昼下がりの牧場
ここは、ゲルニカ王国の外れに位置する、センジュ村。
村に住む少年 ラテン は、しげる草葉をむしゃりと食べる家畜を前にして、いつものように筆を動かしていた。
「んもぉ~」
放牧中の牛が、目の前で一鳴きする。
牧場には生暖かい空気が巡り、それを感じながら手元に抱えたキャンバスに向かう。
「...うーん」
少し首を捻り、角度を付けて目の前の絵を見る。
もうだいぶ仕上がってはいるのだが、どうにも細かい所が気になって仕方がない。
「ねぇラテン」
「それ、ずっとやってるけど飽きないの?」
と、頭を悩ませる僕をよそ目に、隣でくつろぐ少女がボソリと呟いた。
彼女の名前は エリン。
この村の村長である バルド の孫にして、村一番のお転婆娘だ。
「別に」
「何となくやってるだけだから、飽きるとか飽きないとかないよ」
僕は適当に答える。
「むぅー....」
そっけない態度に腹を立てたのだろうか、エリンは不服そうにこちらを睨む。
そうしてひとしきり念を込めた後、手元のキャンパスに視線を落として、更に言葉を続けた。
「それだけ上手なんだもの、お絵描きが好きっていうのは分かるわ」
「でも、ラテン たら一日中そうしてるじゃない」
絵を描く事は習慣の様な物だし、さらに言えば今日は父親の畑を手伝った後だから一日中という訳でもないけれど。
(まあ、反論しても面倒だし...)
「うん、他にする事もないから」
僕は、先程と同様にぼかして答える。
と、その言葉を聞いたエリンの瞳が、何故だかギラリと光る。
「する事がないなら、私と "赤の森" に行きましょ!」
「こんな所で絵を描くよりも、そっちの方が絶対楽しいわ!」
はぁ...また、いつもの無茶振りが始まった。
彼女の事は嫌いじゃないけれど、こういう事に巻き込むのは勘弁してもらいたい。
「いやだよ」
「あそこには行っちゃ駄目だって、村長さんが言ってたじゃない」
赤の森 とは、村の近くにある森の事である。
名前の通り赤色の葉を茂らせた木々が並ぶ穏やかな森で、村の大人が王都に出掛ける際にもよく通る場所だけれど。
一年程前、森を通った住民が魔物に襲われる事件が起こってしまった。
それからというもの、村の決まりで 10 際に満たない子供は森に立ち入る事を禁止されている。
「それは...そうだけど」
「大人達だって何も気にせず通ってるし」
「魔物は王都の兵士が退治してくれたんだからっ、もう安全よ!」
彼女は、少し焦ったように答えた。
「言いたいことは分かるけどさ」
「でも、決まりが出来ちゃったんだからしょうがないよ」
僕とエリンは 8 歳。
森に入る為には、少なくともあと 2 年程足りない。
「あんないいつけ、皆守ってないじゃない!」
口を尖らせたエリンは、恨めしそうに言う。
この村ではただでさえ娯楽が少ない為か、子供たちの興味は自然と村の外へ向いてしまう。
その結果、エリンの言うように森へ行く事が常習化してしまっていた。
所謂、子供にとっての度胸試しという奴だ。
「だけどさ、わざわざ禁止されてる場所に行く事 ...」
言いながら、彼女の顔をちらと伺う。
「むすぅーーー......」
頬を真っ赤に膨らまし、目を水晶のように潤ませている。
まずいな....と僕は思う。
ただでさえ横柄な彼女だが、泣き始めるともはや手がつけられない程になるのだ。
(...はぁ)
僕はとうとう観念して、彼女の提案に乗る事にした。
「...分かったよ」
「一緒に行ってあげるから、だからここで泣くのはやめて」
その言葉を聞いたエリンは、ぱあっと顔を明るくする。
「ほんと!」
「やったー!ラテン愛しているーー!」
本当に、調子のいい奴。
そして僕は、喜ぶエリンを落ち着かせ、"ただし"と付け加える。
「二人で行くんじゃなくて、ファットさんにも同行して貰うのが条件。もし何かの事情で断られたら、今日はもう赤の森へ行くのを諦める」
「えー!」
「それが嫌なら、僕は行かないよ」
その言葉を受け、少し不満げな彼女だったが
「んー...分かったわよ」
と、渋々頷いて見せた。
しおらしい彼女の顔を見届け、道具をしまいキャンバスを抱える。
「さ、暗くなる前に行こう」
本当はもう少し絵を描いていたかったけど、こうなってはしょうがない。
僕は、とことこ付いてくるエリンを尻目に、ファットさんのいる作業場へと足を進め始めた。