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ムネモシュネの箱 ― 73Hzの永遠 ―  作者: 大西さん
プロローグ「記録された夜」
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第09話「五つのメディアに宿るもの」

カセットテープに、彼女の声の温かさが。


VHSに、彼女の瞳の輝きが。


MDに、彼女の心臓の鼓動が。


フロッピーに、彼女の思考の流れが。


8mmフィルムに、彼女の魂の形が。


「い…た…い…」


美咲の口から、かすかな声が漏れた。


それは、もう人間の声ではなかった。周波数が狂っている。基音が73Hzに固定され、その倍音だけで言葉を紡いでいる。146Hz、219Hz、292Hz、365Hz――すべて73の整数倍。


人間の声帯では、物理的に出せない音。


だが、確かに聞こえる。いや、聞こえているのではない。直接、脳に響いている。


正臣が、狂ったように笑い始めた。


「成功だ…成功したぞ…!」


彼の目からも、涙が溢れ出ていた。それは喜びの涙か、それとも狂気の涙か。


「美咲…お前は今、永遠になった…!」


美咲の演奏が、突然、停止した。


指が、鍵盤から離れた。いや、離れたのではない。鍵盤が、指を拒絶したのだ。まるで、もう十分だ、とでも言うように。


彼女は、じっとピアノを見つめている。


その目は、もう焦点が合っていない。瞳孔が、針の先ほどに縮んでいる。そして、虹彩が、異様な色に変わっていた。


茶色だった瞳が、今は――


灰色。


いや、銀色。


まるで、磁気テープの表面のような、無機質な輝き。


「美咲?」


正臣が、恐る恐る声をかけた。


だが、返事はない。


美咲は、ゆっくりと――


とても、ゆっくりと――


崩れ落ちた。


椅子から滑り落ち、床に倒れる。白いワンピースが、床に広がる。まるで、雪が積もったかのように。


彼女は、動かない。


胸も、上下していない。


呼吸が、止まっている。


画面の隅で、機械の音が鳴っている。


ピーーーーーー……


心拍計の、フラットライン。


心臓が、止まった。


73回/分で刻んでいたリズムが、0になった。


だが、不思議なことに――


部屋中の機械たちは、まだ73のリズムで動いている。


VHSデッキの回転ヘッド。


カセットデッキの巻き取りリール。


MDのディスク回転。


フロッピーのヘッド移動。


8mmカメラのフィルム送り。


そして、『ムネモシュネ』の箱の中の、何か。


すべてが、73という数字に支配されている。


まるで、美咲の心臓は止まったが――


彼女の「生命」は、機械たちに移行したかのように。

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