から日記をつけることにした」
隆の声。8mmフィルムから。無声映画だが凛には聞こえる。
「僕は1974年、東京で生まれました」
すべての声が重なり合う。混ざり合う。一つの轟音になる。
そしてその奥底から――
ブーーーーーン……
73Hz。
低周波のうなり。部屋全体が震え始める。空気が振動する。凛の身体が共鳴する。
心臓のリズムが変わり始める。
ドクン…ドクン…ドクン…
速くなっていく。73Hzに引き寄せられるように。
「凛!」美波が叫ぶ。「しっかりして!」
でも凛はもう画面から目が離せない。5つの映像。5つの声。すべてが凛の脳に流れ込んでくる。
時計を見る。午後5時1分。
あと72分。




