歳の差なんて
「時緒くん、話がある」
「ん、なあに」
「別れよう」
正座でそう告げた私に、目の前の恋人は目をまん丸くして首を傾げた。
「え、なんで?俺のこと嫌い?」
「嫌いではない決して…」
少しうつむく。私なりに考えに考え抜いて出した答えだ。
嫌いではないけど、むしろ好きだけど…。
「…私、時緒くんより10個も年上じゃない。今年36になるし…いつまでも君の時間を奪うのが嫌なのよ。結婚もできないし…」
私は今実家住まいで、祖母の介護もしている。
母はまだ元気だけれど、父に先立たれた母を残して結婚する気もない。
私と付き合っている間、彼の時間も奪っていると思うと心苦しい。
もう結構な間悩んでいたことだ。ようやく勇気を出して言えた。
とてつもなく寂しい。寂しいけれど、腹を決めなくては。
俯いていた顔を上げ、彼にぎこちない笑顔を向ける。
「大好きだよ、今までありが」
「え、結婚できるでしょ」
私の心のこもった感謝を遮ってさらりと言われた。
なんならへらへらと笑っている。
「……アンタ事情知ってるよね?ばあちゃん介護してるし母親も置いて家出たくないんだって」
「俺が婿に入ればいいんでしょ?」
「……あ?」
「別にいいよ?入る入る」
こともなげに言う男。
お風呂入る?入る入るー。ぐらいなテンションで軽く返された。
「…普通、そういうの抵抗あるんじゃないの?苗字変わるんだよ?」
「なんで?苗字なんかどうでもよくない?手続きがちょっと面倒なくらいで」
「親、あんたの親は?!さすがに嫌がるんじゃないの?」
「俺長男じゃないし。三人も息子いたら興味ないでしょ」
「………」
なんて軽い。綿菓子のように軽すぎる。
こういうものだっけ?婿に来る人ってこんなに気にしないもの?
なんだか腑に落ちなくて更に言い募る。
「私もうそろそろ年齢的に子供とか難しいよ?時緒くんの子供とか産んであげられないかもしれない!」
「いてもいいけどいなくても平気よ」
「私はアンタの遺伝子を未来に残してほしい!!」
「喜美ちゃんが無理ならそれは逆に諦めてよ」
熱量が見合わない。
なぜか私が別れを推奨しているかのようになっている。
なんでだ。なんでこんなにすべて受け入れられてるんだ。
「あとは?あと何か俺と喜美ちゃんが別れなきゃいけない理由ある?」
逆に問いかけられて言葉に詰まる。
今日までずっと言うか言うまいか悩んでた。
別れたくない。でも、私に拘束していたくない。
何より…彼から別れを告げられたくなかった。
私が傷つかないために、私から別れようと思った。とてもずるい考えだった。
視線を落として、膝に乗せた拳を握り締める。
「…私は、これから先に歳とってくのが怖い。時緒くんに嫌われるのが怖い」
本音が口をついた。
いつの間にか近づいていた彼が私の拳に手を乗せた。
顔を上げると、やんわり笑う彼と目があう。
「可愛いこというね。嫌いになんてならないよ」
「……若くても若くなくても可愛い子なんてこの世にごまんといるよ。その中で選ばれる自信なんてない」
「あらあら」
おかしそうに笑う。私の両頬を包むように手を添えて、額をくっつけた。
吐息がかかって、額から熱が伝わってくる。
「喜美ちゃんが好きだよ」
「………」
優しく囁かれれば、絆されてしまう。
本当かわからない言葉すら信じてしまう。
「っていうかね、喜美ちゃんが嫌がっても逃がす気ないんだよね」
「……ん?」
不穏な言葉に甘い空気が少し濁った。
「伝わってないみたいだけど、俺って粘着質だよ。別れない。ぜったい。
俺のこと嫌いになったとしてもぜったい別れない」
「……重くない?」
「重いよ。知らなかった?俺から離れるなんて許さない。どこまでだって追いかけるからさ」
もう諦めて一生一緒にいようね?
抱き寄せられながら穏やかに告げられて、何とも言えない気持ちになった。
歳の差なんてなんてことはなかったらしい。
別れの寂しさではなく、今後も別れられない不安感が生まれた日だった。
ハッピーエンド?