第100話「侵食する記憶」
「罠……?」凛が聞き返した。
「そう」母の声が真剣になった。「柳沢正臣の技術は、5つすべてを見た者を完全に記録するように設計されている」
「上書き消去って書いてあるのは……」
「誘い込むため」母が答えた。「5つ揃えれば元に戻れると信じさせて、すべてのメディアを見させる。そして完全に記録される」
凛の手が震えた。「じゃあ……どうすれば……」
「今すぐこっちに来て。私が25年前に開発した別の方法がある。完全じゃないけど、まだ2つしか見てないなら間に合うかもしれない」
「でも……」凛が迷った。
美波が凛の手を握った。「お母さんを信じよう」と目で語りかけている。
「分かった、お母さん。明日……」
「待って」母が遮った。「明日じゃなく今すぐ。記録は時間とともに進行する。一刻も早く」
凛は窓の外を見た。真っ暗。午後9時。
「分かった。今から行く」
電話を切った。
美波が立ち上がった。「行こう。私も一緒に行く」
二人は準備を始めた。でもその時――
凛の頭に激痛が走った。
「うっ!」
「凛!」美波が支える。
凛の目の前に映像が流れ込んできた。
ピアノの前に座る真理子。幼い美咲が隣にいる。
「お母さん、弾いて」
「何を弾こうか?」
「ショパン!」
美咲が笑顔で言う。真理子が微笑んで鍵盤に指を置く。
ノクターン。美しい旋律。幸せな時間。
でもその映像が歪んでいく。真理子の顔が苦痛に歪む。病気。癌。身体が蝕まれていく。
「美咲……ごめんなさい……お母さんもうすぐ……」
映像が途切れる。
凛は目を開けた。涙で視界がぼやけている。
「これが記録……真理子の記憶……」
美波が心配そうに見ている。「大丈夫……?」
「うん……」でも本当は大丈夫じゃない。
真理子の記憶が自分の記憶と混ざり始めている。境界が曖昧になっている。
これが記録の恐怖。個の喪失。
「心拍数測って」美波が言った。
凛は手首に指を当てた。
ドクン…ドクン…ドクン…
速い。明らかに速い。
15秒で20回。1分で80回。
「80……」凛が報告した。
美波の顔が青ざめた。「上がってる……カセットテープを聞く前は68だったのに……12も上がってる……」
凛はそれを理解していた。記録が進行している。VHSで少し。カセットでさらに。
このままいくといつか73になる。そして個が消える。
「でも」凛が言った。「まだ大丈夫。80はまだ73じゃない」
美波は複雑な表情をした。本当に上書き消去できるのか。それとも5つ揃えたら完全に記録されてしまうのか。
でも他に方法がない。
「お母さんのところに行こう」凛が言った。「他の方法があるかもしれない」
二人は急いで準備をした。




