第103話「美咲の日記」
美波がすべてのセッティングを完了した。MDプレーヤー、スピーカー、ノートパソコン、録音用マイク。そして最大出力の逆位相音。
「準備完了」美波が言った。「心拍数測っておこう」
凛は手首に指を当てた。
ドクン…ドクン…ドクン…
15秒で20回。1分で80回。
「80……昨夜と変わってない……」凛が報告した。
「よし。じゃあ始めよう」
凛はMDをプレーヤーに挿入した。ディスクが収まる音。再生ボタンに指を置く。
深呼吸。
「行くよ」
凛がボタンを押した。ディスクが回転を始めた。「ウィーン」という高速回転の音。
数秒後――音が流れてきた。
少女の声。
「11月1日。今日から日記をつけることにした。お母さんが言ってた。記録しなさいって。あなたの人生を。あなたの思い出を。すべてを記録しなさいって」
美咲の声。14歳の少女。でもその声はどこか悲しげだった。
「私は白血病。末期。余命は2ヶ月。お母さんはもういない。1年前に死んだ。いや、死んだというより記録された。お父さんの実験で。そして次は私の番」
凛と美波は息を詰めて聞いた。
「11月5日。今日お父さんと話した。記録について。お父さんは言った。『美咲、お前は永遠になれる。死なない。お母さんと一緒にいられる』でも私は怖い。本当に私のままいられるの? それとも何か別のものになってしまうの?」
美咲の声が震え始めた。泣いている。14歳の少女が一人で。
「11月10日。学校に行けなくなった。身体がもう動かない。ベッドでずっと横になってる。窓から空が見える。青い空。白い雲。私はもうあの空の下を歩けない」
凛の目から涙が溢れた。美咲。自分と同じくらいの年齢の少女。死を目前にして一人で戦っていた。
MDは続いた。
「11月15日。今日お母さんの声を聞いた。お父さんがカセットテープを再生してくれた。お母さんのピアノ。お母さんの声。でも何かが違った。本当のお母さんじゃない。記録されたお母さん。それはお母さんの形をした何か。私もそうなるの?」
美咲の声がさらに震えた。恐怖。純粋な恐怖。
「11月20日。お父さんが言った。『もうすぐだ。12月3日に実験をする。5つのメディアで完全な記録を。お前は永遠になる』でも私は永遠になりたくない。私はただ生きたかった。普通に。友達と笑って。恋をして。大人になって。それだけで良かった。でももう無理」
凛は声を上げて泣いていた。止められない涙。美咲の悲しみが自分の悲しみのように感じられる。
「凛……」美波が心配そうに見る。「大丈夫? 止める?」
「ううん……」凛が首を振った。「最後まで聞く……美咲の声を……」
MDは最後の日記に入った。
「12月2日。明日、実験。怖い。とても怖い。でももう逃げられない。お父さんはもう正気じゃない。記録に取り憑かれてる。お母さんを失ってからずっと。そして私も失おうとしてる」
「でも一つだけ願いがある」
「もしこの記録を誰かが聞いたら――お願い。私を解放して。記録から解放して」
「私は永遠になんて、なりたくない」
「ただ消えたい。安らかに消えたい」
そこでMDが終わった。
静寂。
凛と美波はしばらく何も言えなかった。
美咲の最後の願い。解放。記録からの解放。




